森毅「数学的思考」を読む

 数学を学習する目標の1つはおそらく数学的思考を身につけることであろう。実は、私は長年大学受験生に数学を教えているのだが、今もって数学的思考とは何かはっきりとはわからない。数学的思考というとすぐ論理的思考という人が多いが、論理的思考は何も数学だけに必要なものではないであろう。すべての学問に必要なものである。
 私は数学的思考については折りに触れて考えてきた。いかにしたら生徒の数学の力を向上させることができるのかと思うからだ。教えていて気がついたことだが、数学ができないといわれている生徒たちが概して数の概念が曖昧だということである。1には2つの意味がある。大きさとしての1と順番としての1である。数学はこれらの概念が組み合わさって体系化されるのであるが、数学ができない生徒たちはこの概念がよくわかっていないのである。だから数列がよくわからない。数の概念と数学的思考は深くかかわっているように思われるのだが。
 なぜ数の概念が曖昧なのであろうか。それは算数を習い始めたときにしっかりと教わらなかったからである。1個と1個を足すと2個になるけれど、1個と1番は足せないことは教わらないで、1+1=2という計算技術ばかり叩き込まれて、足し算の本来の意味が曖昧にされたのである。そして曖昧なまま、中学、高校へと進み、ベクトル・微分積分にくるとまったくわからなくなってしまう。本来、ベクトル・微分積分も数学の思想・哲学がぎっしりつまった(いいかえると数学的思考の賜物といえるような)ものであるのに、思想・哲学はないがしろにされ計算技術ばかり教えられることになる。しかるに計算技術だけでも大学入試問題はそこそこ解けるので、大学生になっても数学ができない学生がたくさんいることになってしまう。東大などで入試に論証問題を出題するとほとんどの受験生が解けないらしい。これは受験生の問題ではなく、数学本来の論証問題を解く教育を受けてこなかったからだ。

 こんなことを普段考えていたときに目についたのが森毅の「数学的思考」(講談社学術文庫)である。森は京都大学で教鞭をとっていた数学者である。森はユニークな数学者で、私は森の「位相のこころ」という数学の専門書を手にとって驚いたことがある。その本には数式が1つも書かれていなかった。まさに日本語だけであの難しい位相について説明しているのである。数式の書かれていない数学書を私は初めて見た思いがした。
 森は博覧強記の人でたいへんな読書家でもある。数学の本だけでなく文学に関しての本まで書いている。私は数学者としての森よりも文学者としての森のほうに興味をもった。森は数式を使わないで日本語だけでもって数学の本質をいえる人というよりも日本語は数式よりも力があると信じていた人であったのだ。
 「数学的思考」にも1つの数式も出てこない。日本語だけで数学のことが広くそして深く書かれている。この本は数学並びに数学者に対する迷信を論じることから始まる。その迷信とは次の7つである。

迷信その一 数学は諸学の根源である
迷信その二 数学はものの役にはたたない
迷信その三 数学のできる子は頭がよい
迷信その四 数学をやる人間は頭がおかしい
迷信その五 数学は純粋形式による観念の産物である
迷信その六 数学は生産技術の道具であればよい
迷信その七 数学は永遠不変である

 おそらくこのような迷信に真剣に取り組むことに森の真骨頂があるのであろう。
 「数学的思考」は数式は書かれていないが難しい本である。ところが頭をよくしてくれる本のように思う。なぜならこの本を読むと深く考えさせられるからである。問題意識を植え付けてくれるといってもよい。数学のこと、教育のこと、思想のこと、文化のこと、ギリシャのこと、教養のことなどいろいろなことに問題意識を植え付けてくれる。
 この本は1964年、すなわち東京オリンピックが開催された年に出版されている。以来、半世紀近くもたつのにこの本の内容はみずみずしく新鮮である。問題意識をもつことに古い・新しいもないのである。数学的思考とはまさに問題意識をもつことだと森はいっているようだ。

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数学的思考 (講談社学術文庫)数学的思考 (講談社学術文庫)
(1991/07/05)
森 毅

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