半藤一利「昭和史 1926→1945」を読む

皇居に建っている楠木正成像 司馬遼太郎は昭和を舞台にした小説は1作たりとも書かなかった。いや、書けなかったのであろう。司馬の近代を扱った小説は年代的には日露戦争を材にした「坂の上の雲」で終わっている。日露戦争後の日本には司馬をして、小説に書きたいと思わせるような英雄はいなかったにちがいない。
 本当に終戦までの日本はひどい時代であった。軍部が我が物顔に政治を動かし、政治家は党利党略で軍部に媚びへつらって国民のことを省みず、新聞は売り上げを増やすためにさんざん戦争を美化し、戦争が拡大するように世論を誘導した。
 はっきり言って、戦前の昭和の日本は国の体をなしていなかった。軍部のいいなりの国家だといってよい。このことを身をもって知っている司馬が昭和を舞台にした小説を書かなかったのはさも当然である。
 何で日本は坂を転げ落ちるように駄目な国家に向かったのか。「坂の上の雲」とはよくいったものである。日露戦争によって日本は坂を登り詰めたが、その上にはまだ雲があったのである。坂の上に辿りついたことで奢り高ぶることなく、謙虚に国造りにはげんでいれば、昭和を不幸な時代にすることはなかったであろうに。
 返す返す残念なのは、日露戦争後、アメリカの鉄道王ハリマンが満州鉄道を日本と共同開発したいという提案を日本政府が拒否したことである。この提案を受け入れていれば、日本とアメリカは戦うことはなかったであろうに。日本が曲がりなりにも日露戦争に勝利し講和までもっていけたのはアメリカ特にルーズベルトのお陰ではなかったのか。アメリカも日本に協力すれば、満州に進出できると踏んだのであろう。
 時の世界情勢そして政治力学を見誤ると国は滅びる。外交は国にとって非常に大事である。

 半藤一利著「昭和史1926-1945」は戦前の昭和史をわかりやすく解説したものである。この本は、半藤が昭和史について講義したものを編集したものであるので、たいへんわかりやすくなっている。なぜ日本があの無謀な戦争に突入したかを、時系列的にかつ論理的に述べている。
 日本が戦争を始めたそもそもの原因は満州を日本の生命線と軍部が決めたことである。日露戦争以後、満州には日本軍が常駐していた。昭和になって、世界大恐慌の煽りを食って日本も不況のどん底にあった。そして軍部が目をつけたのが満州であった。この豊穣な広い大地を日本の領土にすれば、日本は不況から抜け出し、かつ日本は大いに発展するだろうと軍部は考えたのである。
 軍部は強引に満州を奪おうとした。そのために謀略の限りを尽くした。その1つが張作霖爆殺である。昭和は張作霖爆殺から奈落の底に落ちていったといってよい。以後、軍部はやりたい放題である。政府が軍部に注意すると、軍部は統帥権干犯を振りかざして政府を無視する。
 軍部の統帥権干犯の主張ほど腹立たしいものはない。統帥権干犯をしているのは他ならぬ軍部であるからだ。軍部は天皇の命令すらも守らなかったのである。
 終戦までの軍部の行動は目を覆いたくなるものばかりである。とにかく論理も糞もなく、行き当たりばったりの政策である。唯一理性的に行動していたのは天皇だけであった。その天皇すら軍部に殺されるのではないかと危機感をもっていた。
 日本は当然のごとく負けたのである。

 戦前の軍部そして政治の腐敗を責めるのは簡単である。しかし、私たちはなぜ軍部が独走し、政治が機能しなくなった理由を追及せねばならない。あの愚かな戦争を教訓にできるかは、結局は現代に生きる私たち自身の問題であることを、私は「昭和史」を読んで、肝に銘じた。

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 写真は、皇居広場に建っている楠木正成像です。


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(2009/06/11)
半藤 一利

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