仲村覚「沖縄はいつから日本なのか」を読む

広島市呉市 大和ミュージアム 戦艦大和の模型


 昨今のテレビ・新聞などのマスコミ報道を聞いていると、その非論理性に辟易するばかりであるが、よく考えてみると、マスコミ報道にはたいへん大きな共通点がある。それは「国を思う」という視点がないことである。マスコミは国を貶めることが本来の使命だと思っているようだ。
 マスコミという業界はまるで反日という幻想で縛られている伏魔殿のようだ。この伏魔殿の存在がたいへん悩ましいのは、公共電波を独占しているという巨大な権力を持っていることだ。私たち一般人は、反日というフィルターを通しての報道に否応なく接しなければならない。知らず知らず私たちの思考は毒されてくる。
 その一つの例が沖縄のことである。沖縄で独立運動が起きるという報道に接して私は驚愕した。本当だろうかと思うと同時に、そもそも沖縄は独立国なのだろうかと疑問に思った。また、沖縄ではほとんどの人が米軍基地移転に反対しているようだが、本当なのだろうか。
 マスコミの報道を信じると、沖縄は歴史的にも現在においても悲惨な状況にあるみたいだ。本当に米軍基地は沖縄に不利益だけをもたらしているのか。本当に日本政府は沖縄の苦しみをほったらかしているのか。まさに、沖縄は暗黒の地であるように、マスコミは報道している。

渋谷 NHK

築地 朝日新聞

 
 恥ずかしながら、私は真剣に沖縄の歴史も現在の状況も調べたことがない。私の沖縄の知識はマスコミ報道の域を超えない。
 普天間から辺野古への移転に伴うマスコミ報道、並びに沖縄県知事の行動を聞くに及び、私は違和感を抱き続けた。そして、ついに、本当の沖縄の姿を知りたくなって、手に取ったのが、仲村覚の「沖縄はいつから日本なのか」である。
 この本を読んでいる最中、私は驚愕の連続であった。とにかく、今まで接したことのない情報ばかりで、ほとんどマスコミでは報道されないものばかりである。沖縄の人たちが独立を望んでいるというのも全くのでたらめで、沖縄の人たちは自分たちは歴史的にも正真正銘の日本人だと思っている。
 この本の内容がすべて正しいと私は断言しない。しかし、テレビ・新聞などのように印象操作をしている報道とは違い、豊富な資料を駆使しての記述は説得力がある。
 圧巻なのは、沖縄学を樹立した伊波普猷(いはふゆう)の研究も引用して、言葉の面から沖縄は古来から日本であることを証明し、DNAの面からも沖縄の人たちが日本人であったことを証明している。
 また、江戸時代、琉球は薩摩藩の管理下にあったが、実際は琉球は幕藩体制の下にありれっきとした薩摩藩同様の日本の領土であったことである。これらは、当時、琉球に来た欧米諸国が認めている。誰も中国の属国だとはいっていない。沖縄は明治になって正式に日本の領土になったということも全くのでたらめである。
 この本が最も切実な問題として提起しているのは、沖縄独立問題は中国のプロパガンダだということである。中国は尖閣諸島だけでなく、ゆくゆくは沖縄まで中国の領土にしようという野心をもっている。このことはとりもなおさず、沖縄問題は日本国の主権に関する非常に重要な問題ということである。
 尖閣諸島近海に毎日のように中国船が出没するのに、それを報道しないマスコミと、それに抗議しない沖縄県知事の姿勢に、私は首を傾げる。

 「国を思う」ことと「国を愛する」ことはほぼ同義である。国を愛するイコール愛国者イコール軍国主義者という公式がマスコミ界には存在するらしい。マスコミにとって国を愛することは罪悪のようだ。
 ところが、日本人のほとんどは国を愛している。昨日(2018年6月19日)のワールドカップで日本はコロンビアを破った。これに、沖縄の人たちを含めた日本人のほとんどが熱狂した。これは、日本人が国を愛しているからでないのか。
 沖縄独立というデマがでたことを深刻に受け止めなければならない。

伊波普猷「古琉球」の感想文はここから読めます。→
http://www.honzuki.jp/book/23330/review/196572/

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 写真は、上から大和ミュージアムで撮影した戦艦大和の模型、渋谷にあるNHKの社屋、築地にある朝日新聞社です。

赤坂 TBS

六本木 テレビ朝日

 写真上から、赤坂にあるTBS、六本木にあるテレビ朝日の社屋です。

●広島県呉市にある大和ミュージアムで撮影

広島市呉市 大和ミュージアム

広島市呉市 大和ミュージアム 戦闘機

広島市呉市 戦艦に搭載した大砲

広島市呉市 大和ミュージアム 海軍カレー

 写真は広島県呉市の大和ミュージアムを撮影したものです。上から、大和ミュージアム外観・戦艦大和の模型・戦闘機・戦艦に搭載した大砲・海軍カレーです。

●靖国神社境内にある遊就館および遊就館の周りに建立されている顕彰碑・慰霊碑を撮影

靖国神社 遊就館

靖国神社 遊就館 戦闘機

靖国神社 遊就館 機関砲

靖国神社 遊就館 機関車

 写真は靖国神社遊就館の展示物を撮影したものです。上から、遊就館の建物、戦闘機、機関砲、機関車です。

靖国神社 パール博士顕彰碑

靖国神社 特攻隊士を讃える像

靖国神社 護国海防艦の石碑

 写真上は、靖国神社境内に建立されている石碑を撮影しました。上から、パール博士顕彰碑、特攻隊士を讃える像、護国海防艦の石碑です。


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Tag : 中村覚 沖縄はいつから日本なのか

ケント・ギルバート「リベラルの毒に侵された日米の憂鬱」を読む

国会議事堂


 言葉が氾濫している。意味のわからない言葉が堂々と正義漢づらして闊歩している。その最たる言葉がリベラルである。リベラルとは耳に心地よい言葉であるが、その実、定義が全く曖昧である。曖昧というより、意味そのものがないようだ。主体性がなく、しっかりとした理念も信念もない者が自分を格好良く見せるときに便利なのがこの言葉だ。
 リベラルとは本来、自由主義者とか進歩主義者という意味のはずだが、今ではあの共産党もリベラルだそうだ。自由とは偏見にとらわれないことなのだが、偏見の塊の共産党が今やリベラルなのである。そういえば、昔、革新と訴えていた党がいたが、この党は改革を反対ばかりしていた。
 リベラルに対して使われてきた保守も今や意味が曖昧になってきている。保守というと右翼のことらしいし、守旧という意味でもあるらしい。概して、リベラルはいい印象を与えるとき、保守は悪い印象を与えるときに使うらしい。
 文化の中で最も大切なものはと問われれば、私は言葉と答える。文化において言葉ほど大事なものは他にあろうか。日本が二千年の間の長きに渡って、文化的に高度な国家としてやってこれたのは、日本語という体系化された言語空間があったからだ。言葉を大事にしなければ国が亡ぶ。
 今や共産党を含めた日本の野党はリベラルという虚名のもとに、与党たる自民党を糾弾している。私にいわせれば、自民党の方がはるかに野党より進歩的で、その意味では自民党の方がリベラルではないかと思う。
 かくして新聞を筆頭として意味不明な言葉を声高に叫ぶことによって、マスコミ・野党たちは国をいたずらに混乱に陥れている。ここらあたりで、しっかりと言葉の重要性を認識して、もう一度リベラルとは何かを考えてみるのもよいのではないか。

首相官邸

最高裁判所


 ケント・ギルバートの「リベラルの毒に侵された日米の憂鬱」はリベラルというものの実態を理解するのに最適の書である。
 この本を読んで、私が深く感銘を受けたのは、冒頭の三島由紀夫に関する件である。ケントは、三島の「春の雪」を読んで強烈な衝撃を受けたという。「春の雪」の主人公である華族の息子の松枝清顕が何物にもとらわれない自由人であることに驚嘆している。この松枝は幼な馴染ではあるが、皇族の婚約者になっている女性と不義の関係になる。敬虔なるキリスト教徒であるケントには松枝の行動が理解できなかったらしい。
 私もというより日本人の読者はほとんど「春の雪」を読んで、ケントと似たような感覚を持つのではなかろうか。松枝は最大の禁忌を犯した勇気(?)ある男なのである。禁忌を犯すことが三島文学の本質のテーマである。禁忌を犯すイコール自由ともいえる。
 このケントの記述を見ても、ケントがいかに日本のことを根底から理解していることがわかる。そのケントがリベラルについて、猛烈に批判しているのがこの本である。どうやらアメリカと日本のリベラルにはかなり共通点があるらしい。
 アメリカのリベラルたちは次のように理解されている。

「腹黒くて、胡散(うさん)くさい」
「抑圧的で、批判ばかりで、うっとうしい」
「自分たちだけげ絶対的正義と考えていて傲慢(ごうまん)」
「口だけ達者な無責任な連中で自分の非を認めない」
「身勝手で利己的だから、自分の自由のためなら他人の自由を平気で侵害する」
「現実を無視してキレイごとばかりいう」

 思わず笑ってしまった。日本のリベラルと全く同じだからだ。ケントは上記の内容を具体的に経験的に説明をし、彼らの行動がいかにおかしいかを論理的にわかりやすく解説している。まさに正論だと思う。
 だが、アメリカと日本のリベラルの違いも指摘している。アメリカのリベラルは国を愛し、国を必死になって守ろうとするが、日本のリベラルは日本という国そのものを否定している。ケントはこの日本のリベラルの主張に批判を加えると同時に、なぜ、リベラルが国を否定するようになったかも詳しく説明している。

 意味不明な言葉をいろいろと叫ぶリベラルだが、彼らの辞書には「国を愛する」、「国を守る」という言葉はないらしい。

「豊饒の海 第一巻 春の雪」の感想文はここから読めます。→
http://www.suugakudojo.shop/contents/book/mishima.html#harunoyuki

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 写真は、上から国会議事堂、首相官邸、最高裁判所です。国会議事堂のまわりは安保法案の時に、デモの聖地でもなったかのような報道で、地上波のニュースが流していました。以下の写真は、国会議事堂の廻りを散歩したときに撮影したものです。調べれば歴史が詰まった場所だということがよくわります。

憲政記念館

憲政記念館 尾崎行雄の像

 写真上は、憲政記念館と憲政記念館内に建っている憲政の神様といわれている尾崎行雄の像です。

国立国会図書館

梨木坂の案内板

 写真上は、国立国会図書館と図書館の横にある梨木坂の案内板です。『江戸紀聞』に「梨の木坂、井伊家の屋舗の裏門をいふ。近き世までも梨の木ありしに、今は枯れて其の名のみ残れり。」と書いてあります。

国会議事堂前庭 井伊掃部頭旧邸跡の案内板

 写真上は、井伊掃部頭邸跡(前加藤清正邸)の案内板です。案内板には次のように記されています。
< この公園一帯は、江戸時代初期には肥後熊本藩主加藤清正 の屋敷でした。加藤家は二代忠広の時に改易され、屋敷も没収されました。その後、近江彦根藩主井伊家が屋敷を拝領し、上屋敷として明治維新まで利用しています。(歴代当主は、掃部頭(かもんのかみ)を称しました)
 幕末の大老井伊直弼 は、万延元年(1860)3月に、この屋敷から外桜田門へ向かう途中、水戸藩氏らに襲撃されました。>
名水「櫻の井」の石碑

 写真上は、江戸の名水「櫻の井」の石碑です。石碑には次のように記されています。
< 「櫻の井」は名水井戸として知られた「江戸の名所」で、近江・彦根藩井伊家上屋敷の裏門外西側にあったが、ここは加藤清正 邸跡(都旧跡)で、清正が掘ったと伝えられている。三連式釣瓶井戸で、縦約1.8メートル、横約3メートルの石垣で組んだ大井戸で三本の釣瓶を下ろし、一度に桶三杯の水が汲め、幕末当時江戸城を訪れる通行人に豊富な水を提供し、重宝がられた。
江戸名所図会 に絵入りで紹介され、歌川(安藤)広重の「東都名所」の「外櫻田弁慶櫻の井」(天保14年(1843)(図)にも描かれている。安政7年(1860)3月3日には大老井伊直弼 がこの井戸の脇から登城途中、暗殺された。
 大正7年(1918)史蹟に定められ、東京都は昭和30年(1955)旧跡指定。昭和43年(1968)道路工事のため交差点内から原形のまま10メートル離れた現在地に移設復元された。>


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Tag : ケント・ギルバート リベラルの毒に侵された日米の憂鬱

有馬哲夫「歴史問題の正解」を読む

広島市 原爆ドーム


 この頃、これでもかと安倍政権を貶めるマスコミ報道を見て、ふと、坂口安吾の書いたエッセイを思い出した。それは、この戦争(太平洋戦争)に負けてからの日本の変わり様は、明治維新のときよりもはるかにひどいというものだ。
 これを読んだのはまだ学生のときで、そのときは違和感を覚えた。何しろ明治維新は封建社会から近代国家に変わるときなので、戦後の変わり様よりははるかにひどいものだと思ったからである。
 それから40年近くたった今、そして戦後73年を過ぎた今になって、安吾の書いたことを振り返ると、しみじみと安吾のいったことが正しいと思う。

 明治になっても、明治の人たちは江戸時代の幕藩体制や身分制度を批判しても江戸時代の人たちの人間性・人格を否定はしなかった。ところが、太平洋戦争後は、戦前の人たちの人間性を否定するようになった。その風潮は現在も続いている。
 本当に戦前の日本人は三十万もの無辜の民を平気で殺したのか、平気で二十万もの処女(おとめ)たちを強制的に連れ去り男の慰み物である慰安婦にしたのか。これを疑いもせず肯定する日本人がいることが私には信じられない。
 南京大虐殺も朝鮮人慰安婦問題も日本のテレビで堂々と歴史的真実に反すると主張されるのを私は見たことがない。一つの意見としてすら出てこない。テレビに出てくる歴史学者は本当に歴史を知っているのかと思う反面、本当の歴史は報道をしてはいけないとテレビ業界が自主規制しているように思えてならない。
 考えてみれば、戦後の日本人は、真実の歴史ではなく、作られた歴史を教えられてきたのである。日本が太平洋戦争で無条件降伏したと私は長い間、信じてきた。
 戦後レジームという言葉をよく耳にするが、これは、あの戦争は百パーセント日本が悪いということを前提として作られたルールのもとでの行動の枠のことだと私には思えてならない。このレジームの中では、日本はより開かれた自由な国家にも正義が通ずる国家にもならないのは確かだ。
 戦後レジームから脱却するためには、やはり作られた歴史ではなく、真の歴史を知り、それを広めるしかない。まず知ることである。自ら学ぶことである。

広島市 被爆者慰霊碑

熱海 東亜観音 松井石根大将が建立した観音様


 真の歴史とは一級の資料に基づき、論理的に考証したものでなければならない。

 有馬哲夫の「歴史問題の正解」は目からウロコどころではなく、考え方をコペルニクス的に転回させる本である。私は、正直、通説とは違う歴史を知って、ただ唖然とするだけであった。
 11の歴史的事実がこの本には書かれている。どれも主観を排して、一級の資料にあたって論証されたものであり、説得力十分である。その11の歴史的事実は11の章ごとに述べられている。その章は次の通りである。

第1章 「南京事件」はプロパガンダから生まれた
第2章 真珠湾攻撃は騙し討ちではなかった
第3章 ヤルタ会談は戦後秩序を作らなかった
第4章 北方領土はこうして失われた
第5章 ポツダム宣言に「日本の戦争は間違い」という文言は存在しない
第6章 日本は無条件降伏していない
第7章 原爆投下は必要なかった
第8章 天皇のインテリジェンスが國體を守った
第9章 現代中国の歴史は侵略の歴史である
第10章 日韓国交正常化の立役者は児玉誉士夫だった
第11章 尖閣諸島は間違いなく日本の領土である

 アメリカでは真珠湾攻撃の攻撃はsnake attackという。普通、奇襲というときにはsudden attackというのだが、真珠湾攻撃の場合はそうではない。snake attackはルールを無視した汚い攻撃を意味し、まさにアメリカにとっては騙し討ちで、これを大々的にプロパガンダして、アメリカは堂々と戦争を始めたのだ。しかし、真珠湾攻撃は騙し討ちでも何でもない。時のルーズベルトは日本軍が攻撃することを既に知っていたのである。それ以上に日本軍が攻撃することを望んでいた節がある。それだけ、ルーズベルトは戦争をしたかったのだ。
 ルーズベルトは日本を蛇蝎のごとく嫌悪した。ルーズベルトは日本を戦略的に利用してアメリカの国益を計ったのである。ルーズベルトにとって、日本人に人権などなかった。日本に原爆を落とすことを計画したのはルーズベルトである。北方領土が返らないのは、ルーズベルトとスターリンの密約があったからだ。
 以上の内容のように、この本は、戦後に作られた歴史がいかに歪められ真実から遠いものであったかを示している。また、中国・韓国が主張していることは歴史ではなく、まさにプロパガンダだということがよくわかる。

 最近、この本のように歴史の真実を教えてくれる本がたくさん出てきた。たいへん喜ばしいことである。その理由は、アメリカが過去の公文書を公開するようになったからだ。これからも真実を伝える歴史書が陸続と出版されることを期待する。

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 上の写真は、広島の原爆ドーム、被爆者慰霊碑、熱海市東亜観音にある南京攻略の総司令官だった松井石根大将が建立した戦争慰霊のための観音様です。松井石根は東京裁判でA級戦犯になり刑を執行されました。

熱海 東亜観音

熱海 東亜観音 松井石根大将の外套

熱海 東亜観音 松井石根書

 写真上は熱海にある東亜観音です。上から東亜観音の社殿・松井石根の外套・書です。

広島市呉市 大和ミュージアム

広島市呉市 大和ミュージアム 戦艦大和の模型

広島市呉市 大和ミュージアム 戦闘機

広島市呉市 戦艦に搭載した大砲

広島市呉市 大和ミュージアム 海軍カレー

 写真は広島県呉市の大和ミュージアムを撮影したものです。上から、大和ミュージアム外観・戦艦大和の模型・戦闘機・戦艦に搭載した大砲・海軍カレーです。

多磨霊園 連行艦隊司令官 海軍元帥 山本五十六の墓

多磨霊園 朝鮮総督 内閣総理大臣 斎藤実の墓

多磨霊園 朝鮮総督 陸軍大将 宇垣一成の墓

多磨霊園 ゾルゲ事件 尾崎秀実の墓

 写真上は、多磨霊園で大東亜戦争に関係があった人物です。上から、連合艦隊総司令官で海軍元帥の山本五十六、朝鮮総督・内閣総理大臣・海軍大将の斎藤実、朝鮮総督・陸軍大将の宇垣一成、ゾルゲ事件の首謀者で朝日新聞社員であった尾崎秀実のそれぞれの墓です。

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Tag : 有馬哲夫 歴史問題の正解 snake attack

百田尚樹「戦争と平和」を読む

靖国神社 遊就館 戦闘機


 経営戦略にランチェスター戦略というものがある。経営者なら一度は耳にする有名な経営戦略で、実際、多くの経営者がこの戦略を学び、経営に活かしている。
 私もこのランチェスター戦略なるものを真剣に学んだことがある。ランチェスター戦略はもともとは経営戦略ではなく、戦争に勝つための戦略であった。
 私は、ランチェスター戦略を学んでいるうちに、太平洋戦争で日本がなぜ負けたかを理解し、そしてとても悲しくなった。日本が負けたから悲しくなったのではない。日本のために戦った兵士たちのことを思って悲しくなったのである。
 ランチェスター戦略の目標は、ただ勝つことではなく、損害量を最小限におさえて勝つことである。勝っても損害量が大きくてはダメなのである。ランチェスター戦略が最終的に目指すところは、兵士を一人も失わずに勝つことであった。日本はといえば、兵士の命のことなど考えずに、ただ相手を負かすことだけを考えた。アメリカの兵士の命の重さと日本の兵士の命の重さは月とスッポンほどに違ったのである。日本がアメリカに負けるのは当然であった。
 日露戦争において、約五万人の命を失って勝った二百三高地の戦いもランチェスター戦略においては最も悪い勝ち方であった。
 ランチェスター戦略には大きく二つの戦い方がある。確率戦と一騎打ちの戦いである。確率戦とは戦争における空中戦のように、高度な武器を使って敵と遠く離れて戦う戦い方で、一騎打ちの戦いとは戦争における地上戦のように敵と直接戦う戦い方である。確率戦においては、戦力比が兵力比の二乗になり、勝った時の損害量が少ない。一騎打ちの戦いにおいては兵力比がそのまま戦力比になる。たとえば、兵力比が2:1の場合、確率戦、一騎打ちの戦いの戦力比はそれぞれ4:1、2:1になり、勝ったときの損害量は確率戦で兵力の4分の1、一騎打ちのときの損害量は2分の1になる。そのため、なるべく確率戦にもっていこうとする。現在のアメリカ軍が地上戦を嫌うのはこのためである。
 確率戦の最たるものは飛行機を使った戦いであり、太平洋戦争でアメリカ軍が大量の爆撃機を使って日本中を空襲したのはさも当然のことである。湾岸戦争ではアメリカはまさにランチェスター戦略に則って行った。
 アメリカが日本より優れていたのは兵器だけでなく、兵士の命を日本よりもはるかに尊重していた。

東京九段 靖国神社

靖国神社 大村益次郎の像


 百田尚樹の「戦争と平和」は、日本が戦争をしないでいかに平和でいられるかを論じた名著である。巷間いわれているような戦争を美化する本ではまったくない。
 この本を読んで、私はすぐにランチェスター戦略のことを思い出した。いかに時の日本の戦争指導者が兵士の命を軽く扱っていたことか。
 百田は徹底的に日本のゼロ戦とアメリカのグラマンを比較する。なるほど、ゼロ戦はアメリカも驚くほどのすばらしい機能があって攻撃力は抜群であったが、いかんせん、防御力がおそまつであった。対するグラマンは攻撃力はゼロ戦よりはるかに劣るが、防御力が抜群であった。ゼロ戦は一旦劣勢になるとあとは戦闘員は死ぬだけであった。グラマンは傷ついても戦闘員がなるべく助かるように設計されていた。この違いは何からくるのか、それは、兵士の命を大事に思うかどうかである。
 百田はゼロ戦だけでなく、日本の軍隊そのものが、効率性・合理性をことごとく欠いており、最終的に兵士自身の精神的・肉体的な力に頼っていると指摘する。百田は、日本の軍隊には戦略というものがなく、やみくもに命を的に一騎打ちをしかけていると主張しているようだ。
 百田は、日本の軍隊とアメリカの軍隊の兵士の扱いが根本的に違うことを論理だって分析している。いろいろな本で日本の軍隊が兵士の命をないがしろにしているとは書かれているが、この本のようにアメリカと日本との兵器・戦略の面での比較で書かれているのはめずらしい。この一事をもってしても百田が一流の分析力をもっている作家だということがわかる。
 この本は大きく、ゼロ戦とグラマン、自著「永遠の0」、現在の護憲派について書かれているのだが、護憲派についての記述を読むと、今更ながら護憲派という人間の本性には呆れる。いかに明解な論理で説得しても、護憲派の考えを変えることは、がちがちのイスラム原理主義者をキリスト教に帰依させることよりも難しいと感じる。
 護憲派の世界では、論理が論理でなくなる。今の日本の一番の問題はこのことであろう。なにしろ戦争を否定し、日本の国を守ろうとしている平和主義者の百田のことを戦争賛美者の右翼というのだから。

 百田尚樹とはどのような人かを知りたいなら、先入観なしで、この「戦争と平和」のゼロ戦とグラマンの記述だけでも読んでほしい。

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 上の写真は靖国神社参拝時に撮影したものです。上から遊就館に展示している戦闘機、靖国神社の鳥居、大村益次郎の像です。

Yasukunijinjya_syaden.jpg

 写真上は、靖国神社の社殿です。

靖国神社 遊就館

靖国神社 遊就館 機関砲

靖国神社 遊就館 機関車

 写真は靖国神社遊就館の展示物を撮影したものです。上から、遊就館の建物、機関砲、機関車です。

靖国神社 パール博士顕彰碑

靖国神社 特攻隊士を讃える像

靖国神社 護国海防艦の石碑

 写真上は、靖国神社境内に建立されている石碑を撮影しました。上から、パール博士顕彰碑、特攻隊士を讃える像、護国海防艦の石碑です。

靖国神社 参道

靖国神社 神道無念流練兵館跡の石碑

>靖国神社 境内にある「空の新兵」の歌詞板

 写真上から、靖国神社の参道。神道無念流練兵館跡の石碑・案内板、「空の新兵」の歌詞板です。



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Tag : 百田尚樹 戦争と平和

石平 「なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか」を読む

奈良 飛鳥寺 飛鳥大仏


 日本は中国から強い影響を受け、様々な制度・文化を取り入れたのは厳然とした事実である。律令制も漢字も中国から伝わった。特に、漢字は日本の文化の土台を成すもので、漢字がなかったら日本の文化は語れない。韓国も同様に中国から強い影響を受けている。日本・中国・韓国は同じ中国文化圏のもとで歴史を歩んできたことになる。

 個人的なことを申せば、私は大学で中国の歴史を学んで以来、長い間、中国の古典に親しんできた。「論語」「唐詩選」は愛読書であり、「水滸伝」「金瓶梅」も何度か読んだ。私は正直いって、中国の古典に畏敬の念をもっている。

 「論語」というと、堅苦しい道徳の書で人の心を縛るものだと敬遠されがちだが、何度も読むと味わいが出てきて、何とも人間愛に満ちた書物であることがわかる。「論語」を儒教に被せて軍国主義と結びつける輩がいるがまったくの的はずれである。
 「論語」が現代日本人の行動原理の一部を成していることは否定できない。だからこそ、日本人の行動が世界から賞賛されるのである。日本人の行動原理の核を成すものは武士道であり、武士道を形成する大きな要素が「論語」であることを日本人自身が肝に銘じなければならない。

 競技において勝者は敗者をいたわれ。意外かもしれないがこれは「論語」の教えるところで、孔子はスポーツマンシップも説いているのである。下の者が上の者に対する礼儀があると同時に、上の者が下の者に対する礼儀もある。これも「論語」で繰り返し教えるところである。日本人の客が店の者に礼を尽くすのは、この教えが生きているのかもしれない。日本人の美徳のルーツを辿ると「論語」に行き着くことが多くある。

 「論語」から影響を受けた日本人の行動が世界から賞賛されるのなら、「論語」の本場の中国人や「論語」に日本より強く影響を受けた韓国人の行動は日本人よりはるかに賞賛されるはずだが、彼らの行動は非難されることはあっても、褒められるということはない。中国と韓国が高度経済成長を果たしたここ三十年ばかりの中国と韓国の行動を見ていると私は同じ「論語」を学んだ国なのかと唖然としている。中国も韓国も国を挙げて平然と約束を破り、平気で嘘をいう。中国人も韓国人も日本人とまったく異質だといわざるを得ない。日本・中国・韓国が心から仲良くする時代は永遠に来ないと確信する。

湯島聖堂 孔子像

湯島聖堂 大成殿


 なぜ、同じ「論語」を学びながら、日本と中国・韓国はこうも違うのであろうかと疑問に思っていたが、その疑問を解消してくれる本に出合った。それが石平氏の「なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか」である。

 この本を一読してまず思ったことは、石平氏が中国から帰化した日本人だからこそ、中国と日本を相対化して見れるのだということである。石平氏は、日本が中国から多大な影響を受けながら、中国文化の核ともいえる中華思想に毒されなかったことに驚いたのであろう。

 石平氏は、日本に儒教が仏教より早く伝わってきたのに、儒教を軽んじて仏教を熱心に取り入れたのは、中華思想を否定したからだという。時の日本のリーダーは儒教を本格的に取り入れると、必然的に中華思想の影響を受け、結果的に日本が中国の属国になると気が付いていた。中華思想とは、中国が世界の中心で、中国の回りの国々は文明の劣った野蛮な国だというものである。中華思想を受け入れるとは、中国の柵封体制に組み入れられるということである。

 日本ははなから中国の属国になることを否定し、インドで発生した仏教を重んじたのである。日本は中国と対等に付き合おうとした。日本は独立国家であると中国に主張をした日本のリーダーが聖徳太子である。

 江戸時代になるまで、日本では儒教は無視されたが、江戸時代になると幕府は儒教を重んじ、寛政になると朱子学を官学にした。儒教は武士の必修であったのである。ところが、日本人の儒者の中には、荻生徂徠のような朱子学を否定するものが現れ、日本独自の儒教を構築していった。いわゆる古学派といわれる人たちである。古学派は直接「論語」を研究した。古学派の成立によって中国の儒教と日本の儒教は本質的に違うものになった。 古学派の流れは国学を生む。国学は中国そのものを否定するものである。国学は日本の古典を研究することによって、日本人本来の感性を突き止めた。「ものの哀れ」を感じることが日本独自の感性だというのである。

 江戸時代の後期は儒教と国学が並立しいるが、儒教が衰えることはなかった。それよりも、明治になると、儒教は国民全体に浸透してくる。教育勅語は儒教がベースになっている。
 石平氏は、なぜ明治になって儒教が日本に江戸時代以上に浸透したかについて、またその影響が現代にどう及ぼしているかは、今後の研究課題だとしている。

 この本を読むと、江戸時代までの日本は儒教にしろ仏教にしろ盲目的に受け入れるのではなく、受けいれても日本の風土にあったように作り変える知恵があったことがよくわかる。それだけ、日本人は独立自尊の気概をもっていたのであろう。

 これからますます国際化に進む現代の日本は、果たして、先人たちのように独立自尊の気概をもつことができるのであろうか。この本はある意味、盲目的に外国の文化を取り入れる現代日本人たちへの警告の書かもしれない。

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 写真上から、奈良飛鳥寺にある飛鳥大仏、湯島聖堂に建立されている孔子像、大成殿です。

奈良 飛鳥寺

奈良 飛鳥寺 652年壬申の乱の石碑

奈良 飛鳥寺 

 写真上から、奈良飛鳥寺の山門、飛鳥寺に建っている672年壬申の乱の石碑、飛鳥寺西門跡の案内板です。

奈良 談山神社

奈良 談山神社鳥居

 写真上から、奈良県桜井市にある藤原鎌足が祭神の談山神社の石碑と鳥居です。

湯島聖堂 昌平黌跡

港区 荻生徂徠墓所

港区 荻生徂徠墓所の案内板

 写真上から、千代田区湯島聖堂、港区にある荻生徂徠の墓所と案内板です。


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Tag : 石平 なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか

竹田恒泰 「天皇は本当にただの象徴に堕ちたのか 変わらぬ皇統の重み」を読む

国会議事堂


 江戸時代、日本の数学(和算)はある分野では西洋と較べてもかなり進歩していた。和算家の建部賢弘は円周率を小数第十位まで求めていた。当時の西洋ではまだ円周率を小数第十位まで求められなかった。
 和算は庶民一般にまで広がったのだが、明治になるとともに衰退し西洋数学に取って代わられた。和算が衰退したのは、日本に自然科学が発達しなかったからだ。西洋数学は自然科学と協調して進歩した。
 西洋で自然科学が発展したのは、自然が人間の敵であり、それを解明しなければ人間が滅びてしまうからである。自然科学とは敵である自然を解明する手段である。対するに日本においては、人間と自然は共生の関係にあり、人間は自然を愛し、敵として認識することはなかった。
 なぜこのようなことを書くかというと、天皇陛下の譲位を前にして、歴史上、天皇とは日本人にとってどのような存在であったかを改めて考えているからである。
 現在でも日本人の中には、戦前の天皇が独裁者であると思っている人がおり、欧米にいたっては昭和天皇は先の太平洋戦争の最悪の戦争犯罪者だと断罪する人たちがいる。
 独裁者とは人民に対する対立概念である。西洋では、人間と自然が対立概念であるように、君と民とも対立概念である。だから、革命という概念が存在する。それに対して、日本では人間と自然が共生しているように、人民と天皇も共生しており、一心同体といってもよい。西洋の風土では、君が独裁者に豹変することがあるが、日本では、天皇が独裁者になり得ようがない。
 明治憲法によって、天皇は憲法で認められた独裁者ではなかったかという輩もいるが、この輩は帝国憲法第一条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」をさして、天皇は何でも自由にでき、政府も軍隊も意のままに動かすことでできると思っているのであろう。太平洋戦争も天皇の意志で行ったと思っているに違いない。
 だが、もし本当に昭和天皇が独裁者であったら、あの太平洋戦争はなかったであろう。昭和天皇は平和をこよなく愛し、日米開戦を何とか回避しようとした。あの戦争は、合議の上、正式な手続きによって、日本政府が決めたのである。ただ、憲法上、天皇が宣戦布告したのだ。

皇居 二重橋


 帝国憲法のもとにおいて天皇ははたして独裁者であったのか、この疑問に対して明解に解答を与えてくれるのが、竹田恒泰著「天皇は本当にただの象徴に堕ちたのか 変わらぬ皇統の重み」である。
  この本は本来学術論文であるが、わかりやすく書かれている。天皇とは何かを考える上でたいへん参考になるもので、帝国憲法・日本国憲法と古事記・日本書紀を併行して引用して天皇を論じており、このような憲法と古典が混交している憲法解説書は稀なのではないか。この本を読んで、竹田が優れた憲法学者であると同時に優れた文学者であると感心した。
 この本の主題は、戦後に唱えられた宮沢俊義教授の「八月革命説」が正しかったか否かを検証することである。八月革命説とは、1945(昭和20)年8月14日に日本が正式にポツダム宣言を受諾したことにより、法的な意味の革命によって、天皇主権から国民主権になり、日本国憲法は全く新しく国民が制定したと考える説のことである。
 宮沢がなぜこの説を提唱したかというと、帝国憲法から日本国憲法への変更は改正の限界を超えるものとしたからである。この説に則ると、帝国憲法と日本国憲法とは完全に別物で何ら連続性がなく、万世一系も無視され、昭和天皇は百二十四代天皇ではなく、象徴天皇として初代天皇になるということである。この説はかなり衝撃的であるが、さらに衝撃的なのは、この説が現在でも憲法学者の間で通説になっているということだ。
 竹田は現在の憲法学者が拠って立つ論理的土台を果敢にも、論理的に正しいかどうかを検証しているのである。
 竹田の検証の主な対象は次の三点である。
  1. 帝国憲法では、天皇主権ないし神勅主権がその根本建前であったのか。
  2. 帝国憲法のもとでは、天皇は自由に国政に参加でき、日本国憲法のもとでは、天皇は象徴天皇として全く国政に参加できないのか。
  3. ポツダム宣言は日本が国民主権になることを求めているのか。
 1~3のいずれにおいても、竹田は、幅広く資料に当たり深い考証を行っている。結果として論理的に八月革命説を見事に否定している。
 印象に残っているのは、帝国憲法のもとでは天皇は国務大臣の輔弼によってのみ国政に参加でき、自らの意志で政府を動かしたのは、二・二六事件の反乱軍の鎮圧と首謀者の処罰そしてポツダム宣言の受諾だといい、ただ、これも最終的には合議をもって決定したという。帝国憲法のもとでは、天皇は自らの意志で国政に参加することはほとんど不可能であったということだ。翻って、日本国憲法のもとでは、天皇は国事行為をする際、内閣の助言と承認を必要とされるが、実際には内閣総理大臣の任命権や衆議院の解散権を与えられているという。輔弼も内閣の助言・承認も本質的には同じで、結論として、帝国憲法でも日本国憲法でも天皇の立場はほとんど変わらないとしている。

 この本の中で心を打つのは、やはり歴代の天皇が人民に寄り添い、つねに人民の幸福を祈っているという件である。このことを最もよくわかっているのは、他ならぬ人民ではないのか。だからこそ二千年近くも皇統は続いているのである。日本で、西洋流の革命が一度も起こったことがないことは歴史が証明している。

 ふと、私は西洋の思想を土台として作られた憲法典で天皇の動きを縛るようなことが、はたして日本の長い伝統に馴染むのだろうかと疑問に思った。日本人にとって天皇は内面的に強く親密に繋がった存在で、それは言葉を超えている。

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 写真上から、国会議事堂、皇居の二重橋です。

憲政記念館 「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄の銅像

国会議事堂 井伊家(旧加藤清正邸)旧邸の案内板

国会議事堂 「櫻の井」は名水井戸として知られ、江戸の名所として安藤広重の絵にも描かれました。

 写真上は、国会議事堂の周辺で撮影したものです。上から、憲政記念館入口に「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄の銅像、井伊掃部守邸宅跡の案内板、「櫻の井」は名水井戸として知られ、江戸の名所として安藤広重の絵にも描かれました。



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Tag : 竹田恒泰 天皇は本当にただの象徴に堕ちたのか 変わらぬ皇統の重み

篠田英朗 「ほんとうの憲法 ─ 戦後日本憲法学批判」を読む

法務省


 憲法改正はすべきか。法律の専門家ではない私は、憲法は一通り読んだことはあるが、真剣に考えたことはない。しかし、いよいよ安倍首相が憲法改正を口にしてから、俄然、公に憲法改正が議論されるようになり、いやがうえにも憲法に注目するようになった。
 国会議員の憲法についての発言が多く紹介されるようになったが、中には唖然とするようなものもある。とりわけ私にとって理解不能な発言は、野党党首の「憲法とは政府の権力を制限するものだ」「憲法があったから、戦後70年以上も日本は平和でいられた」というものである。この野党党首が率いる党が政権をとったときのことを考えると暗澹たる気持になる。
 常識的に考えて、憲法は日本人の生命・財産を守るためにあり、何も政府の権力を制限するためにあるのではないだろう。そもそも政府を動かす国会議員は主権者たる国民が選ぶもので、もし、政府が権力を乱用して国が不幸に陥ったとき、その責任は国民が負うべきである。
 また、戦後の日本が平和であったのは憲法があったからではなく、明らかに日米安保条約があったからである。逆に、憲法があるからこそ、現在、北朝鮮がミサイルを日本近海に飛ばし、中国の潜水艦が日本の領海を侵すのではないのか。憲法上、攻撃を受けない限り、日本は何もできないのである。北朝鮮も中国も日本のことをよく知っている。
 憲法論議がさかんになるにつれ、憲法学者なるものが一躍脚光を浴びるようになり、テレビによく出るようになった。さも高説を述べるかと思いきや、あにはからんや、憲法学者とは一体何者なのかと不思議に思うばかりである。ある憲法学者の述べたことに、私は耳を疑った。何と、法律が合憲か否かは最高裁判所ではなく、憲法学者によって決められるというものである。まるで、憲法とは憲法学者のためにあるかのような物言いである。憲法は国民のためにあるのではないのか。最高裁判所が合憲と認めているのに、多くの憲法学者は未だに自衛隊を違憲だとしている。
 日本の憲法は一体どうなっているのか。私は憲法について詳しく知りたいと思った。

東京大学正門


 篠田英朗著「ほんとうの憲法──戦後日本憲法学批判」はタイトル通り、本当の憲法の姿を教えてくれる。テレビに出てくる憲法学者が決して口にしない内容が随所に書かれており、憲法の通説に馴らされた私にはかなり衝撃的な本である。
 著者の篠田は憲法学者ではなく、国際関係を研究する学者である。そのためか、憲法を成立過程から客観的に国際的な視点で、明解な論理で論じている。

 私はこの本を読んでまず感じたのは、これは、東大法学部出身の憲法学者たちが独特の共同体を形成して憲法を自家薬籠中のものとし、独善的な憲法解釈を国民に押し付けている実態を告発した書だということだ。この本を読む限り、憲法学者は偏見に満ちた教義に固執する中世の神職者のようだ。

 篠田は第1章で立憲主義を扱い、通説を覆す説を述べている。国民主権・基本的人権の尊重・平和主義は憲法の三大原理ではなく、憲法には一大原理しかなく、それは憲法の前文に述べられている「国政は、国民の厳粛な信託による」というものであり、これが立憲主義の本質だと篠田はいう。私たちが教え込まれた憲法の三大原理は憲法学者の作った空論だといっているようだ。
 篠田の説で、憲法学者と決定的に違うところは、憲法は国際協調主義に則って作られたということである。憲法と国際協調主義は篠田の主張する最重要テーマで、この本の大半はこのテーマについて書かれている。
 そもそも憲法は、日本が再びアメリカと戦争をしないために作られたもので、それはとりもなおさず、日本を平和国家にすることである。憲法の前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼」の諸国民とはアメリカを中心とする周辺諸国の国民をさしているという。

 国際協調主義によって作成された憲法は、国際法の影響下にあるといってよく、国際法が認める自衛権は憲法も認めていると篠田は力説する。憲法学者たちは、憲法は国際法より優越しているとし、憲法は自衛権を認めていないと主張している。
 篠田は、日本の平和国家化を規定した憲法9条はアメリカの軍事力を背景に作られ、必然的に日米安保条約を準備するものだといい、実際、1951(昭和56)年に日本が独立をはたしたとき、日米安保条約は結ばれた。以後、日本の国体は、表の支柱を憲法9条とし、裏の支柱を日米安保条約としたものとなり、現在にいたっている。このことは、憲法9条だけでは日本は平和国家になれないということだ。

 この本の全体を通して、篠田の筆の矛先はつねに憲法学者たちに向かい、彼らの説を徹底的に批判する。

 憲法学者の決定的な誤謬は、本来英米法を基に作られた憲法をドイツ国法学的に解釈したことであり、これは、明治以来、東大法学部の伝統であると、篠田は指摘する。
 憲法を作ったのがアメリカ人だという厳然とした事実を前にしても、憲法学者はアメリカという国を無視し、憲法はアメリカの押し付けだという論にも与しない。これは、学者的態度というよりも政治的態度であり、ある目的をもって憲法を解釈しているのだという。その目的とは、国家権力すなわち政府に抵抗することだと篠田は結論付けている。

 篠田は憲法改正について、自衛隊は国際法を遵守する限り合憲であり、9条を改正するならば、9条3項を創設して次の規定を入れるならば、憲法改正は認めてもいいといっている。
「前2項の規定は、本条の目的にそった軍隊を含む組織の活動を禁止しない。」

 私はこの本を読んで、憲法とは一体誰のもので、誰のためにあるかを国民が真剣に考える時期にきているのだと、痛切に思った。

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 写真は、上から霞が関の法務省と下は東京大学正門です。

法務省 旧米沢上杉江戸藩邸跡の石碑

 写真は、法務省の花壇に建っている旧米沢上杉藩邸の江戸屋敷跡の石碑です。

最高裁判所

最高裁判所 渡辺崋山生誕地の説明板

 写真上から、旧江戸城半蔵門近くにある最高裁判所と最高裁判所の前に建っている「蛮社の獄」の渡辺崋山誕生地の説明版です。

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Tag : 篠田英朗 ほんとうの憲法 戦後日本憲法学批判 東京大学法学部

猪瀬直樹 磯田道史「明治維新で変わらなかった日本の核心」を読む

伊勢神宮 鳥居 宇治橋


 気のせいか、近頃出版される一般向けの歴史の本が質的に変わってきたように思う。興味本位ではなく、切実に日本の国の成り立ちを解明しようとする姿勢が垣間見えるからである。
 現在、日本という国が本質的に変わろうとしている。その顕著な例が憲法改正である。正直なところ、私は長い間、憲法とは変えられないものだと思っていたし、事実、五十年近く、安倍総理大臣以前の総理大臣が憲法改正を国会で口にするなどありえないことであった。口に出した瞬間、内閣は潰れたであろう。日本人にとって、憲法は決して変えることのできない不磨の大典の趣きがあり、憲法は戦後の日本の国の形を縛ってきた。
 国が劇的に変わろうとするとき、国民は、国の本来の姿を知りたく、作り物でない本当の歴史を求めるのであろうか。本当の歴史こそが未来への指針となるからである。
 考えてみれば、私たちはいかに作られた歴史に惑わされてきたことか。はたして江戸時代は武士を頂点とする身分社会で、農民は自由がなく年貢を絞りとられていたのか。はたして日本の資本主義は明治になって突然発展したのか。はたして、天皇は権力者として君臨したのか。
 太平洋戦争において、私は痛烈に疑問に思ったことがある。太平洋戦争といえば、日本の軍国主義ばかりが強調されるが、なぜ、日本は世界の最強大国であるアメリカと戦争をし、約四年に渡って戦いをすすめることができたのか。日本の国力はそれほどすごかったのか。また、アメリカの占領後、なぜ、GHQのマッカーサーは廃止すると計画していた天皇制を維持したのであろうか。
 おそらく、教科書のような作られた歴史では、この二つの疑問に解答を与えることは難しいだろう。解答を得るには、江戸時代の真実の歴史、歴史上天皇の本当の役割を知る必要がある。

伊勢神宮 社殿

伊勢神宮 旧社殿


 評論家猪瀬直樹と歴史学者磯田道史の対談本「明治維新で変わらなかった日本の核心」は、目からウロコのまさに歴史の啓蒙書である。古代から明治までの日本の歴史について、作られた歴史をまったく無視して、忌憚なく論じている。その主張には説得力がある。それにしても、専門家とはいえ、磯田の広く深い歴史研究には畏れ入る。
 冒頭、「赤穂事件」を扱っている。猪瀬は、吉良上野介が赤穂浪士の討ち入りで殺されたのは、徳川家の陰謀ではないかという仮説を紹介している。理由は、徳川家が高家である吉良家の禄四千石を惜しんだからである。吉良が本所に屋敷を与えられたのは左遷ともいっている。それから、天皇の権威についての討論が始まるのである。
 この徳川家の陰謀説を私は初めて知り、驚いた。この本全体を通して、私は驚きの連続であった。その中で、特に驚いた内容は次の二点である。

(1)天皇は権力をもたず、権威をもっていた。
(2)江戸時代、日本は近代的資本主義のシステムをすでにもっていた。

(1)に関していえば、日本人は権力と権威を使い分けていたというのである。江戸時代、徳川家が権力をもつが、天皇は権威をもっていた。武士が最高の名誉とされる官位は徳川家を通して天皇家から与えられるのである。その見返りに天皇家は禄を与えられていた。徳川家は天皇の権威を否定することなく、その権威を最大限利用した。天皇が権威をもつことは、ほとんどの日本の歴史を通じてあてはまるという。

(2)に関しては、この本の主要テーマであるため、かなり詳しく論じられている。目からウロコの内容は、江戸時代、農民は土地の所有権をもち、それを担保に借金ができたこと、かなりの農民が商工業を兼業していたこと、金融制度がしっかりしていたこと、農民は自由に移動でき流通が整っていたこと、信用社会であったことなどなど。極め付きは、少年二宮金次郎が背負っていた薪は、付加価値の高い燃料で、それを売っていたことである。二宮少年はいかに大量の薪を手に入れ、それをいかに効率よく売ることを情報を広く集めて常に考えていたのである。二宮金次郎とは近代的経済人であった。

 二人の主張を読んでいると、江戸時代はもはや封建時代とはいえない。

 明治になって、江戸時代のシステムを残しながら西洋のシステムを導入して、日本は資本主義を発展させ、昭和になってアメリカと戦争ができるくらいの経済大国になっていたのである。
 また、マッカーサーは天皇が日本人の侵すことのできない最高の権威であることを知ったからこそ、天皇制を残したのである。

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 写真は、上から伊勢神宮の鳥居が建立されている宇治橋、伊勢神宮の社殿、旧社殿です。

出雲大社 鳥居

出雲大社 社殿

 写真上から、出雲大社の鳥居、社殿です。

明治神宮 鳥居

明治神宮 明治天皇御製

明治神宮 社殿

 写真上から、明治神宮の鳥居、明治天皇御製・昭憲皇太后御歌、社殿です。

 併せて読むと、幕末から明治の激動期がよく理解できます。
ヨーゼフ・クライナー編「ケンペルのみたトクガワ・ジャパン」を読む
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アーネスト・サトウ「一外交官の見た明治維新」を読む
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Tag : 猪瀬直樹 磯田道史 明治維新で変わらなかった日本の核心

田中秀雄「朝鮮で聖者と呼ばれた日本人 重松髜修(まさなお)物語」を読む

拓殖大学


 日本と韓国はどうなっていくのか。2017年の年の瀬も押し迫って、韓国政府は2015年12月の従軍慰安婦問題に関する日韓合意が妥当であったかどうかの検証結果を発表した。
 その内容は予想された通り、合意そのものを否定するものであった。政府と政府が合意されたものがいとも簡単に覆されたのである。
 ただ、今回の一連の韓国の日本に対する非難において喜ばしいことが起きている。それは、韓国の主張に対して同調する日本人の勢力が弱くなったということである。テレビに至っては韓国を擁護する意見は皆無であった。
 私は日韓問題は本質的には日本の国内問題であると思っている。戦前の日本イコール悪という公式が成り立つ内は、日韓の歴史問題はなくならない。
 本当に戦前の日本は悪だったのか。本当に日本は韓国を併合したとき、朝鮮民族に空前絶後の悲惨な目に合わせたのか。それに解答を与えるのは日本人自身である。
 私たちができることは勇気をもって正々堂々と真実を伝えていくしかないのである。

拓殖大学 創立者 初代総長桂太郎像

多磨霊園 拓殖大学第二代総長新渡戸稲造


 私が読んだ日韓併合時代のことを書いた本の中で最も感動した本の一つが田中秀雄の「朝鮮で聖者と呼ばれた日本人 重松髜修(まさなお)物語」である。
 この本を読んだとき、本のタイトルにある通り、まさに重松は聖者だと思った。正直、日本人いや人間を超えた存在だと思った。同時に、私は重松を聖書に出てくるモーゼと重ね合わせた。エジプトの奴隷となっていたユダヤ人をエジプトからユダヤ人の故郷であるイスラエルの地に想像を絶する苦難を乗り越えて連れ帰ったのがモーゼである。無知蒙昧なユダヤ人たちは奴隷でいることを望み、モーゼに反抗した。
 重松は朝鮮の八田與一とよばれているようだが、根っからの技術者の八田と重松は違うような気がする。重松は、技術者をも超えた神がかり的な人であったと言うべきか。
 それでは一体重松は具体的に韓国で何をしたのであろうか。
 重松は明治24年に松山市で生まれ、東洋協会専門学校(現拓殖大学)を卒業し、大正4(1915)年に韓国に移住し、終戦までの約30年間の大半の時間を金融組合の理事の仕事に費やした。
 金融組合とは農民相手の銀行みたいなもので、目賀田種太郎が朝鮮半島全土に展開し、旧態依然の紊乱した朝鮮の財政状況を劇的に改善するために設立した。
 当時の朝鮮は日本では中世といってよいほどの未開の地で、国の体を成しておらず、金融制度もなかった。あるのは高利貸しだけであり、農村は全く疲弊していた。
 重松は大正6(1917)年に陽徳という地の金融組合の理事になった。ここで、人生最悪の惨事に出合う。三一独立運動に遭遇し、暴徒に右太ももを拳銃で撃たれ、生死をさまよう。幸運にも一命はとりとめたが、右足は生涯不自由となった。しかしこのことにもめげず、重松は金融組合の理事に執着し、数年後、江東という地の金融組合の理事に就任した。 重松の歴史に残る業績はこの江東の地で行われた。貧しい生活を強いられ、預金ができなく、将来の見えない農民たちに、卵を売るという副業を教えたのである。
 鶏を飼育し、卵を生ませ、それを売った代金を預金することを説いた。預金は将来ある程度溜まったら、生活向上のために投資をさせる。その具体的な目標として、30円溜まったら牛を買うことにした。牛は耕作をするうえで大変重宝なもので、生産性がすこぶる高まる。ただ、多くの農民にとっては垂涎の的であり、まして、卵を売って牛を買うことなど、誰も信じなかったし、不可能なことだと思った。
 重松は不可能を可能にしようとした。こう決断したとき、重松は金融の人間の枠を大きくはみだし、養鶏事業の専門家へと突き進んだ。私財を投げうって、日本から良質の鶏を仕入れ、養鶏舎を作り、飼育に精を出した。無論、金融組合の仕事をしながらである。夫婦ともに睡眠時間をぎりぎりまで削って頑張った。鶏が有精卵を生むと、それを無償で江東の農民たちに配った。農民たちは乗り気ではなかったが、重松の熱心な説得に徐々に理解を示し、一人二人と卵を売ることを始めた。次第に卵を売る農民たちが増え、それとともに、農民たちは勤勉・努力・節約という生きていく上での貴重な資質を身に着けていくのである。重松は卵の生産の指導だけでなく、販売・マーケティングなどすべてを受け持った。まさに八面六臂の活躍である。
 養鶏事業を始めて5年もたつと、いよいよお金が溜まり、現実に牛を買う農民が現れた。夢が現実化したのである。その後、続々と牛を買う農民が増え、牛だけでなく土地を買って農地を拡大させた人が多く現われた。江東の農民たちは自立し、生活を見事に安定させた。卵を売ることによって小学校さらに上級の学校に行けるようになり、医者になるものまで出た。重松は卵によって、江東をまったくそれまで考えられなかった豊かな別天地に変えたのである。
 この本の圧巻は何といっても、終戦直後、朝鮮人が日本人に憎悪の目を向け、重松が官公吏だったという理由で警察に逮捕されたときのことである。おそらく重松は死ないし一生日本に帰れないことを予期したはずである。
 ところが重松は命からがら日本に帰国することができた。重松を取り調べた検事は金東順という人で江東の貧しい農家の出身であるが、卵の貯金で上級の学校に行き、検事になった。金は重松と二人きりになると、重松のことを「重松先生」と呼び、無事日本に帰国させることを約束した。実際金は用意周到に準備をし、見事に重松を日本に帰国させることに成功したのである。まさに、金は徳をもって重松の恩に報いたのである。この一事だけでも重松が何をしてきたかがわかるであろう。

 私は重松のような日本人がいたことを心底誇りに思う。日韓併合時代、日本が韓国に何をしたかを知りたい人にはぜひとも読んでほしい本である。

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 写真は、上から重松髜修の出身校である東洋協会専門学校(現拓殖大学)です。写真中は、拓殖大学創立者で初代総長の桂太郎像です。桂太郎は日露戦争時の内閣総理大臣でした。写真下は、多磨霊園で写した拓殖大学第二代総長の新渡戸稲造像です。ちなみに第三代総長は、内務大臣、関東大震災時の東京市長だった後藤新平です。拓殖大学は内務省管轄の学校でした。戦前の朝鮮や台湾で活躍した人に拓殖大学出身者が多くいます。

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磯田道史「龍馬史」を読む

品川区立会川駅前の公園に建っている坂本龍馬像


 歴史上、誰が好きかというアンケートをとると、いつであってもトップになるのは坂本龍馬である。ただ、この「いつ」というのには条件が付く。司馬遼太郎が「龍馬がゆく」を書いた以降である。
 龍馬の人気はすさまじいもので。テレビでは何度もドラマ化され、龍馬に関しての本は数え切れないぐらい出版されている。何故龍馬は人気があるのか。「龍馬がゆく」が龍馬をヒーローとして描いたからだといってしまえば、それまでだが、「龍馬がゆく」の細部はほとんどがフィクションに近い。それは当たり前のことで、小説家は人物をいかに魅力的に描くかが重要な仕事だからだ。人物の思想・行動原理を深く論理的に追求することはあまりしない。龍馬の思想・行動の原理を「龍馬がゆく」から読みとるのはかなり難しい。これは、司馬が師と仰ぐ子母沢寛の「勝海舟」にもいえる。この本では主人公勝海舟ほたいへん魅力的な人物と描かれているが、細部はほとんどフィクションである。うっかり史実として信用したらとんでもないことになる。

 もうはるか遠い昔になるが、私が大学で近代史の授業を受けたとき、教授が「最近、卒業論文に参考文献として司馬遼太郎の小説をあげる人がけっこういる。これはいかんよ。」と言った。この言葉を聞いて、私はカチンときたのだが、今になって思えば教授のいったことは正しいと思わざるを得ない。ただ、「龍馬がゆく」「勝海舟」にしろ坂本龍馬・勝海舟に興味を起こさせるにはすばらしい本である。

品川区立会川駅前の公園に建っている坂本龍馬説明文

品川区立会川駅前の公園に建っている坂本龍馬案内図


 それでは、龍馬の思想・行動原理を知るにはどうすればよいのか。専門的な研究者の本を読むことだが、その内容の論理展開が龍馬の自筆の手紙を根拠としているならば鬼に金棒である。自筆の手紙こそ、史実を知る上での最高の資料である。磯田道史の「龍馬史」はそのような意味において、龍馬の思想・行動原理を知る上で最適な本である。著者の磯田はよくテレビの歴史番組のコメンテーターとして登場するが、研究者としては一流で、私は「武士の家計簿」を読んで、すっかりファンになった。「龍馬史」は龍馬の自筆の手紙をすべて読み真の龍馬の人物像を追求したものである。

 私がこの本を読んで、深く納得したのは次の3点である。
1.龍馬が海軍と外国の貿易とを最重要視した。
2.幕末の動乱において、イギリスが深く関与している。
3.幕府見廻組が龍馬を暗殺したという説を完膚なきまでに証明した。

 1では龍馬の師である勝海舟の受け売りのように思われるが、龍馬は海舟以上に貿易の必要性を指摘した。私は龍馬は海舟の主張を行動原理として動いていたと思ったが、それは違うことがわかった。龍馬は海舟よりも国家のイメージが明確で幅も広い。三岡八郎(後の由利公正)とは何度か新国家の財政はどうあるべきかを議論している。ここまでは海舟もあまり考えていなかった。
 2については最近、新政府軍の黒幕はイギリスで、幕府軍と対峙する際、イギリスがかなりの資金援助をしたという説が出てきた。私はこの説はかなり真実に近いのではないかと思っている。磯田は黒幕とはいってないがイギリスが武器の調達にかなり便宜を計っており、その間に介在した中心人物が龍馬であったことを指摘している。幕末・維新においてイギリスと日本は想像以上に親密であったと私は思っている。そうでないとあの日英同盟が考えられないからだ。磯田には別の本で幕府・維新においてのイギリス・日本との関係を詳しく述べてほしい。
 3は、私にとって非常に残念な内容である。私はさしたる確証もなく、状況判断で龍馬を暗殺したのは薩摩藩ではないかと推測していたからだ。私は磯田の論証によって、薩摩藩説を取り下げるしかない。もうこれからは、見廻組暗殺説以外の説は語れないだろう。
 それにしても、龍馬が京都所司代の永井玄蕃守と親しかったので、幕府が殺すはずがないと思っていたのに、その永井玄蕃守に会いに行くことが龍馬の暗殺につながるとは、私は全く知らなかった。

 龍馬に関しての本はこれからも、続々と出てくるであろうが、この「龍馬史」と並行して読むことをおすすめする。

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 併せて読むと、江戸時代、特に幕末の激動期がよく理解できます。
ヨーゼフ・クライナー編「ケンペルのみたトクガワ・ジャパン」を読む
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エドゥアルド・スエンソン「江戸幕末滞在記 若き海軍士官の見た日本」を読む
エメェ・アンベール「絵で見る幕末日本」を読む
藤田覚「幕末の天皇」を読む
アーネスト・サトウ「一外交官の見た明治維新」を読む
渡辺京二「逝(ゆ)きし世の面影」を読む
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テーマ : 読書感想文 - ジャンル : 小説・文学

Tag : 磯田道史 龍馬史