坪内稔典「子規のココア・漱石のカステラ」を読む

東京根岸子規庵 夏目漱石は小説家であったが、俳人でもあった。漱石が俳句を作り始めたのは、松山中学で英語の教師をしているときである。
 漱石は二階建ての家を下宿として借りていた。二階の部屋を勉強部屋にしていた。そこに、正岡子規が居候することになる。
 子規と漱石は大学予備門時代からの友人である。二人とも大学に進学するが、子規は試験が嫌で退学してしまう。漱石は真面目に勉強して、大学院まで進み、大学教授になるエリートコースを歩む。
 漱石は子規のことが好きで、子規の故郷である松山に住みたいと思い、松山中学の英語教師になった。帝国大学を卒業したものが中学の先生になるのは異例のことであった。
 子規は大学を中退すると新聞記者になった。そして、俳句の研究を一生の仕事にしようと決心した。日清戦争が起こると、子規は従軍記者となって、戦地に赴いた。戦地からの帰途、子規は血を吐き、神戸に滞在せざるを得なかった。そのとき、漱石は松山におり、病気療養のために子規を松山に呼んだ。
 子規は漱石の親切に甘えて松山に行き、漱石の家の一階に間借りした。子規はそこで俳句の句会を開いて、松山にいる後輩たちを呼び集めた。漱石の家はいつも若い人たちで一杯になり、学校から戻った漱石は勉強どころではなかった。漱石も一緒になって俳句作りを始めた。

 坪内稔典の「子規のココア・漱石のカステラ」は子規・漱石のことに触れながら書かれたエッセイである。著者の坪内は俳人で、子規の研究家でもある。一読して坪内が子規のことをたいへん好きなのがわかる。坪内にとって子規は生涯の良き伴侶みたいなものである。このような伴侶を得られた人は幸せだと思う。
 このエッセイは主に食事と俳句について書かれている。子規は三十歳を過ぎたあたりから寝たきりの状態になった。生活一切が蒲団の上で行われた。将来を悲観した子規であったが、その反動のためか、食事に大いなる楽しみを見出した。子規は好きなものをたくさん食べた。子規の随筆「仰臥漫録」には毎日の食事の献立が載っている。
 子規は間食が好きで、団子や菓子パンをよく食べた。一緒の飲むのがココア入りの牛乳であった。ココア入りの牛乳はよほど好きだと見えて、毎日のように飲んだ。パイナップルの缶詰も好きで、子規はかなりハイカラであった。
 このエッセイの中で、私が一番興味を持ったのは、漱石が俳人としても一流であり、師匠の子規にも俳句の上で影響を与えているという件である。
 子規の俳句の中で最も有名なものの一つは

 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

である。この句は、

 鐘つけば銀杏(いちょう)ちるなり建長寺

という漱石の句が子規の頭の片隅に残っていて、無意識のうちに詠まれたものだと坪内はいう。漱石の句は平凡なものであるが、漱石の句が子規の傑作を生んだとはおもしろい。
 漱石は松山中学の教師をやめて、熊本の第五高等学校の教師になり、それからイギリスに留学した。漱石がイギリスから帰ると、子規はすでにこの世にはいなかった。漱石は終生子規の面影を偲んだ。
 
 漱石と子規の共通点は何といってもそのユーモア精神である。二人がくっつくのはさも当然のことであった。

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東京根岸子規の俳句

 写真上は、東京根岸にある子規庵です。写真下は根岸の路上に子規が詠んだ俳句が飾られていたものを撮ったものです。
 ブログ「名作を読む」には以下の通り夏目漱石と正岡子規作品の読書感想文を掲載しています。
夏目漱石:坊っちゃん  三四郎  吾輩は猫である  こころ  それから  硝子戸の中(がらすどのうち)    草枕  虞美人草  夢十夜  彼岸過迄  倫敦塔(ろんどんとう)  行人(こうじん)  道草  明暗  文鳥
正岡子規:病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)

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(2006/11)
坪内 稔典

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