倉田百三「愛と認識との出発」を読む

 旧制高校といえばエリート集団であった。とりわけ旧制高校の中でもナンバーワンといわれた第一高等学校は超エリート集団であった。ところがエリートゆえに悩んだ一高生も多くいた。
 明治の世には藤村操という一高生が華厳の滝に飛び込んで自殺した。藤村は漱石の教え子でもあった。昭和になってからは「二十歳(はたち)のエチュード」を書いた一高生の原口統三が自殺した。藤村にしても原口にしてもこれはというはっきりした自殺の理由はなかったが、2人とも人生や生き方について真剣に悩んでいたのは事実であった。
 大正時代にも自殺するぐらい悩んだ一高生はいた。その1人が倉田百三である。倉田は「出家とその弟子」を書いた作家である。倉田は広島生まれで、第一高等学校に進む。同級生には芥川龍之介・菊池寛などがいた。倉田は一高在学中から論文をいろいろと書いた。倉田が21歳から29歳まで書いた論文をまとめたのが「愛と認識との出発」である。

 「愛と認識との出発」は1921(大正10)年に岩波書店から刊行されるや、その年に何十版も版を重ねたちまちベストセラーになった。以後、若い人たち特に一高生に一番愛読された本である。
 「愛と認識との出発」はまさに若い知的エリートたちに読まれるべくして読まれた本といえる。この本に載っている論文の内容は宗教・文学・恋愛・哲学・生き方など多岐に渡っており、すべて倉田が悩んだ末に書かれたものだとわかる。若い知的エリートならどこかで共感するはずだ。
 現在、ある程度年をとった知識人といわれている人たちに最もよく読まれているのが西田幾多郎の「善の研究」であるらしい。この日本で初めてといわれる西洋哲学書は刊行されてもあまり人の関心を誘わなかった。この本を真っ先に評価したのが倉田である。「愛と認識の出発」の中でも倉田はかなりの量を割いて「善の研究」に言及している。倉田はよほど西田のことが好きだったのだろう。

<個人あって経験あるにあらず、経験あって個人ありうのである。個人的区別よりも経験が根本的であるという考から独我論を脱することが出来た。>

と記している。実際に倉田は西田を訪れた。
 若い人たちが悩むのは当たり前のことである。特に知的な若い人たちが最も悩むのは性の問題である。「愛と認識との出発」の中でも倉田は性の問題についてある意味支離滅裂な論理でもって論じている。人生を長く経験した人が読めば、滑稽さを感じる部分もあるが倉田が真摯に性について悩んでいたのがわかる。
 倉田は病弱で、それが原因で一高を中退した。その後療養生活にはいる。好きな女性から絶縁状をもらったこともある。倉田は現実的に悩みの多き生活を送ったのである。
 「愛と認識との出発」の中にはいろいろな人物の名前がでてくる。その中で繰り返しでてくるのがドストエフスキー・トルストイ・キリスト・親鸞である。倉田はこの4人を悩み抜いた末に救いの光を見出した人間とみているようだ。倉田がドストエフスキー・トルストイの作品や聖書そして「歎異抄」を繰り返し読んでいるのがよくわかる。

 「愛と認識との出発」は難解なところもあるが、倉田が真剣に人生に悩んおり、そして倉田がやさしく愛のある人であることがよくわかる。

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