ファラデー「ロウソクの科学」を読む

 20世紀の科学の発展はすさまじく、21世紀の今日、科学技術の粋は行き着くところまで行った感がする。人類は宇宙に住むこともできるし、日本にいて世界中の情報をインターネットでもって瞬時に得ることができる。私たちが一世紀も前の人類には考えも及ばない文明の恩恵を蒙ることができるのが科学のおかげであるということを否定する人はいないであろう。
 科学とは自然を解明し、自然の法則そして自然の摂理を理解することである。だが、一体私たちはどれだけ科学について知っているのであろうか。

 ここに、今ではもう日常的に使われることのないロウソクがある。このロウソクは戦前まで立派な照明材として使われていた。非常にシンプルな照明材であるが、私たちははたしてこのロウソクについてどのくらい知っているのであろうか。ロウソクは何でできているのか、ロウソクは何で燃えるのか、ロウソクが燃えるのには何が必要なのか、ロウソクが燃えると何が残るのかなどの疑問に対してどれだけの人が答えられるのであろうか。
 科学は自然を徹底的に分析することによって進歩してきたと同時に進歩するに及んで人類は自然の神秘さに畏敬の念をももった。人類は科学が進歩しても自然の法則を司る自然の摂理すなわち神の摂理を否定することはなかったのである。いやそれ以上に自然を慈しむようになったはずだ。
 ところが、科学技術がこれだけ発展してきた現在、<自然破壊>なることが叫ばれている。よく考えてみるに、<自然破壊>が起こったのは科学技術が進歩したからではなく、私たちがいつしか<科学する心>を失ってしまったからではないか。<科学する心>とは自然の神秘に触れることであり、自然を慈しみそして愛(め)でることであろうと私は思っている。
 
 ファラデーの「ロウソクの科学」(角川文庫、三石巌訳)は<科学する心>について書かれた感動的な本である。ファラデーは古今東西の科学者の中で5本の指にはいるぐらいの偉大な科学者である。日本の高等学校の物理の教科書ではファラデーの電磁誘導の法則、化学の教科書ではファラデーの水の電気分解として登場する。現代の科学技術の土台は電気と磁気である。ファラデーはそれらの基礎になる理論を発見した人である。私たちはファラデーの遺産によって文明を享受しているといっても過言ではない。それぐらいファラデーは偉大な人なのである。
 ファラデーは1791年生まれのイギリス人である。貧しい鍛冶屋の子で、幼い頃から製本屋に丁稚として働きにでた。むろん学校へは行っていない。ファラデーは独学で科学を極め、歴史にその名を残すのだ。明治の大ベストセラー「西国立志編」でももちろんファラデーは大きく取り上げられている。
 「ロウソクの科学」は1861年のクリスマス休みに、ロンドンの王立研究所で行われたファラデーの6回の講演を本にしたものである。内容は6回分に分かれているが、すべてロウソクにまつわることが述べられている。日本のロウソクが登場するのは大変興味深い。6回の内容は次の通りである。

 第一講  一本のロウソク──その炎・原料・構造・運動・明るさ
 第ニ講  一本のロウソク──その炎の明るさ・燃焼に必要な空気・水の生成
 第三講  生成物──燃焼からの水・水の性質・化合物・水素
 第四講  ロウソクのなかの水素──燃えて水になる・水のもう一つの成分・酸素
 第五講  空気中に存在する酸素・大気の性質・その特性・ロウソクのそのほかに
             生成物・二酸化炭素・その特性
 第六講  炭素すなわち木炭・石炭ガス・呼吸および呼吸とロウソクの燃焼との類似

 燃焼とは物質が酸素と結合して、熱や光を出す現象であると化学の教科書には書かれている。あまりにも当然のように書かれているので、読んだものはそんなものかと感激もしないでただ覚えてしまうだけだ。だが、燃焼が酸素と結合することだと理解するのにファラデーを含めた科学者たちがどれほどの実験をし努力したのか。ロウソク1本の中に自然の神秘・自然の驚異・自然の無限性などが一杯詰まっている。「ロウソクの科学」は1本のロウソクでもって自然の神秘を1つ1つ人類の言葉に翻訳していくのである。高等学校の化学の知識のある人にとってはやさしい内容であるが、この本は私たちに<科学する心>を与えてくれるのである。

 高校生のときの化学の実験で、透明な液体に透明な液体であるフェノールフタレイン溶液を入れると、ビーカーの中の液体が一瞬にして鮮やかな赤色になった。それを見たときの感動を私は今でも覚えている。物理で、すでに半導体に取って代わられた真空管の原理を理解したときの感動とうれしさは天にも昇る気持がしたものだ。
 自然を愛するということはとりもなおさず科学を愛することだと「ロウソクの科学」は教えてくれる。私は文科系ですからと言って、科学に目もくれない人たちにはぜひとも読んでほしい名著である。

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ロウソクの科学 (角川文庫)ロウソクの科学 (角川文庫)
(1962/10)
ファラデー

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高木貞治「数学小景(すうがくしょうけい)」を読む

 大学の理・工学部の教養課程の数学の授業ではかならずといっていいくらい「線形代数学」と「解析学」を学習する。「線形代数学」の内容の中心は行列・行列式で、「解析学」の内容の中心は微分積分である。
 「解析学」の参考書として永らく使用されているのが「解析概論」という名著で、この本の著者は高木貞治である。「解析概論」があまりにも有名になりすぎたので、高木は解析学の専門家と見られているが、高木の専門は数論である。
 高木は日本の数学界の創立者みたいな人である。1875年に生まれ、明治の優秀な人たちがほとんどそうであったように高木も東京帝大を卒業し、ドイツに留学した。ドイツ留学中に学位をとり、帰国後東京帝大で教鞭をとった。以後、数学の研究並びに後進の育成に勤しんだ。高木のもとから優秀な数学者が育ち現在でも高木の流れを汲む数学者はおおぜいいる。東大の数学科には世界的に優秀な代数学の専門家がたくさんいるのも高木の流れからかもしれない。

 「数学小景」は高木が6つの問題について詳しく解説をしたものである。これらの問題はおもしろく興味が湧くものであるが、また、現代数学につながる意味深い問題でもある。6つの問題とは<ケーニヒスベルグの橋渡り><ハミルトンの世界周遊戯><隣組、地図の塗り別け><十五の駒遊び><魔方陣><仕官三十六人の問題>である。
 <ケーニヒスベルグの橋渡り>は数学史上最も有名な問題の1つである。ドイツのケーニヒスベルグの市中には3つの川が流れていて、橋が7つ架かっていた。ある人がその7つの橋を、1つの橋を2回渡ることなく、すべて渡り切ることができるかという問題を考えついた。現在でいうところの一筆書きの問題である。それでいろいろな人がその問題に挑戦したが誰も解くことはできなかった。そこで町の人が有名な数学者であったオイラーに相談した。オイラーは即座にこの問題を解くことは不可能であると断言したという。オイラーはこの問題から一筆書きの理論なるものを考えついた。そしてこの理論が成長して、現代数学では非常に重要な分野であるトポロジー(位相幾何学)となるのである。
 <ハミルトンの世界周遊戯>は正多面体に関する問題である。多面体の理論もオイラーによって<ケーニヒスベルグの橋渡り>の問題から発展させられたものである。正多面体は合同な面で囲まれた多面体で、正四面体・正六面体・正八面体・正十二面体・正二十面体の5つしか存在しない。この正多面体の理論の土台となるのがオイラーの公式である。正多面体の問題も現代数学の重要な基礎をなす問題である。
 <隣組、地図の塗り別け>の問題は現在では4色問題として有名である。4色問題とは地図を4色で塗り別けることができるかという問題である。この「数学小景」が書かれた昭和19年ではまだ4色問題は解かれていなかったが、現在ではコンピュターの力を借りて4色問題は肯定的に解決されている。4色問題も位相幾何学における重要な問題である。
 残りの3つの問題も馴染みのある問題でなおかつ現代数学の重要の基礎をなすものである。

 現代数学は非常に抽象的で難しいものであるが、もとはといえば日常起こるささやかな疑問をその端緒としている。偉大なる数学者はささやかな疑問から普遍的な理論を構築しそして体系化してきたのである。
 現代数学が進歩したといってもいまだに解決されていない問題は多い。とくに高木が専門の数論の分野では解けない難問がたくさんある。それらの難問の解決の糸口も日常のささやかな疑問の中にあるかもしれない。
 「数学小景」は数学とは何ぞやと思っている人にはぜひともおすすめの名著である。

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数学小景 (岩波現代文庫)数学小景 (岩波現代文庫)
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高木 貞治

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星新一「明治の人物誌」を読む

上野公園に建っている野口英世像 星新一の「明治の人物誌」はその名が示すように明治に生きた10人の人物について書かれたものだ。その10人とは、中村正直・野口英世・岩下清周・伊藤博文・新渡戸稲造・エジソン・後藤猛太郎・花井卓蔵・後藤新平・杉山茂丸である。ほとんどが有名な人であるが、ピンとこない人もいる。
 政治家・教育者・発明家・弁護士などがいるが、どのような意図でこれら10人を選んだのだろうかと訝しむ読者がいるかもしれない。ただし、星新一の「人民は弱し 官吏は強し」を読んだものにとってはこの人選は納得すべきものかもしれない。10人はいずれも星新一の父星一とゆかりのある人たちなのである。

 星一は明治6年生まれ。苦学をして学校を卒業しそれから単身アメリカに渡り、そこでもすさまじいまでの苦学をしてコロンビア大学を卒業した。日本にもどると、製薬会社を立ち上げ、大企業へと成長させる。ところが好事魔多し。国家権力によって奈落の底へと転落する。それでも星一は夢・希望を捨てず、前向きに生きていく。詳しくは「人民は弱し 官吏は強し」を読まれたし。
 星一のことは普通の歴史の本には載っていないが、間違いなく偉大な人物であった。星一は情熱をもってかつ想像を絶する努力をもって邁進していく。そのバイタリティはどこから生まれてきたのであろうか。
 星新一は父の星一にやる気を起こさせた1つが中村正直が訳した「西国立志編」だとみる。「明治の人物誌」は中村正直のことから始まる。10人の内、唯一、星一と面識がないのが中村正直である。「西国立志編」はイギリス人のスマイルズが書いた「自助論」という本の訳本である。この本は過去の偉人たちのことを紹介したものである。中村は幕命でもって幕末にイギリスに留学をした。日本へ帰る船中で中村は「自助論」を夢中になって読んだ。中村は西洋の発展を促したものが何かがわかり、「自助論」を翻訳して日本人に読ませようと決心する。当然、星一もこの本をむさぼるように読んだ。アメリカにまでもっていった。
 
 10人の人物たちは当然個性的で、十把一からげで述べることはできないが、1つだけ共通点がある。それは10人とも非常に魅力的であるということである。信念をもって、自分が理想とすることに誠実に努力しているのだ。理想としているところはもちろん経済的成功などというものではない。彼らはむしろお金に困っていた。
 「明治の人物誌」は10人の偉人・豪傑たちの生き様をまざまざと見せてくれる。読み終わったとき私は「人はなぜ生きるのか」という単純で根源的な問題にぶつかった。なぜ野口英世やエジソンは夜の目も寝ずにひたすら研究したのか。なぜ銀行家岩下清周は回りから反対されてもこれはと見込みのある人たちにどんどん融資をしたのか。なぜ後藤新平は借金をしてまで人を応援したのか。なぜ新渡戸稲造は老体に鞭を打って日米の架け橋になろうとしたのか。なぜ花井卓蔵は弁護費用を払えない貧しい人たちのために法廷で戦ったのか。
 10人の人物たちは間違いなく理想をもっていた。理想を夢と置き換えてもよい。彼らの理想追及の姿を見ると、「夢をもつ」ということがどれほど恐ろしいことかがわかる。「夢をもつ」ことは裏を返せば血を見るということでもある。「夢をもつ」ことは死ぬ覚悟が必要なのだとも思えてくる。だからこそ夢を追いかけている姿は魅力的なのであろう。
 
 「明治の人物誌」は現代人にとっての「西国立志編」のような名著である。人に「夢をもて」と偉そうにしていう人にまず読んでほしい本である。

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 品川区西大井にある伊藤博文公墓 写真上は、東京都台東区上野公園に建っている野口英世像です。
 写真左は品川区西大井にある伊藤博文公墓です。星新一の実父である星一はアメリカ滞在のときに伊藤博文と出会い、伊藤がアメリカ滞在のときの秘書官的な役割をしていました。そのときに星一は伊藤に野口英世(福島県会津出身)を紹介しました。星一は野口英世に金銭の援助をそれとなく行っていました。星一は帰国後伊藤に役人になることを誘われましたが断りました。
明治の人物誌 (新潮文庫)明治の人物誌 (新潮文庫)
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朝永振一郎「鏡の中の物理学」を読む

 講談社学術文庫の朝永振一郎の「鏡の中の物理学」には3つの一般向けのわかりやすい論文が載っている。論文というよりはお話といった方がいいかもしれない。すなわち「鏡の中の物理学」「素粒子は粒子であるか」「光子の裁判」である。これらの論文の内容はいずれも相対論と量子論についてのものである。量子力学についてといってもよい。
 量子力学は20世紀に完成された現代物理学である。その現代物理学の理論が構築されはじめるのが19世紀末からである。現代物理学が登場するまでの物理学は古典物理学またはニュートン力学といわれている。
 当然、19世紀末までは自然の法則はすべて古典物理学で解明されると科学者たちは信じていた。古典物理学の基本哲学はすべての自然の法則は粒子の運動をベースとしてとらえることができるというものである。ところが光とか電子のようなものの運動に関して、古典物理学の概念では説明できない現象が現れてきた。そして古典物理学に代わる新しい物理学の必要性が唱えられた。上にあげた3つのお話は新しい物理学がそれまでの古典物理学とどのように違うかを本質的にわかりやすい例をあげて説明してくれている。
 量子力学は相対論と量子論とがベースになっている。「鏡の中の物理学」では相対論、「素粒子は粒子であるか」「光子の裁判」は量子論について書かれている。相対論と量子論ははたして何なのか。

 A、B2人が100m離れたところにいてお互いに毎秒2mで近づくように歩いた。このときAからBを見ると、Bは毎秒4mでAに向かってくるように見え、歩きはじめてから25秒後に両者は出会う。この毎秒4mの速さを相対速度といい、これは古典物理学では重要な概念である。
 ところがA,Bが光の場合になると話は違ってくる。光の速度をcとするとBのAに対する相対速度は2cになるはずだが、実際には相対速度はcである。古典物理学の理論が成り立たないのである。
 また、光は波の性質と粒子の性質を合わせもつことがわかってきた。光だけでなく、粒子と思われていた電子がやはり波の性質をもつこともわかってきた。電子や中間子などの粒子を素粒子というのだが、素粒子は全くわけのわからない運動をすることがあきらかになってきた。
 P地点とQ地点までいくには当たり前のことだがP地点とQ地点の間を通らなければならない。ところが電子はその間を通らないでP地点からQ地点までいくのである。まるで幽霊である。その他、いろいろと物理学者の頭を混乱させることが素粒子の世界では起こる。
 相対論と量子論がこれらの現象をうまく説明しようとした。そして相対論と量子論がさらに発展して総合的に光・素粒子の運動をあきらかにする量子力学が誕生するのである。

 素粒子の世界では常識では考えられないことが起こる。その解明に科学者たちは血道を上げて努力する。科学者たちを未知の世界の解明へと挑戦させる動機というのは何なのだろうか。朝永は次のように考えている。

<つまり、科学の本質というのは、生活をよくするとか、悪くするとか、そういう次元と別な次元の価値あるいは、少なくとも意味をもっているのではなかろうか、そういう、よくするとか、悪くするとかいう観点とは別の方向にむいているような意味があるのではないか、という、そういう問いの出しかたがあるわけですね。>

 私たちは何故学問・研究するかを役に立つからというあまりに実利的な面からとらえるよう仕向けられてきたような気がする。朝永は科学者が必死になって研究するのは実利的な動機でなく他の違った要求があるからだといっている。
 私はその要求とは人間が本能的にもった未知なものを解明してやろうという欲求だと思っている。と同時に真理を追究していく長いつらいプロセスを経験することが人間の無上の喜びではないかと思う。
 「鏡の中の物理学」は本質をついたおもしろく読める最高の量子力学の入門書である。

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東京都文京区駒込理化学研究所跡 写真は、東京都文京区駒込に建っている理化学研究所跡地の案内板です。理化学研究所は1917年に設立されました。物理学、化学、生物学、工学など自然科学の基礎研究から応用研究まで行う総合研究機関でした。この研究所からは、長岡半太郎、仁科芳雄、湯川秀樹、朝永振一郎、鈴木梅太郎、寺田寅彦、池田早苗など日本の科学史に燦然と輝く偉大な科学者を輩出しました。
 第三代所長を務めた物理学者で実業家であった大河内正敏がこの研究所を「科学者の楽園」にしました。発明発見は、テーマにのめりこむ没頭力から生まれると信じ自由な空気を提供しました。また、財政基盤を確保するために研究成果を事業化、工業化して会社組織としました。その結果資金は潤沢になりどこからも束縛を受けることなく研究に専念できました。鈴木梅太郎のビタミンなどがあげられます。
 第二次世界大戦の最中に陸軍の要請で仁科研究所に極秘に原爆製造を依頼したことは現在では有名な話です。アメリカは原爆製造を暗号解読で察知しこの地が空爆されました。戦後は改組されて現在では「独立行政法人理化学研究所」になり埼玉県和光市に移転しました。跡地には複合商業施設ができました。あの暗い一時期を共にした樹木は現在でも聳え立っています。

鏡の中の物理学 (講談社学術文庫 31)鏡の中の物理学 (講談社学術文庫 31)
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朝永 振一郎
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