岡倉天心「茶の本」を読む

横浜、岡倉天心生誕之地碑 1904年に起きた日露戦争は西洋人の目を東洋の一小国である日本に向けさした。西洋人の誰もが日本がロシアに勝つとは思っていなかった。日露戦争は西洋人にいわせれば、やる前から勝負が決していた戦いであった。
 ところが、日本海海戦の大勝利によって、日本は戦争に勝った。俄然、西洋人の日本を見る目の色が変わった。日本を文明国として評価し、評価が段々と嵩じてきて、日本脅威論、いわゆる黄禍論が沸き起こった。
 西洋人は戦争に勝ったことで日本を文明国とした。この文明国であるかどうかの尺度を武力の強弱に求めるという考え方を苦々しく思っていた日本人がいた。岡倉天心である。岡倉は、明治維新以後、西洋文明を取り入れることに汲々としている日本政府の姿勢も冷ややかに見ていたし、近代化されつつある日本しか見ない西洋人の日本を見る見方にも嫌気がさしていた。
<戦争に勝ったから日本は文明国ではないのだ。日本はベースとしてすばらしい文化をもっているのだ>と岡倉は声を大にして言いたかったに違いない。その声が「茶の本」という一冊の本になった。この本は英語で書かれたもので、その主張は西洋人に向かって発せられたものである。「東洋の理想」を出版するときと同じ動機であろう。

 「茶の本」はまさにお茶について書かれた本である。お茶は日本人だけでなく、西洋人にとっても完全に生活に根付いたものである。特に、日本人の生活を語る上で、お茶は絶対にはずすことはできない。
 日本人は毎日お茶を飲む。お茶を飲むのが当たり前になっている。ところがお茶について深く考えをめぐらす日本人はあまりいない。「茶の本」はお茶がもつ思想的そして哲学的な深さと広がりについて書かれたものといえる。
 「茶の本」は7つの章から構成されている。次の通りである。

第1章 茶碗にあふれる人間性
第2章 茶の流派
第3章 道教と禅
第4章 茶室
第5章 芸術鑑賞
第6章 花
第7章 茶人

 お茶といえば茶道である。表千家、裏千家といわれるように、茶道の形式を確立したのは千利休である。千利休が秀吉の命令によって、自ら命を絶ったことは有名である。
 利休と秀吉の2人の組み合わせはたいへんおもしろい。なぜおもしろいのか。2人はお互いに対極にある人間だからである。秀吉は時の権力者で俗世間のトップに位置し、対する利休は俗を超えたところで生きていた。
 「茶の本」を貫く1つの主題は、お茶が俗を超えたところに存在するということである。それは、お茶のルーツをたどっていくと、お茶は老子の思想に行き着くからである。
 お茶が日本の社会に浸透していくのは、栄西が宋からお茶をもってきてからだといわれている。栄西は禅僧である。お茶は禅と深く関わっていたのである。
 中国には生き方の哲学として、儒教・仏教・道教がある。この中で一番中国社会に浸透しているのは道教である。儒教は孔子の教えを、仏教は釈迦の教えを、そして道教は老子の教えを基礎としている。
 禅は仏教の一派であるが、道教とも深く結びついている。そのため、岡倉はお茶のルーツは道教すなわち老子の教えだとの論を展開するのである。
 老子の教えとは、自然との融合であり、共生である。そしてものの見方はつねに相対的である。生き方としては自由奔放であり、西洋でいう個人主義と似通っている。儒教が力説する礼節なるものはない。儒教はよい政治をするための行動のあり方、心のあり方を説くが、道教はより個人的なものである。
 道教と儒教とは全く違うものだといえる。
 「茶の本」はお茶のことに触れながら、茶室のこと、そして茶人のことに触れている。
 岡倉は横浜で育ち、幼い頃から英語に親しみ、英語を日本語と同じくらいに使いこなした。岡倉は西洋文明を知り尽くした。その岡倉が究極的に見出した生き方は老子が唱えた自然との共生であった。
 質素な茶室のあの空間は自然が凝縮されたものなのであろう。

にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ


横浜掃部山公園に建つ井伊直弼像 写真上は、横浜開港記念会館前に建っている岡倉天心生誕之地碑です。
 写真下は、横浜掃部山公園に建っている井伊直弼像です。今年は横浜港開港150年目の節目の年です。井伊直弼は歴史の教科書では、「安政の大獄」で吉田松陰、橋本佐内、頼三樹三郎ら多くの優秀な志士を処刑したことで、冷酷、非情など恐怖政治家のイメージで書かれていることが多いです。しかし、直弼には政治家とは違う別な顔を持っています。彦根には「湖東焼」という焼物があります。この焼物を全国に広めたのは直弼です。また、直弼は茶人です。号は「宗観(そうかん)」です。直弼は「茶湯一会集」なる茶書を執筆しています。この本の中に「一期一会」「独座観念」などの茶道観をあらわした文字が出てきます。

茶の本―英文収録 (講談社学術文庫)茶の本―英文収録 (講談社学術文庫)
(1994/08)
岡倉 天心

商品詳細を見る
新訳・茶の本―ビギナーズ日本の思想 (角川ソフィア文庫)新訳・茶の本―ビギナーズ日本の思想 (角川ソフィア文庫)
(2005/01)
岡倉 天心

商品詳細を見る

テーマ : 文明・文化&思想 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 茶の本

鈴木大拙「日本的霊性(にほんてきれいせい)」を読む

麻布善福寺に建っている親鸞聖人像 仏教とははたして何であるのか。仏教に関する本がそれこそ夥しいほどに出版されているのは、畢竟仏教とはよくわからないものだからではないだろうか。
 仏教は宗教なのか哲学なのかさえよくわからない。哲学ならばそこに論理が存在するはずだが、一般の論理は仏教においては使いものにならない。
 「日本的霊性」の著者である鈴木大拙は大乗仏教の根本原理を「即非の論理」と呼んでいる。これは肯定が否定で、否定が肯定だということで論理でも何でもない。たとえば「世界は即ち世界に非ず、是れ世界なり」の類である。この考えが仏教の根本原理といわれてもとまどうばかりである。

 「日本的霊性」は日本の仏教について書かれたものである。たいへん難解ではあるが、鈴木の語り口が面白く、親しみの湧く書である。
 鈴木は日本の仏教は日本的霊性が覚醒されたときにおこったといっている。そして、日本的霊性をもって日本の仏教を解明していく。
 まず、霊性とは何かというと、次のように説明する。

<なにか2つのものを包んで、2つのものがひっきょうずるに2つでなくて1つであり、また1つであってそのまま2つであるということを見るものがなくてはならぬ。これが霊性である。>

 わかったようなわからないような説明であるが、精神と物質を超えた矛盾する要素を含みながらも全体を支配する意識みたいなものをいうのであろう。霊性の日本的なものが触発されたときに初めて日本に本当の意味で仏教がおこったと説く。その仏教とは禅宗と浄土教である。鈴木にいわせると南都北嶺の仏教は真の仏教ではないことになる。
 なぜ禅宗と浄土教であるのか。霊性は大地と直接つながっていなければならないからである。鈴木は万葉集にも古今和歌集にも宗教心は一切見えないと喝破する。万葉集や古今和歌集には恋人を思ったりする情はでてくるが、日本的霊性は自覚されていないと見る。 なぜ万葉集や古今和歌集が日本的霊性を自覚していないかというと、和歌をつくっている宮廷人たちが大地とつながっていなからだとする。宮廷人たちが国を支配している間には本来の仏教は起こらなかったのである。
 本来の仏教は鎌倉時代になって初めて現れてくる。鎌倉時代に権力が宮廷人から武士に移行したからである。武士は直接に大地につながっている。その武士が農民を支配し、ここに国全体が大地とつながったのである。

 「日本的霊性」は禅宗と浄土教を日本的霊性を自覚したためにおこった仏教と規定し、そして、浄土教は法然そしてその弟子親鸞によって完成されたとしている。
 鈴木の法然・親鸞にたいする思いには非常に熱いものがある。親鸞の唱えた絶対他力はまさに日本的なものであるといっている。法然と親鸞とは1個の人格であるともいう。親鸞は長く京を離れ、田舎にいたことで直接大地とつながり、日本的霊性を喚起させ独自の仏教を完成させたのであろう。
 親鸞の偉大さはとりもなおさず「南無阿弥陀仏」のすごさである。この6文字は誰でもが称えることができるのである。この6文字を何べんも称えると生きたまま極楽にもいける。
 鈴木は「南無阿弥陀仏」について妙好人(みょうこうにん)である浅原才市を通してくわしく言及している。妙好人とは、浄土系信者の中で特に信仰に厚く徳行に富んでいる人のことである。才市が「南無阿弥陀仏」と一体化しているのがよくわかる。

 「日本的霊性」は難しいが、浄土教がなぜ広く流布したかを納得させてくれる名著である。

にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ



東京国立博物館において「妙心寺展」開催 写真上は、東京都港区善福寺に建っている親鸞聖人像です。
 写真下は、東京国立博物館平成館で開催された開山無相大師650年遠諱記念の「妙心寺」の看板を撮影したものです。妙心寺は、戦国時代を扱った歴史小説によく出てくるので、興味をもって見に行きました。妙心寺は室町幕府からの庇護を受けた五山派とは対照的に山隣派(さんりんは)と呼ばれ格下の扱いをうけました。しかし、室町時代から戦国の世になると、五山派は幕府より庇護が受けられなくなり、反対に妙心寺は独自の経営で頭角を現してきます。
 戦国大名は挙(こぞ)って僧侶、坊主を側近におきました。中でも妙心寺からは、今川義元の師太原雪斎(たいげんせっさい)、武田信玄の指南役快川紹喜(かいせんしょうき)、織田信長の傅役(もりやく)沢彦(たくげん)、この沢彦から織田家の人質として囚われていた徳川家康も教育を受けていたともいわれています。その他にも豊臣秀吉、後年の徳川家康など妙心寺とは縁が深いといわれています。この展示会にも快川紹喜住持の書が展示されたいました。
 快川紹喜住持は、織田信長が武田家を滅亡させた後に、恵林寺で焼き殺されました。唱えたことばは「安禅(あんぜん)は必ずしも山水を須(もら)いず 心頭滅却(しんとうめっきゃく)すれば火自(おのずか)ら涼し」です。
 最後に京都では次のような言葉があるそうです。「大徳寺の茶づら 建仁寺の学問づら 東福寺の伽藍づら 妙心寺の算盤づら」

日本的霊性 (岩波文庫)日本的霊性 (岩波文庫)
(1972/01)
鈴木 大拙

商品詳細を見る

テーマ : 文明・文化&思想 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 日本的霊性