加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読む

 沖縄の基地問題は今に始まった問題ではない。戦後一貫して問題になってきた。65年間もの間問題になってきたというのもすごいことだ。この基地問題がこじれると日米同盟にも亀裂がはいり、いろいろな分野で不都合なことが起こってくるという。おまけに、国際社会での日本の立場は非常に危ういものになるという。沖縄の基地問題は安全保障の問題を超えて日本全体の将来の方向まで決めてしまう大きな問題であるのだ。
 そもそも日本の地である沖縄に、あれほどのアメリカ軍がなぜ駐留しているのであろうか。私たちは戦後65年間、アメリカ軍が日本に駐留する(そのほとんどが沖縄)のが当たり前だと思い込まされてきた。このままいくと日本には未来永劫アメリカ軍が駐留し続けるであろう。
 それではなぜアメリカ軍は日本に駐留しているのか。それは先の太平洋戦争で日本がアメリカに負けたからである。戦争に負けるという現実の1つはかくも長く基地問題で悩むということである。
 沖縄の基地問題は当然沖縄だけの問題ではなく、日本人全部が深く考えなければならない問題である。そして、この問題を考えれば考えるほどやはりあの戦争にたどりつくのである。戦後65年もたって、私たち日本人はいまだにあの戦争の影を引きづっている。日本は平和国家だと自惚れているが、現実に沖縄の人たちは基地に悩まされている。中国は今なおあの戦争のことを侵略戦争だといって事あるごとに日本を責める。
 もうそろそろ日本もあの戦争について真剣に総括する時期にきているのではないだろうか。
 あの戦争について書かれた本はすさまじく多いが、そのほとんどが主観的・感情的なものばかりで、戦争の歴史的真実を伝えているとは思われ難いものばかりである。歴史書というにはほど遠いものばかりといってもよい。歴史書とは歴史的真実に対して善だとか悪だとかを決めるものではないはずである。なぜその歴史的真実が起こったのかを解明するのが歴史書の役割の1つではないのか。あの戦争は侵略戦争で悪の戦争であったという類型的な本ばかりで、なぜあの戦争が起こったかをそれこそ科学的・論理的にわかりやすく書かれた本はほとんどといっていいくらいなかった。あの戦争に関しての夥しい不毛な本のために私たちは知らず知らずにあの戦争の真実から遠ざけられていったのではなかろうか。
 <あの戦争は日本は悪かった>だけでは何も解決されないであろう。

 東京大学文学部教授で近現代史専門の加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は私が待ち望んだ本である。なぜあの戦争が起こったかを、なぜ日本があの戦争を選択しなければならなかったかを、豊富な資料と加藤の論理力でもって解説をしてくれている。加藤は神奈川県にある私立高校の栄光学園で5日間、歴史研究会の生徒にあの戦争がなぜ起こったかを講義した。その講義内容をまとめたのがこの本である。栄光学園といえば毎年東大に何十人も入学する私立の名門中の名門高校である。さすがにその名門高校の中でも歴史が好きな生徒だけに、加藤の質問に対しても見事に答えている。
 若い人たちがあの戦争をフィルターを通してでなく、客観的な歴史的事実としてまず捉えることはたいへん重要なことである。その上でなぜ日本はあの戦争をしなければならなかったのかを深く考えてほしいものである。
 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は日本があの戦争に突き進むのを日清戦争の時代から遡って論証している。この本のすばらしさは感情的にならず、類型的な議論を廃して、綿密に調べた資料と分析力で歴史的真実に迫っていることである。
 いろいろなことに目からうろこが落ちる思いがしたのであるが、とくに陸軍の分析に私ははっとした。それは政党よりも陸軍の方が貧しい農民の生活のことを考えていたという事実である。当然、農民は陸軍を支持するようになるのである。実際に、多くの日本人は軍部を信頼していたのである。あの戦争を批判する人は戦争当時ほとんどいなかった。

 私は『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読んで、あの戦争は負けるとわかっていてもやらざるを得なかった戦争だという思いを強くした。
 あの戦争について考えるのにこの本は最高の歴史書である。

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(2009/07/29)
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宮本常一「塩の道」を読む

 私がまだ小学生の低学年の頃、東京近郊の新興住宅街であった私の家の近くにはたくさんの森や林があった。小学生であった私は友達同士で森や林の中で遊んだ。昆虫や木の実を取った。森や林の中には正規な道でない道もたくさんあったが、私たちは正規だろうとなかろうが、どんどんと森の奥へと進んだ。あるとき、年が少し上の少年がこれはけもの道だといった。親から教えられてでもいたのだろう。いわゆる人間ではなく、けもの(猪とか狸などであろう)たちの通る道である。それ以来、そのけもの道という言葉が、人間世界から忘れられているが、価値ある道として私の脳裏に焼きつけられた。
 大学生のとき、絹の道いわゆるシルクロードに興味をもって、シルクロードの本を読み漁ったことを覚えている。絹の道というのはヨーロッパと中国を結ぶ砂漠の道をいうのかと思っていたが、実際には海の道も含めて、東西を結ぶ道のことをいうらしかった。ある意味抽象的な概念なのである。絹の道の東の最終地が日本であることを知っていささか驚いた。
 「~の道」というのはどこかロマンを感じさせる魅力的な言葉である。
 宮本常一に「塩の道」という文庫本があるのを知って、早速読んでみた。読んでみて、予想通り、すばらしい本であった。
 正直、私は宮本のファンであり、司馬遼太郎のファンでもある。宮本の「語り」をきいていると、それが司馬の「語り」と同じ響きをしているのに気付く。私は宮本と司馬には共通点があると思っている。それは、2人とも歴史を動かすものは民衆たちの生活であることをよく弁えていることである。司馬の歴史小説のおもしろさは民衆の生活の裏打ちがあるからであろう。
 それにしても「塩の道」はタイトルもよく、おもしろくそしてたいへん勉強になる本である。私は江戸の歴史が好きで、よく江戸関係の本を読んだが、塩の道という言葉にお目にかかったことがない。ある意味、塩の道は日本の歴史を作った道であるというのに。
 
 塩は周知のように、人間にとって必要不可欠のものである。海辺の町では塩を焼くことができるが、山に住んでいる人たちはそう簡単に塩は手にはいらない。そこで、塩を運搬する人たちがでてくる。こうして塩の道ができていく。「塩の道」は塩に関連するいろいろなことに言及している。
 私が最も感銘を受けた話は塩魚のことである。塩魚とは塩をまぶした魚のことである。私が子供の頃、塩鮭といって、塩を多量にまぶした魚があった。私は鮭とは塩をたくさんまぶしたものと思っていた。ところが、現在では塩をまぶした塩鮭というものは売られていない。鮭も甘い鮭になった。
 塩魚(当然塩鮭も含む)の第1の目的は魚を味わうことではなく、塩を吸収することであったという。貴重な塩を体内に吸収するために魚にたくさん塩をまぶしたわけである。 日本全国いたるところに塩の道は残っている。宮本は精力的に塩の道を歩いている。塩を語れば、塩だけでは終わらない。製塩法や土器のことや、鋳物師のことに及び、さらに塩を運ぶ人間と運び方に進んでいく。
 塩は険しい山道の場合はボッカと呼ばれる人たちに運ばれるが、平地などには牛や馬などが使われた。宮本は馬について、日本では馬は人間が乗るものではなかったといっている。馬とは、手綱でもって人間に引かれるものであるという。

 宮本の話に説得力があるのは宮本自身、日本中を隈なく歩いているからである。何げない山の道、それは塩の道であった。戦国時代のある武将は塩の道を通って逃げることで九死に一生を得たのである。
 「塩の道」は歴史に興味ある人にとって必読の書である。

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