嶋岡晨「小説 岩崎弥太郎 三菱を創った男」を読む

六義園 太平洋戦争直後のGHQが行った対日政策の大きな柱の1つが財閥解体であった。その理由は、財閥が死の商人として戦争に加担したためだという。ご説ごもっともであるが、国が戦争をしているのに、戦争に企業が加担しないということが、はたしてありえるのであろうか。財閥解体を進めた連合国軍を主導するアメリカは、軍需産業が基幹産業で、戦争のために平時でも国に尽くしている。アメリカには死の商人がたくさんいる。
 終戦当時、三井と並んで巨大財閥であった三菱は最後まで財閥解体に抵抗した。そのときの三菱の社長は岩崎小弥太で、小弥太は三菱創業以来の第4代社長であった。小弥太が財閥解体に反対した理由は、三菱は国のために尽くしたが、戦争を煽るようなことはしなかったというものだ。戦争に関係なく、資本主義の国では企業というものは直接的ないし間接的に国に尽くすものであると、ケンブリッジ大学卒業の教養人であった小弥太は考えていたのである。この考えは現代でも通じる普遍的なものである。
 西洋から奇跡といわれた明治の発展は、財閥抜きでは成し遂げられなかった。戦後の高度経済発展も財閥の築いた土台の上で可能であった。なぜ歴史の教科書では戦前の財閥を死の商人みたいに扱うのだろうかと、私はいつも不思議に思っていた。現在の豊かさが戦前の財閥のお陰だといっても言い過ぎではない。
 小弥太の父が三菱第2代の社長岩崎弥之助であり、弥之助の兄が三菱初代の社長岩崎弥太郎である。三菱は弥太郎によって創業されたのである。
 弥太郎の評判は決していいものではない。幕末のヒーロー坂本竜馬と仲が悪かったからではなく、弥太郎が死の商人いわゆる政商と見られているからである。

三菱一号館 嶋岡晨(しん)の「小説 岩崎弥太郎 三菱を創った男」は弥太郎の生涯を描いた伝記小説である。嶋岡は高知県生まれで、弥太郎は郷土が生んだ偉人であるが、弥太郎の人となりを真実に迫って描いている。いたずらに美化していない。私は弥太郎関連の本をいくつか読んだことがあるが、この小説が一番よかった。時代が大きく変化するときの1人の人間の生き様が赤裸々に描かれている。
 巨大財閥三菱は岩崎弥太郎というとてつもなく強い個性をもった男がいなければ絶対に生まれなかった。
 弥太郎は土佐の地下浪人(元郷士のこと)の子として生まれ、一応は武士であったが、実際は百姓と変わらなかった。弥太郎は負けん気が強く、喧嘩早かったが、努力家で学問好きであった。特に漢文が得意で、漢詩人でもあった。西洋のこともいろいろと吸収し、これからの世の中は商人の時代になると確信していた。
 弥太郎の生まれた天保5(1835)年以降、幕府は衰退し、1868年に瓦解した。時代は明治になった。幕末から明治維新にかけての動乱の時代に、弥太郎は持ち前の度胸と頭のよさと先見性でもって、土佐藩の支配下にある土佐商会という商社を自分のものにした。この土佐商会を出発点として、明治になると、大久保利通・大隈重信・後藤象二郎らの政治家にうまく取り入って、国から多額の仕事をもらって、三菱を創業した。三菱は海運業を独占した。特に、西南戦争では、政府軍の海上輸送を一手に引き受け、巨万の富を築いた。ところが、あまりにも大きくなりすぎた三菱は政府に睨まれることになり、政府と三井と渋沢栄一が組んで、三菱に対抗する海運会社を作って、三菱を潰そうとした。弥太郎は死ぬほど苦しみながらも、競争に勝った。それ以後、三菱は巨大財閥の道を歩む。

 弥太郎の成功の理由は何だったのだろうか。努力家、先見性があっただけでは片付けられないものがある。弥太郎の経済活動は、戦国時代の合戦さながらに、権謀術策に満ちたものであった。弥太郎は誰にも負けないくらい独占欲が強く、金に執着した。そして、弥太郎は明治では一番の金持になった。と同時に、日本を産業立国へと向かわしめた機関車にもなった。とにかく、岩崎弥太郎は傑物中の傑物である。

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 写真上は、東京都文京区の六義園です。弥太郎は、六義園でなくなりました。この六義園は江戸時代は五代将軍綱吉のお側用人である柳沢吉保の邸宅でした。
 写真下は、丸の内に建っているわが国最初のオフィスビルである三菱一号館です。現在は美術館です。

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(2009/11/04)
嶋岡 晨

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