竹田恒泰「現代語 古事記」を読む

伊勢神宮 宇治橋


 天明の大飢饉のとき、京都御所の回りには日本中から庶民が集まり、御所に向かってお賽銭をまいたという。時の天皇は光格天皇である。政治には一切口を挟まないという掟を破って、天皇は、「苦しんでいる民を何とかせい!」と幕府に通達したという。このときから、天皇の力が増して、幕末の動乱に向かうという歴史学者もいる。
 ようするに、本当に困ったとき、日本人は天皇にすがるというよい例である。
 普段は神の存在など考えないが、自分の身に不幸が起こったとき、ふと神社にお詣りをすることがあるだろう。江戸の庶民は大きな不安を抱えると、天子様(天皇)よりはるかに偉いと思われていた公方様(徳川将軍)を差し置いて、伊勢神宮にお詣りをしたものである。抜け参りなど典型的な例である。
 伊勢神宮とは日本中の神社の頂点に立つ神社である。誰を祀っているのか。天照大神である。天照大神とは天皇家の濫觴で、天照大神から延々と現在まで天皇家は繋がっているのである。皇統が途絶えたことは一度もない。
 日本人は結局、天皇に頼るのである。逆に、最後に天皇に頼るのが日本人なのである。別の言葉でいうと、天皇と日本人は一心同体だということである。天皇がいなくなれば、日本人もなくなるのである。このことを最もよく理解していた歴史上の人物は、連合軍総司令官のアメリカ人のマッカーサーである。
 連合軍が敗戦国日本を占領下に置くとき、天皇制を廃止することが、大きな選択肢であった。連合軍の大方は天皇制を悪とみなし、天皇を戦争犯罪人として断罪するつもりであった。マッカーサーは考え抜いた末、天皇制の継続を決定し、天皇の戦争犯罪は問わないことにした。その理由は大きく二つあった。一つは、日本人の誰もが天皇を恨んでいないこと、二つ目は日本は天皇の求心力でまとまっていることであった。もし、天皇制をなくしたら、日本は取り返しのつかない事態に陥ると判断したのである。この判断が正しかったことはその後の歴史が証明している。
 日本人にとって天皇とは何なのか。よく問われるが答えは簡単だ。天皇そのものが日本である。天皇がなくなれば日本はなくなる。自明のことだ。
 世の中にはおかしな議論がよくまかり通る。天皇廃止論者が日本の文化・伝統を守れという。空気がないのに飛行機を飛ばすようなものだ。日本の文化・伝統はすべて天皇に根付いているのである。
 江戸時代は、庶民は天皇の存在を知らなかったという度し難いことをいう歴史学者がいるが、全くのホラである。江戸の庶民の最大の目標は伊勢参りであり、江戸の文学・芸能において、天皇の影響のないものはない。庶民はつねに天皇を身近なものと思っていた。 江戸幕府が天皇を軽んじていたというのも真っ赤なウソである。幕末、幕府の皇室予算は支出全体の五パーセント以上であった。明治になって、勝海舟からそのことをきいた時の大蔵大臣の松方正義は大いに驚いたという。現在の皇室予算は江戸時代の百分の一もない。

伊勢神宮 神殿

伊勢神宮 旧神殿


 日本人と天皇は切っても切れない関係にあるが、その天皇の来歴が詳しく書かれたのが、「古事記」である。
 はっきりいって、「古事記」は難しい。原文を読みこなすには相当な力が必要である。だからといって、現代語訳がわかりやすいとも限らない。谷﨑潤一郎・与謝野晶子の「源氏物語」の現代語訳は私には難しかった。
 古典の現代語訳は注意して選ぶべきである、と思って「古事記」の現代語訳を探しているときに出会ったのが竹田恒泰の「現代語 古事記」である。
 著者の竹田は明治天皇の玄孫で、テレビのコメンテーターとして活躍している。元来、私は口上手な人は眉唾ものだと敬遠するのだが、この「現代語 古事記」を読んで、竹田が広く深い教養の持ち主であることを知り、竹田に対して尊敬の念を抱いた。
 最も感銘したのは、天皇は権力はもっていないが権威をもっているという件である。はっとした。象徴という言葉に何かもやもやとしたものをもっていた私には目から鱗の感があった。やはり天皇は権威をもっているのである。どんな権力をもってしてもその権威を消すことはできない。織田信長も豊臣秀吉も徳川家康もそしてマッカーサーもそのことに気付いていたのではないか。まさに卓見である。
 この本がすばらしいのは、天皇家の血が流れている竹田が天皇を理解している以上に、日本人の心情を理解しているからである。竹田もいっている通り、「古事記」は神話であって事実ではないという論争は不毛である。「古事記」は日本人の天皇に対する思いを書いたものだ。 
 歴代の天皇はつねに、民が豊かであることと国が平和であることを念じていた。神武天皇から現在のやさしい目をもった天皇まで、その気持は全く変わらない。

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