浜口雄幸「随感録」を読む

東京駅浜口首相遭難現場 昭和に入ると、時代は急激に戦争の危機に向かって突き進んでいく。それと軌を一にして軍部が政治の実権を完全に握り始めた。なぜ、あの太平洋戦争と呼ばれる戦争が起こったのか。政府が軍部の傀儡となり、その行動を日本の世論が後押しをしたのが原因であることは明白である。
 それでは、軍部に翻弄された政治家たちは一体何をしていたのであろうか。当時は一応政党政治で、政友会と民政党が二大政党であった。ただ、二大政党といっても政党同士はお互いに、現在と較べてもそれ以上に相手を誹謗中傷していた。とても二大政党制といえるようなしろものではなかった。
 統帥権干犯という奇妙奇天烈なものが国会の場に現れることによって、日本が戦争をすることが決定された。この統帥権干犯なるものは、ロンドン軍縮会議において、海軍力を削減することを決めた、時の民政党政権を追求するために野党の政友会が提起したものである。政友会のバックには軍部がいた。政友会と軍部が結託して、民政党内閣を潰そうとしたのである。そのときの総理大臣は民政党党首浜口雄幸である。
 浜口は気骨ある政治家で平和主義者であった。浜口はロンドン海軍軍縮会議で軍縮条約を締結したばかりでなく、金解禁を断行した総理大臣として、歴史の教科書ではかなり大きく取り上げられている。
 昭和5(1930)年11月14日、浜口は出張で西下する際、東京駅のプラットホームで、愛国社社員の放った凶弾に倒れた。一命はとりとめたが、翌年昭和6(1931)年8月26日に永眠した。
 私が浜口雄幸に興味をもったのは、城山三郎の「男の本懐」を読んでからだが、<男の本懐>は凶弾に倒れた時に、浜口が発した言葉である。
 雄幸(おさち)とはおもしろい名前であるが、実際は、幸雄とつけるつもりだったが、役所に届け出るときに父親が酒に酔っていて、誤って雄幸とつけてしまったらしい。浜口は1870(明治3)年、今の高知県に生まれた。

東京駅 浜口雄幸の「随感録」は、昭和4年の秋以来、浜口が週末に休養のため赴いた鎌倉の別荘で、感興のおもむくままに書き留めた随筆である。浜口は随筆とはいわずに、随感といっているが。
 浜口は、帝国大学法科を首席で卒業した秀才で大学を卒業と同時に大蔵省に入省した。大蔵省で次官まで勤めたあと衆議院議員になり、民政党の党首として第27代内閣総理大臣になった。
 「随感録」は内閣総理大臣になってから書かれたものである。
 浜口は筆不精で、ふだんあまり本を読まないと謙遜しているが、どうしてどうして文章は重厚で味わい深く、浜口がすぐれた教養人であることが伺われる。
 とにかく私が「随感録」の中で一番興味深く読んだのは凶弾に倒れてからのことである。凶弾に倒れたときのことを次のように生々しく書いている。

<列車の側に居た一団の群集中の一人の袖(そで)の下から異様のものが動いて「ピシン」と云う音がしたと思うた一刹那(せつな)、余の下腹部に異常の激動を感じた。其の激動は普通の疼痛(とうつう)と云うべきものではなく、恰(あたか)も「ステッキ」位(くらい)の物体を大きな力で下腹部に押込まれた様な感じがした。それと同時に「うむ、殺(や)ったナ」と云う頭の閃(ひらめ)きと「殺(や)られるには少し早いナ」と云うことが忽焉(こつえん)として頭に浮かんだ。以上の色々の感じは殆(ほとん)ど同時に起こったので、時間的の遅速(ちそく)は判(わか)らない位であった。>

 浜口は凶弾に倒れてから駅長室に運び込まれ、さらに、東京帝国大学医学部病院に送られ、大手術を受けた。手術は成功し、3月には国会に出席した。
 浜口は凶弾に倒れてからのことを冷静に振り返り、そして、自分の政治家としての思いを綴っている。浜口は決して暗殺を恐れてはおらず、政治家として国を正しき方向へと導き、日本を豊かな平和な国にしようという抱負も述べている。
 この浜口の文章に接して私は、政治家としての偉大さと同時に明治に生まれた男のすごさを感じた。どんなことがあっても、自らの命を顧みずに国のために奉じるというまさに武士道精神を私は垣間見た気がした。

 「随感録」を読んで、私は、昭和の初期の時代にすばらしい政治家がいたことを思い、今の政治家にも浜口の気概をもってもらいたいと思った。城山三郎が浜口を主人公にした小説を書いた理由がわかるような気がした。

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