オールコック「大君の都 幕末日本滞在記」を読む

東京都港区 旧イギリス公使館があった東禅寺


 昨今の東アジア情勢を見るに、日本が朝鮮を併合する前の状況を髣髴させる。近代以降、朝鮮半島はつねに日本そして東アジアの火薬庫なのである。
 北朝鮮の暴挙は言うに及ばず、韓国の動きも目を覆うばかりである。特に韓国の事大主義にはあきれる。中国に擦り寄り、アメリカに胡麻をすり、はたまた困ったときには日本に色目を使う。その日本には、解決済みの歴史問題をあげつらってこれでもかと貶める。朝鮮民族とは何ともやっかいなものである。
 全歴史を通じて、日本と朝鮮との決定的な違いは独立の精神があるかないかの違いである。日本はどんな状況でも独自の力で独立を守った。朝鮮は独立するために他国に頼ったのである。
 日本も幕末、独立が危うくなったときがある。あの戊辰の役の直前、幕府が本気になってフランスに頼み込んでいたらどうなっていたろうか。そうなれば官軍はイギリスを引っ張り出し、日本を舞台にしてイギリスとフランスの戦いが起こったかもしれない。どちらが勝っても日本の独立は失われていたろう。ところが実際には、イギリスもフランスも武力介入せず、江戸城は平和的に開城された。その中心的役割を果たしたのが勝海舟と西郷隆盛という二人の英傑である。
 翻って朝鮮半島を見ると、日清戦争も日露戦争もそれぞれ朝鮮半島保全のために日本と清、日本とロシアが戦ったものである。当事者の朝鮮はなすすべがなかった。これも朝鮮が、日本と清、日本とロシアを天秤にかけた結果である。
 鳥羽・伏見の戦いから、官軍が東征し、品川に入って今にも江戸城を攻め込もうとするとき、勝と西郷の会談が行われた。この幕府側と官軍側の交渉において、表にはでなかったがイギリスの公使パークスが大きな役割を果たした。イギリスは官軍と幕府の交渉に介入はしなかったが、勝はイギリスを利用したのだ。日本が、東北の諸藩と一部の幕臣の反乱だけで、明治維新を迎えられたのはイギリスの影の力があったことは否めない。これが,将来の日英同盟につながったという見方はあながち的外れではないだろう。
 1858年に日本とイギリスが通商条約を結んで日本とイギリスとの本格的な交易が始まった。イギリスは日本を有力な市場を見なしていたのである。
 イギリスの初代の公使はオールコックである。オールコックの来日をもって日本とイギリスの親密なる交渉が始まったといってもよい。

東京都港区 東禅寺

東京都港区 東禅寺三重塔


 オールコックは1859年に長崎に来日し、それから1862年まで滞在して一旦イギリスに帰国した。1864年に再来日し、その年に公使を解任された。次の公使がパークスで1865年に来日した。
 オールコックは足掛け4年間日本に滞在したのであるが、後年、日本滞在記を著した。これが「大君の都」である。この滞在記は日本で見聞したものを書いたもので、内容は多岐に渡り、中にはオールコックの独自の文明論・文化論なども散りばめられている。オールコックは外交官であるが、医者でもあり、歴史・地理・文学にも造詣が深い。また、驚くべきことは、文中に出てくる絵がオールコック自身が描いたものであるということだ。村の美人・着飾った婦人・武士・商人・幼児を背負った母親・馬に乗った武士・茶屋の給仕女・仲のよい夫婦・入浴中の婦人・道ばたの休憩の風景・呉服屋の風景・江戸郊外から見た富士山・村の水道・温泉の風景などの絵は素人ばなれしている。
 大君(タイクーン)は徳川将軍のことである。オールコックは当然、日本の最高権力者は徳川将軍であり、将軍率いる幕府が日本の国の政治を司っていると思っていた。他の条約締結国の公使たちも同様に思っていたのである。事実、条約は幕府の責任のもとで締結されている。
 ところが実際に日本に赴任してみると、日本は二重権力構造であることがわかった。都の京都に天皇なる将軍の上にある存在があることを知る。オールコックは天皇のことを帝(ミカド)と呼んだ。大君の都とは京都の天皇を意識しての言葉であることは確かだ。 「大君の都」を読んでの第一印象は、知ってはいたが、幕末の日本が外国人にとって恐怖の場所であったことである。オールコックが宿泊所として使っていた品川の東禅寺で攘夷派の人間に襲われた。オールコックは九死に一生を得た。このとき、東禅寺を護衛していた幕臣たちは何もしなかったという。オールコックは幕府は本当に自分たちを守る気があるかと疑心暗鬼になった。オールコックは口を極めて幕府を責めている。
 オールコックを含めた西洋人たちはいつ殺されてもいいような状態に追い込まれていた。しかし、そんな状態にありながら、オールコックは江戸の町を出歩き、江戸からはっきり見える富士山に興味をもち、富士山に登っている。
 オールコックは日本の自然の美しさを激賞している。江戸の町はロンドン郊外に劣らず美しいといっている。当時、ロンドン郊外は世界で最も美しいと言われたことろであった。
 富士山からの帰り道、オールコックは美しい田園地帯を歩いていた時、農民の姿を見た。彼らの着ていた服、住んでいる家、そして食べているものはみすぼらしかった。それでも彼らは笑いをたやさないで、幸せそうであった。そのことにオールコックは驚いている。
 日本の外交・政治体制などは非常におそまつであると、オールコックは述べているが、日本の文明・文化の度合は高いと見ている。将来、アジアの国の中では、日本が真っ先に西洋に追いつくであろうとオールコックは予言している。

 「大君の都」は幕末の日本を知る上でたいへん貴重な本である。

にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ




 上の写真は、東京都港区にある東禅寺の山門・本堂・三重塔です。東禅寺は、最初のイギリス公使館になった場所です。
 案内板には次のようの記されています。
<  東禅寺 は、幕末の安政六年(一八五九)、最初の英国公使館 が置かれた場所です。東禅寺は、臨済宗妙心寺派 に属し、開基の飫肥藩主伊東家の他、仙台藩主伊達家、岡山藩主池田家等の菩提寺となり、また、臨済宗妙心寺派の江戸触頭でもありました。
 幕末の開国に伴い、安政六年六月、初代英国公使(着任時は総領事)ラザフォード・オールコック が着任すると、東禅寺はその宿所として提供され、慶応元年(一八六五)六月まで七年間英国公使館として使用されました。その間、文久元年(一八六一)五月には尊皇攘夷派の水戸藩浪士に、翌二年五月に松本藩士により東禅寺襲撃事件が発生し、オールコックが着した「大君の都」には東禅寺の様子や、東禅寺襲撃事件が詳述されています。
 現在の東禅寺の寺城は往時に比べ縮小し、建物の多くも失われていますが、公使館員の宿所となっていた「僊源亭」やその前の庭園などは良好に残っています。庭園と僊源亭を含めた景観は、公使館時代にベアトが撮影した古写真の風景を今に伝えています。
 幕末期の米・仏・蘭などの各国公使館に当てられた寺院は大きく改変され、東禅寺が公使館の姿を伝えるほぼ唯一の寺院であることから国史跡に指定されました。>

◆  生麦事件の石碑と案内板

生麦事件の石碑

生麦事件の案内板


◆  神奈川 浄瀧寺 旧イギリス領事館跡の石標
 
神奈川 浄瀧寺 イギリス領事館跡


◆  田町 西郷隆盛・勝海舟会見の石碑
 
田町 西郷隆盛・勝海舟の会見場の石碑

 石碑の裏側に次のように彫られています。
<慶應四年三月十四日
 此地薩摩邸に於て 西郷 勝兩雄會見し江戸開城の圓満解決を図り百萬の民を戰火より救ひたるは其の功誠に大なり
平和を愛する吾町民深く感銘し以て之を奉賛す
昭和二十九年四月三日
本芝町會
本芝町會十五周年記念建之>

◆  品川 土蔵相模跡の案内板と西麻布長谷寺にある井上馨墓所
 
品川 土蔵相模跡の案内板

西麻布 長谷寺 井上馨墓所


◆  千代田区番町にある現在のイギリス大使館とアーネスト・サトウの桜
 
千代田区番町 イギリス大使館

イギリス大使館前に建っている案内板


◆  東禅寺がある高輪近辺の写真
 
高輪大木戸

高輪大木戸の案内板

高輪海岸の案内文

 高輪大木戸の案内板には次のように記されています。
< 高輪大木戸は、江戸時代中期の宝永七年(一七一〇)に芝口門にたてられたのが起源である。享保九年(一七二四)に現在地に移された。現在地の築造年には宝永七年説・寛政四年(一七九二)など諸説がある。
 江戸の南の入口として、道幅約六間(約十メートル)の旧東海道の両側に石垣を築き夜は閉めて通行止とし、治安の維持と交通規制の機能を持っていた。
 天保二年(一八三一)には、札の辻(現在の港区芝五の二九の十六)から高札場も移された。この高札場は、日本橋南詰・常盤橋外・浅草橋内・筋違橋内・半蔵門外とともに江戸の六大高札場の一つであった。
 京登り(きょうのぼり)、東下り(あずまくだり)、伊勢参り(いせまいり)の旅人の送迎もここで行われ、付近に茶屋などもあって、当時は品川宿にいたる海岸の景色もよく月見の名所でもあった。
 江戸時代後期には木戸の設備は廃止され、現在は、海岸側に幅五・四メートル、長さ七・三メートル、高さ三・六メートルの石垣のみが残されている。
 四谷大木戸は既にその痕跡を止めていないので、東京に残された、数少ない江戸時代の産業交通土木に関する史跡として重要である。震災後「史蹟名勝天然記念物保存法」により内務省(後文部省所管)から指定された。 >

 併せて読むと、江戸時代、特に幕末の激動期がよく理解できます。
ヨーゼフ・クライナー編「ケンペルのみたトクガワ・ジャパン」を読む
今泉みね 金子光晴解説「名ごりの夢 蘭医桂川家に生れて」を読む
松尾龍之介「長崎蘭学の巨人─志筑忠雄とその時代」を読む
エドゥアルド・スエンソン「江戸幕末滞在記 若き海軍士官の見た日本」を読む
エメェ・アンベール「絵で見る幕末日本」を読む
藤田覚「幕末の天皇」を読む
アーネスト・サトウ「一外交官の見た明治維新」を読む
渡辺京二「逝(ゆ)きし世の面影」を読む
宮本常一の「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」を読む
佐藤雅美『大君の通貨 幕末の「円ドル」戦争』を読む
ハーバート・G・ポンティング 長岡祥三訳「英国人写真家の見た明治日本 この世の楽園・日本」を読む
杉本鉞子著 大岩美代訳 「武士の娘」を読む
エリザ・R・シドモア「シドモア 日本紀行 明治の人力車ツアー」を読む
エメェ・アンベール「絵で見る幕末日本」を読む
H.シュリーマン「シュリーマン旅行記 清国・日本」を読む



テーマ : 読書感想文 - ジャンル : 小説・文学

Tag : オールコック 大君の都 幕末日本滞在記