ハインリッヒ・シュネー『「満州国」 見聞記 リットン調査団同行記』を読む

靖国神社の向かい 田安門 大山巌像


 先の大戦で、日本が本格的に戦争に突入した分岐点は、昭和8(1933)年に国際連盟を脱退したときであろう。日本は常任理事国であった。このとき、ドイツもナチスが政権をとったため脱退している。奇しくも、日本・ドイツが国際的に孤立し、結局、大戦に向かうことになる。
 日本が国際連盟を脱退した理由は、満州事変を経て建国された満州国が国際連盟から認められなかったからだ。その根拠となったのがリットン調査団の報告書である。
 満州事変とは、昭和6(1931)年に中国の満州で起こった柳条湖事件をきっかけに、満州に駐留していた関東軍が満州地域を侵略するというものである。この勢いを買って翌年、日本は満州に満州国という独立国を建国した。満州の主権を主張していた中国は当然のごとく満州国を否定した。
 当時、国際紛争を解決する機関の国際連盟はイギリス人のリットンを団長とする調査団を満州に派遣することを決めた。これがリットン調査団である。
 リットンという名前は歴史上非常に有名である。入試問題にもよく出題される。いいも悪いもリットン調査団が日本を戦争に向かわしめたと思われている。私も、学生の頃、リットン調査団のことを知って、リットンというのは恐い男だと思った。
 リットン調査団はイギリス人、フランス人、イタリア人、アメリカ人、ドイツ人の各一人ずつの五人で構成されている。国際連盟に加入していないアメリカ人がいるのが不思議である。
 ドイツ人はハインリッヒ・シュネという人である。シュネはこの調査団に参加してからの同行記を書いている。これが日本語訳されたのが<「満州国」見聞記 リットン調査団同行記>(金森誠也訳)である。

原宿 東郷神社 東郷平八郎

江の島 兒玉源太郎 兒玉神社


 この見聞記を読む前、この本はかなり辛辣に日本を批判しているのではないかと危惧していたが、実際に読んでみると、日本語訳されているからかわからないが、日本に好意的に書かれている。これには正直驚いた。
 五人の一行は、ジュネーブからアメリカ経由で行くことにした。シベリア経由で極東に行くという最短コースは満州の鉄道が寸断されているので不可能であったからだ。アメリカから日本・中国と行くのであるが、中国に行くまでは見聞記の記述はさながら物見遊山に行くようなのどかなもので、見聞記というより旅行記という感じである。
 日本に着くと、彼らは日本政府から歓待された。昭和天皇にも会見し高級料亭で芸者に接待された。芸者にかなり興味をもったのか、芸者のことをかなり詳しく描写している。 横浜からすぐに中国に向かうのかと思いきや、わざわざ関西旅行までしている。関西では、京都・奈良の観光をし、大阪に滞在し、結局、大いに日本旅行を楽しんで、中国に向かった。
 さすがに中国に入ると、雰囲気が変わってきた。やはりこれは、中国の内情が不安定であったからだろう。一行は満州に入り、張学良や溥儀に会った。
 満州の記述を読んで、私が目を疑ったのは、著者がはっきりと、満州の繁栄は間違いなく日本のおかげだということが書かれていたからである。日本が進出するまえの満州は不毛の地で匪賊とよばれる強盗団が跋扈する地域であった。そこを日本が開発したのである。そのため人が続々と押し寄せ、人口が爆発的に増えた。
 不思議なことに、満州を視察しても、日本に対する非難の言葉は一切ない。著者は中国人だけでなく日本人に対しても好意的である。

 日本の歴史家たちは判で押したように満州事変以降の日本軍の行動を侵略戦争というが、はたして、当時の満州が本当に正式の中国政府の主権が及んでいたことを証明できるのであろうか。歴史的に見て、満州は満州族などの領土であって、漢民族の領土であったかは疑わしい。この見聞記を読んでも中国の主権が満州に及んでいるとは思えない。
 固定化された歴史観で歴史は見るべきでないだろう。

新宿区 漱石山房 夏目漱石像

港区乃木坂 乃木邸 乃木希典像


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 満州国は、日露戦争(1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)の終戦交渉において、締結されたポーツマス条約により日本の租借地となりました。各写真は、日露戦争に関係あるものを並べました。
 写真上から、靖国神社の向かいに建っている元帥陸軍大将として満州軍総司令官を務めた大山巌像、連合艦隊司令長官として指揮を執った東郷平八郎を祀っている原宿に建立された東郷神社、満州軍総参謀長を務めた兒玉源太郎を祀っている江の島に建立された兒玉神社です。
 下の写真は、新宿にある漱石山房に建っている文豪夏目漱石像です。夏目漱石は司馬遼太郎の作品である「坂の上の雲」にも登場し、漱石の作品である「三四郎」には次のような一節があります。
<三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「滅びるね」と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。>
 夏目漱石を語る評論家は常にと言っていいほど、この一節を例にとって、その後日本は、戦争に突き進んだという。
 最後の写真は、港区乃木坂にある乃木邸に建っている乃木希典像です。日露戦争では旅順攻囲戦の指揮や執りました。明治天皇の後を慕って殉死した場所は、像の後ろに建っている母屋です。また、漱石の作品「こころ」には乃木希典の殉死について描写されています。

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