幸田文「みそっかす」を読む

墨田区立露伴児童遊園に建っている文学碑 明治の文豪といえば、夏目漱石と森鴎外のほかに幸田露伴があがる。露伴は漱石・鴎外のように学歴はなかったが、知識の巨人で、京都帝国大学の教授も勤めたことがある。
 露伴とは一体どのような人であったのであろうか。露伴は2度結婚している。最初の妻は病気で死んでいる。この妻との間に2男2女をもうけたが、長男と長女を早くに亡くしている。後妻との間には子はいない。
 露伴は向島に家を構えた。この家は蝸牛(かぎゅう)庵と呼ばれた。現在、その地には文学碑が建てられている。
 露伴は1867年に生まれて、1947(昭和22)年に亡くなっている。漱石と同じ年に生まれているが、漱石よりはるかに長く生きている。
 露伴が亡くなったあと、次女の幸田文は父の思い出を綴った。これをまとめたのが「みそっかす」である。このとき、文は40代半ばである。幸田文は小説家として有名であるが、彼女が初めて文章らしい文章を書いたのは「みそっかす」に収められている随筆が初めてであった。「みそっかす」は文の処女作になるわけだが、40半ばにして初めて本格的に文章を書いたにしては、驚くほどすばらしい文章である。これも遺伝なのかなとふと思ってしまった。
 文はとりたてて物書きになるための修行をしたわけではない。父露伴に長く接していたので知らず知らずに文章の書き方の極意を身に付けたのかもしれない。

 「みそっかす」には29編の随筆が収められている。文が小学校を卒業するまでの思い出が書かれている。内容は大きく分けて、父露伴のことと継母のことである。
 文が幼いときに実母が亡くなった。その後、露伴が再婚し、文には新しい母ができた。ただし、この母は継母であり、自分は継子であった。文は学校の同級生の男の子から、継母・継子と苛められた。文は継母・継子ということにかなり拘泥している。
 継母だからといって、文は母を嫌っていたわけではない。おそらく、自分が結婚して子の母になって振り返ったからであろうか、文は継母に対して深い同情の気持ちを寄せている。少女の継母に対するぎくしゃくした気持ちがうまく描かれている。
 「みそっかす」を読んで意外だったのは、露伴と継母との仲が悪く、しょっちゅう夫婦喧嘩をしていたことである。その理由の筆頭は露伴が大酒飲みであったことである。露伴は毎日晩酌をしており、その酒が度を過ごすことがたびたびであった。そのとき、決まって夫婦喧嘩が始まった。妻は酒飲みが大嫌いであったのだ。それが、露骨に態度に出た。露伴にお酌などしたことがなかった。文は母が可哀想だとそのたびに思った。
 継母はクリスチャンであった。彼女は女学校の元教師で、とても勉強家で、片時も聖書は手離さなかった。彼女は夫をクリスチャンに何とかしようと試みた。これも夫婦喧嘩の原因だったのかもしれない。この2人がよく離婚をしなかったと、文はしみじみと感心している。
 継母は文に対してはきびしかったが、文は感謝の念をもって継母を偲んでいる。
 文は父の露伴に対しては甘えていたが、露伴は癇癪持ちのところがあり、ときどきは恐い思いをしている。
 文は父親とは何でも知っているものだと思っていた。学校のクラスの女の子が、彼女の父親があることを知りませんといったとき、文は不思議な気がした。露伴は文の質問にはすべて答えた。着物の洗い方まで教えてくれた。「みそっかす」を読むだけでも、露伴が博覧強記であることが理解できる。
 「みそっかす」は文豪露伴の横顔が垣間見れる貴重な本である。

 とにかく「みそっかす」の文章がすばらしい。美しい日本語を私は思う存分に堪能させてもらった。

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 写真は、明治41年から大正13年まで蝸牛庵と名付けて親しん住居の跡に建っている文学碑です。現在は、墨田区立露伴児童遊園になっています。
 ブログ「名作を読む」には幸田露伴の「五重塔」の読書感想文を掲載しています。

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(1983/09/16)
幸田 文

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猪瀬直樹「黒船の世紀 あの頃、アメリカは仮想敵国だった」を読む

 近代の日本において、社会システムが劇的に変化するときにはかならずその裏にはアメリカの存在があった。第一は1853年のペリー艦隊であり、第二は1945年のは敗戦である。
 第一次大戦後、国際連盟の常任理事国並びに世界の5大国まで登り詰めた日本は、太平洋戦争において完膚無きまでに打ちのめされた。その後の日本はアメリカの意向を無視することができずに、それが現在まで続いている。
 明治・大正においても日本にとってアメリカはたいへん関係の深い国であるにも関わらず、歴史教科書にはこの2国間の関係史の記述はほとんどない。アメリカは日本が満州事変を起こした頃から日本を敵視し、そして太平洋戦争に繋がったと、私は漠然と思っていた。関東軍作戦参謀の石原莞爾が「世界最終戦争論」で、最後は日本とアメリカが激突するといっても、私にはあまりピンとこなかった。
 ところが、猪瀬直樹の「黒船の世紀 あの頃、アメリカは仮想敵国だった」を読んで、私は自分の無知を認識せざるを得なかった。とにかく、この本は衝撃的であった。
 日本とアメリカは日露戦争後、お互いに相手を仮想敵国として鎬を削ってきた。太平洋戦争はやはり石原の予想したとおり、最終戦争であったのだ。
 日本についていえば、アメリカを仮想敵国として俄然意識するのは、日露戦争後であることは確かであるが、アメリカについていえば、実は、ペリーが日本に来たときから日本を征服しようと意図していた節が見受けられる。終戦直後、アメリカのミズーリ艦上で、大日本帝国の降伏文書調印式が行われたとき、艦上にはペリーの艦船にあった星条旗が翻っていたという。ペリー来航から約100年を経て、アメリカは日本を制圧したのである。

 「黒船の世紀」は日露戦争後の日本・アメリカ・イギリスで出版された「日米未来戦記」を扱った本について詳しく記述したものである。膨大な資料が駆使されている。
 日露戦争後、アメリカは正式に日本を仮想敵国と規定し、オレンジプランをたてた。日露戦争に勝った日本はそれまでの仮想敵国であったロシアに対する恐怖がなくなり、代わってアメリカを仮想敵国にした。これらはあくまでも国レベルの政策であるが、民間においては、日米戦争が現実味を帯びてきた。日米戦争に関する本が熱狂的に日本国民に受け入れられたのである。その皮切りになったのが、水野広徳の「次の一戦」である。
 水野は海軍大佐にまでなった軍人であったが、日露戦争に従軍し、戦後、「この一戦」で日露戦争を克明に描いた。「次の一戦」は日本とアメリカが戦争をする話である。その内容は、最終的には、日本がアメリカに負けるというものであるが、水野はこの本で、だから軍備を増強せよといいたかったのである。
 水野は第一次大戦中、イギリスに行き、実際に空爆を体験している。また、ドイツにも行って、ドイツの過酷な状況を目撃した。これらの経験が水野の戦争観を一変させた。これからの戦争は想像を超えた悲惨なものになると水野は考え、戦争はすべきでないと結論付けた。水野は反戦主義者になったのである。
 水野に続いてたくさんの作家たちが「日米未来戦記」を書いた。数百種類の本が出版されたという。どれも日本が勝つものばかりで、日本人の心に、アメリカと戦っても勝てるという気持ちを植えつけた。
 アメリカ・イギリスでも様々の「日米未来戦記」の本が出版された。中には日本が勝つというものもあるが、ほとんどはアメリカが勝つというものである。日本の軍人たちはこれらの本をかなり参考にした。特に、イギリス人が書いた「太平洋大戦争」は実際の日米戦争に迫る実にリアリティに富んだ作品であった。

 私はこの本を読んで複雑な気持ちになった。先の日米戦争は軍部主導で行われたと思っていたのであるが、戦争遂行の真犯人は日本国民ではなかったと思わざるを得ない。その国民を煽ったのがマスコミであった。東条英機は日米戦争に躊躇したが、そのときの雰囲気がそうさせなかった。
 戦争の責任を軍部だけに押し付けていては、あの戦争の本質は絶対に見えてこない。

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