寺田寅彦「地震雑感/津浪と人間 寺田寅彦随筆選集」を読む

 東日本大震災から早1年以上たつというのに、今だに被災地は瓦礫の山だし、原発周辺は立ち入り禁止である。故郷に戻れない被災者の気持はいかばかりか。
 私たちは、原発の恐ろしさをこれでもかというほど目の当たりにした。原子力は夢のエネルギーから悪魔のエネルギーに変身した。
 日本人は原発を存続させるのか、それとも破棄するのかの選択を迫られている。そのために真剣に国民的議論を起こさなくてはいけないのに、政府は原発の安全性を確認し、停止している福井県の原発を再稼動しようとしている。何をかいわんやである。
 政府が安全とした根拠は専門家が安全と判断したからである。福島原発が安全と判断したのも専門家ではなかったのか。馬鹿に付ける薬はないというのはこのことである。経済のためには、原発を再稼動しなくてはいけないというのが政府の本音である。これでは歴史は繰り返すだけであり、経済的合理性の美名のもとに、原発は昔のように大手を振って推進されるのであろう。そして、将来、日本全体を壊滅させる大惨事を引き起こすに違いない。
 「天災は忘れた頃にやってくる」という名言を吐いたのは寺田寅彦である。寺田は物理学者であるが、漱石門下の文学者でもある。寺田は随筆をたくさん書き、俳句も作った。俳句を手ほどきしたのは、他ならぬ漱石である。寺田がまだ、熊本の第五高等学校の生徒のとき、英語の教師であった漱石から俳句を教わった。このとき、漱石が「俳句とは言葉のレトリックを煎じ詰めたもの」といったのは有名な話である。
 寺田は大正12年に起こった関東大震災に遭遇している。だからといって、俄かに地震に関心を持ったわけではない。寺田は震災前から、地震を含む天災について、随筆を通して警鐘を鳴らしている。

 「地震雑感 津浪と人間」(中公文庫)は寺田の地震に関しての随筆を纏めたものである。この本の口絵には、寺田がベルリンにいる小宮豊隆に送った被災地の絵葉書が掲載されている。須田町・日比谷附近・神田橋・浅草仲店・銀座・京橋・十二階附近(浅草)・上野附近・両国橋・新富座跡の写真の絵葉書である。どれも悲惨な光景である。関東大震災のすさまじさを物語っている。
 寺田は科学者として冷静に大震災を振り返っている。寺田のいいたいことを一言でいうと、まさに先に述べた「天災は忘れた頃にやってくる」である。寺田は随筆で直接こう述べたわけではないが、過去に起こった大地震の教訓が一切生かされていないと嘆いている。宝永4年のマグニチュード8.6の宝永地震、安政元年11月4日のマグニチュード8.4の安政東海地震、11月5日のマグニチュード8.4の安政南海地震などの例を出している。
震災直後は地震に対して気をつけるが、時とともに地震があったことを忘れて、地震に対して安全策をとることに注意しなくなったと寺田は分析する。これと同じことは今回の東日本大震災にもいえる。原発を推進してきた御用学者たちは、この地震は想定外で不可抗力であったようなことをいっている。はたして、想定外なのか。東日本大震災はマグニチュード9.0で確かに史上最悪であったが、宝永・安政にはマグニチュード8.5近くの地震が起こっているのである。マグニチュード9.0の地震が起こっても不思議ではないと思っても当然であろう。それをいうに事欠いて想定外とはとてもではないが、科学者の吐く言葉ではない。まして、昭和8(1933)年には、マグニチュード8.1の昭和三陸地震が発生し、太平洋沿岸を津浪が襲い、死者1522名、行方不明者1542名の犠牲者を出している。この事実を踏まえれば、東北沿岸に大地震が起こって大津波がくることも想定されたはずではないのか。それを、政府・東電・御用学者たちはグルになって100パーセント原発は安全だと嘯いていた。

 寺田が東日本大震災の惨状を見たら、人間は全く進歩しないと嘆くであろう。

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 東日本大震災以降、頻繁にマグニチュードという単語がメディアから聞かされています。マグニチュードを理解する上で少し参考になりますので、ブログ「数学のセンスを身につける問題」の「地震のエネルギーは対数で計算する。」を閲覧してください。

地震雑感/津浪と人間 - 寺田寅彦随筆選集 (中公文庫) 地震雑感/津浪と人間 - 寺田寅彦随筆選集 (中公文庫)
(2011/07/23)
寺田 寅彦

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Tag : 地震雑感 津浪と人間

寺田寅彦「科学と科学者のはなし」を読む

 戦前の理化学研究所では仁科芳雄・朝永振一郎など日本を代表する科学者が日夜研究に勤しんでいた。その科学者たちに混じって寺田寅彦もいた。
 寺田は物理学者で、研究するテーマが他の科学者たちとは一風変わっていた。最先端の量子力学を駆使しての原子の構造の解明をする研究などが多い中で、寺田の研究テーマは「線香花火の研究」「金平糖の角の発生」「墨流しの研究」などという奇妙なものであった。私はこのテーマを知って思わず笑ってしまったが、さすが寺田らしいと感心した。
 寺田寅彦は物理学者であると同時に優れた文学者でもあった。寺田の文学の師匠は夏目漱石である。寺田が熊本の第五高等学校の学生のとき、そこで英語を教えていたのが夏目漱石であった。また、第五高等学校には数学と物理学を教える田丸卓郎がいて、寺田は田丸の影響で物理学の道に進むことになる。
 寺田は科学者の目と文学者の目とをもっていた。寺田は文学特に俳句のことを漱石から教わり、自ら俳句をしたためている。逆に、漱石は寺田から科学全般のことを教わった。特に、寺田の最先端の科学の研究に漱石は強い興味を示した。
 漱石は寺田のことを自らの作品の登場人物のモデルにしている。「吾輩は猫である」では水島寒月、「三四郎」では野々宮として登場してくる。寒月は首吊りの力学の話などをするのだが、特に目をひくのは野々宮の研究である。その研究は光の圧力に関するものである。光に圧力があることは当時まだやっと解明されたばかりで、漱石がそのようなことを知っていたことに科学少年であった私はたいへん驚いたものである。光の圧力に関してはニュートン力学を超えて量子力学の世界の話になるが、漱石はその話を寺田から教わったのである。
 寺田の博士論文は「尺八(しゃくはち)の物理学的研究」である。寺田は身の回りのささいな現象を物理学的に解明する研究をよくしたが、最先端の量子力学の研究もした。寺田の研究した<ラウエ斑点のエックス線解析>はノーベル賞一歩手前の研究だといわれている。寺田は生涯に渡って他の科学者が思いつかないような幅広い研究をした。

 寺田は生前約300の随筆を書いた。それは寺田寅彦随筆集としてまとめられているが、その随筆の中から寺田の特徴が特ににじみ出ているおもしろいものを集めたのが「科学と科学者のはなし」<岩波少年文庫>である。タイトルが示すように科学に関する随筆が多いのだが、漱石のことや文化・伝統に関しての随筆もある。
 どの随筆も興味をそそられるものばかりである。さすがに文学者だけあって文章も味わい深いものである。金平糖や線香花火についての随筆もある。他に地震・波・音・天体・人魂などに関して、身辺の現象と絡ませて物理学的考察を行っている。生物に関しての物理学的考察をしたものもある。
 私が一番感銘した随筆は「科学者とあたま」である。寺田にいわせると、優秀な科学者になるためにはあたまがいいことは必要条件であり、十分条件ではないということである。あたまがいいことに加えてあたまが悪いことが優秀な科学者になるための必要十分条件だと寺田は力説する。読んでなるほどと思わせてくれる。あたまのいい人はとかく杓子定規に考えて本当に科学者として見なくてはならない現象を見失っていると寺田はいう。この論理は優秀な科学者だけでなく、優秀な政治家・実業家などに関してもあてはまると思う。
 「夏目漱石先生の追憶」という随筆もある。これを読むと寺田が心底から漱石を敬愛していたことがわかる。漱石はいい弟子をもったと思う。

 寺田の随筆を読むと、否応なく視野を広げてくれる。と同時に寺田のあの愛嬌のある顔が浮かんでくる。

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科学と科学者のはなし―寺田寅彦エッセイ集 (岩波少年文庫 (510))科学と科学者のはなし―寺田寅彦エッセイ集 (岩波少年文庫 (510))
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寺田 寅彦池内 了

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