岡潔「春宵十話(しゅんしょうじゅうわ)を読む」

 数学者特に大数学者というのはどのような世界に生きているのであろうか。
 フェルマーの大定理が証明されたのは20世紀も末である。この定理の存在が世に知られたのは17世紀半ばである。それ以来数え切れないほどの数学者たちが定理の証明に挑んだが、350年間証明されなかった。350年である。この定理を証明するために人生を棒に振った(?)数学者は数知れないのではないか。自分が生きている内には証明できないかも知れない、と思いつつも証明に突き進む数学者の胸中はいかなるものであろうか。
 つい数年前にも世紀の難問であるポアンカレー予想が証明された。この予想も100年近く証明されなかった。リーマン予想は未だに証明されていない。現時点においても多くの数学者がリーマン予想の証明に勤しんでいるかもしれない。 ある数学者がいった。<とにかく問題を解いているときがどんなときよりも至福を感じる>と。人生を賭して難問に挑戦する数学者は芸術家と同じではないかと思えてくる。

 大数学者が日頃何を考えているかは興味津々である。ぜひとも知りたい欲求を感じる。日本を代表する大数学者岡潔の「春宵十話」はこの欲求を満足させてくれるものである。 岡潔は「多変数解析関数論」の専門家で、数々の難問を解決していった。岡の名を一躍有名にしたのは小林秀雄と対談してからである。この対談は「人間の建設」として本になった。
 「春宵十話」は題名の通り10の話からなっている随筆集である。新聞に連載された。この本はさぞや数学についての記述が多いに違いないと思っている読者にはすこぶる違和感を覚えさせるものかもしれない。数学の話もむろん登場するが、それよりも教育・芸術・文学・文化・宗教・友人のことなど内容は多岐に渡っている。
 とりあえず「春宵十話」の10の話のタイトルをあげてみよう。
 
1 人の情緒と教育
2 情緒が頭をつくる
3 数学の思い出
4 数学への踏み切り
5 フランス留学と親友
6 発見の鋭い喜び
7 宗教と数学
8 学を楽しむ
9 情操と智力の光
10 自然に従う

 岡は人間の情緒を非常に大切なものとする。健全なる情緒を育てるためには教育、特に義務教育の大切さを力説している。岡が目指す教育とは、ある意味において、軍国主義教育を取り除いた戦前の教育であった。岡は、小学校・中学校・高等学校時代のことを思い出して非常に懐かしんでいる。
 現代にいる我々はもうそろそろ本気になって、明治・大正の教育を見直すべきではないのか。軍国主義を否定することに躍起になって、戦前の制度・教育などほとんどすべてのことを悪と見る考え方・見方に終止符を打たなければならない時期にきていると、「春宵十話」を読むと痛切に感じる。義務教育においてはやはり道義を教えることは大切であろう。
 
 ポアンカレーはある難問を考えていたが、なかなか解けなかった。ところが、馬車から降りるとき突然その問題の解法が頭に浮かんだ。この話は数学史では有名な話である。
 「春宵十話」にはこのポアンカレーの体験と似たようなことが書かれている。一生懸命考えているときには解法は浮かんでこない。しかし、しばらく時間を置くと、俄かに神の啓示のように解法が浮かんでくる。これはこと数学者に限ったことではない気がする。他の分野でも同じであろう。
 岡は数学は芸術であるといい、美術品鑑賞が数学の能力を高めるともいう。また、ポアンカレーの言葉を引用して、<数学の本体は調和の精神である>といっている。この場合の調和は真の中における調和である。
 とにかく、「春宵十話」(光文社文庫『春宵十話』には「春宵十話」以外にも数編の随筆が収められている)は学問をするにも、生きていくにもたいへん参考になる本である。

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咸臨丸復元の碑 写真は、江ノ島児玉神社にある咸臨丸復元保存協会の碑です。
 1860年日米修好通商条約の批准書を交換するため、アメリカ軍艦ポーハタン号に随行したのが幕府軍艦咸臨丸です。 提督は軍艦奉行・木村摂津守喜毅、艦長格は幕臣の勝海舟です。その他には福沢諭吉、ジョン万次郎なども乗船しました。ここまでは歴史の教科書に書かれている内容です。我国の数学の発展に功績を残した小野友三郎が乗船していたことはあまり知られていません。小野は航海長として船を操っていました。
 小野は笠間藩の貧しい武士の家系に生まれましたが、和算塾に通い刻苦勉励して和算を習得しました。高等数学を学び、天文方に雇われ暦数計算、蘭語の「大航海術書」を翻訳しました。その後海軍伝習所の第1期生となり幕臣に登用されました。小野は、我国で最初に微分積分を学び習得した人といわれています。しかし、勝海舟との相性が悪く幕末は活躍する場面はありませんでした。明治になると新政府の工部省に出仕して、鉄道経路の調査、天文台の創設、数学教育の普及などなど近代化に寄与しました。

春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫)春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫)
(2006/10/12)
岡 潔
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