森銑三著小出昌洋編「新編明治人物夜話」を読む

 「好色一代男」「好色一代女」「好色五人女」「西鶴諸国ばなし」「本朝二十不孝」「日本永代蔵」「世間胸算用」「万の文反古」「西鶴置土産」などなどの作品は井原西鶴が書いたことになっているが、この説に異を唱えた人がいる。森銑三である。森によると、西鶴が自ら書いたのは「好色一代男」だけであるという。
 別に「日本永代蔵」や「世間胸算用」が西鶴以外の人が書いたとしてもこれらの作品の質が下がるわけではない。誰が書こうと「日本永代蔵」「世間胸算用」は非常に優れた古典である。
 森は90年近い生涯(1895年に生まれて1985年に没している)を読書だけに費やしたといわれている読書家の巨人である。森は、戦争後西鶴の研究を始め、それこそ一字一句を確かめて新説を打ち出したのである。西鶴に関する本にはたびたび森の名が登場する。とにかく森は博覧強記な教養人であった。

 森が書いた「明治人物夜話」はタイトルの通り、著名な明治の人物について書かれた随筆集というような本である。
 これらの人物は大きく分けて2種類の人たちに分けられる。1つは本の世界で知り合った人たちであり、もう1つは直接に森が出会った人たちである。主だった人たちをあげてみると、明治天皇・勝海舟・西郷隆盛・高橋是清・栗本鋤雲・幸田露伴・依田学海・成島柳北・森鴎外・尾崎紅葉・斉藤緑雨・正岡子規・三遊亭円朝・狩野亨吉・永井荷風などである。
 どの人物についての記述も含蓄があって、わくわくするようなおもしろさである。教養をベースとした文章というのはやはり奥深い。言葉が生き生きとして魂がこもっているのである。
 すべて興味深いものばかりであるが、特に印象に残ったものをあげてみると、まず明治天皇と西郷隆盛のことである。
 明治維新になって、西郷隆盛は明治天皇の教育係になった。明治天皇はまだ10代で若いというより幼なかった。ある日、天皇が馬場で馬術の訓練をしていると馬から落ちてしまった。天皇は思わず、<痛い>といった。西郷はその声をきいて、なぐさめるのでなく、<痛いなどという言葉を、どのような場合も男が申してはなりませぬ>といった。これ以来、明治天皇は生涯どんなに痛くても一度も<痛い>といわなかったそうである。いやはや、やはり西郷とはとてつもなくすごい男である。
 夏目漱石のこともおもしろい。文部省が文芸を普及させるために文芸賞を創設した。この話を伝え聞いた漱石は新聞で、国が文芸に口を出すとは何事かと反論したそうである。実際に、森鴎外・幸田露伴・徳富蘇峰などが選者となって、文芸賞の候補作を決めた。その中に漱石の「門」もはいっていた。最終的に文芸賞を決めることになったが、結局決められなかった。このことを漱石は喜んだ。そして、国が主導する文芸賞もなくなった。この話には漱石の芸術観が出ている。
 漱石の学生時代の同級生の狩野亨吉のこともすばらしい。森が直接狩野に会ったときのことを書いている。狩野は第一高等学校長、京都帝大総長にまでなった人であるが、晩年は護国寺裏の八畳間と三畳間しかない借家に妹と二人きりで住んでいた。狩野は生涯独身であった。その家には本はなく、昔読んだ本のカードだけがあった。ある本の話になるとカードを取り出して、それは読んだといった。清貧そのものである。森は狩野のことを敬愛の念をこめて書いている。私は狩野の偉大さを感じた。偉大なる教育者とは狩野みたいな人をいうのではないだろうか。

 どれもこれも興味深い随筆ばかりである。私は「明治人物夜話」を読みながら、古きよき時代を旅した気分になった。

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(2001/08/17)
森 銑三、小出 昌洋 他

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