鳩山春子「我が自叙伝 鳩山春子」を読む

鳩山会館に建っている鳩山和夫・春子夫妻像 正岡子規は1902(明治35)年に亡くなった。それまで子規の病気の世話をしていた妹の律は、子規の死後、30代半ばではあったが共立女子職業学校(現共立女子大学)に入学し、卒業してからは和裁の教師になった。そして、子規が長年住んだ子規庵で裁縫教室を開いた。
 明治時代は女性のための学校が少なかった。男女共学の上級学校はなかった。共立女子職業学校は女性のための数少ない学校の1つであった。この学校を創立した1人が鳩山春子である。鳩山春子は津田梅子(津田塾大学創立者)・吉岡弥生(東京女子医科大学創立者)・成瀬仁蔵(日本女子大学創立者)などと並ぶ、日本の女子高等教育に貢献した教育者である。
 鳩山春子の夫は鳩山和夫である。鳩山和夫は現在まで続く名門中の名門鳩山家の初代である。和夫自身は衆議院議長をつとめ、子には戦後まもなくして総理大臣になった鳩山一郎がおり、孫には外務大臣になった鳩山威一郎がおり、曾孫には総理大臣になった鳩山由紀夫と総務大臣になった鳩山邦夫がいる。まさに華麗なる政治家一族である。
 政治ばかりでなく、学問の一族としても鳩山家は光り輝いている。和夫自身は東京帝大教授にして早稲田大学校長であり、一郎の弟の次男の秀夫は東京大学法学部教授であり、由紀夫は政治家になるまでは、大学で教鞭をとっていた。
 鳩山家の隆盛は和夫に卓越した能力があったからだろうが、そればかりではない。その和夫を支えた妻の春子の存在も無視できない。春子は良妻賢母として鳩山家のために尽くした人である。

共立女子学園 「我が自叙伝 鳩山春子」は鳩山和夫が55歳の若さで亡くなったあと、雑誌に連載された春子の自叙伝である。自叙伝と題されているが、春子自身の仕事のことはほとんど言及されておらず、大半が夫和夫のことと2人の子供のことに費やされている。
 共立女子職業学校のことは特別には記されていないが、本文に入る前に序説として人生において重要と思われる以下のことについて書かれている。
1 勤勉と意志 2 誠実と義務 3 自由意志と作業 4 権利、義務、母性愛
5 母性愛と新著「母」に就いて 6 思想善導に就いて
 上記の内容を春子は共立女子職業学校の生徒に繰り返し教えたに違いない。
 鳩山春子の旧姓は多賀春子である。春子は1861(文久元)年、松本藩士の末っ子として生まれた。父は藩の身分の高い人で、明治になっても高い地位にいた。父は厳格な人であったが、教育熱心でもあった。幼い春子は四書五経などの漢文を暗唱させられた。
 長ずるに及んで東京に出て、13歳のときに、当時日本唯一の官立女学校に入学した。その女学校が3年後に廃校になると、お茶の水東京女子師範学校内に新設した別科英語科に入りそこを首席で卒業した。春子は学校以外にも、アメリカ人の女性から個人的に英語を習っていた。結婚するまでの春子は勉強に集中するだけで、他には目もくれないという感じであった。
 学校を卒業後、春子は鳩山和夫と結婚した。2人はお見合いのときに1度会ったきり、結婚式まで1年間会わなかった。春子は結婚の準備はほとんどしなかった。料理も作れなかったのである。和夫はそんな春子を見ても文句1つ言わなかった。
 和夫は開成学校(のちの東京大学)を卒業後、第1回留学生としてアメリカに留学し、コロンビア大学で法学士、イエール大学で博士号を取得した。和夫は当時としては最高のエリートコースに歩んでいたのである。実際、和夫はどんどん出世していった。
 和夫は大学で教鞭をとる傍ら、弁護士としても活躍する。弁護士は当時、代言人と蔑まれていたが、和夫が弁護士になると、弁護士は逆に尊敬される職業になった。日本で法律事務所を初めて開設したのは鳩山和夫だといわれている。
 鳩山は弁護士をしながら東京府会議員、衆議院議員、外務省次官になり、衆議院議長にまでなった。その間、東京専門学校の校長を18年間つとめ、早稲田大学の礎を築いた。
 春子は誠心誠意和夫のために尽くし、愛情を込めて2人の息子を育てた。春子は和夫のことをとても尊敬しており、夫としてだけでなく先生としても崇めている。春子は子供時代から英語を学んでいたが、とてもでないが、和夫の英語力には遠く及ばなかった。和夫はたいへん頭がよかったが、少しも偉ぶったところはなかった。また和夫は温厚で、1度たりとも和夫が声を荒げたのを聞いたことがなかった。
 春子は2人の子供の教育には自主性を尊重した。強制することはなかった。子供たちはのびのびと育ち、父親を尊敬し、長男の一郎は政治の道に、次男の秀夫は学者の道に進んだ。和夫は心の中では秀夫にも政治の道を選んでほしいと思ったらしい。

 鳩山和夫は当時の大権力者伊藤博文や大隈重信に頼りにされる存在であった。その鳩山の影にはいつも妻の春子がいた。

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浜口雄幸「随感録」を読む

東京駅浜口首相遭難現場 昭和に入ると、時代は急激に戦争の危機に向かって突き進んでいく。それと軌を一にして軍部が政治の実権を完全に握り始めた。なぜ、あの太平洋戦争と呼ばれる戦争が起こったのか。政府が軍部の傀儡となり、その行動を日本の世論が後押しをしたのが原因であることは明白である。
 それでは、軍部に翻弄された政治家たちは一体何をしていたのであろうか。当時は一応政党政治で、政友会と民政党が二大政党であった。ただ、二大政党といっても政党同士はお互いに、現在と較べてもそれ以上に相手を誹謗中傷していた。とても二大政党制といえるようなしろものではなかった。
 統帥権干犯という奇妙奇天烈なものが国会の場に現れることによって、日本が戦争をすることが決定された。この統帥権干犯なるものは、ロンドン軍縮会議において、海軍力を削減することを決めた、時の民政党政権を追求するために野党の政友会が提起したものである。政友会のバックには軍部がいた。政友会と軍部が結託して、民政党内閣を潰そうとしたのである。そのときの総理大臣は民政党党首浜口雄幸である。
 浜口は気骨ある政治家で平和主義者であった。浜口はロンドン海軍軍縮会議で軍縮条約を締結したばかりでなく、金解禁を断行した総理大臣として、歴史の教科書ではかなり大きく取り上げられている。
 昭和5(1930)年11月14日、浜口は出張で西下する際、東京駅のプラットホームで、愛国社社員の放った凶弾に倒れた。一命はとりとめたが、翌年昭和6(1931)年8月26日に永眠した。
 私が浜口雄幸に興味をもったのは、城山三郎の「男の本懐」を読んでからだが、<男の本懐>は凶弾に倒れた時に、浜口が発した言葉である。
 雄幸(おさち)とはおもしろい名前であるが、実際は、幸雄とつけるつもりだったが、役所に届け出るときに父親が酒に酔っていて、誤って雄幸とつけてしまったらしい。浜口は1870(明治3)年、今の高知県に生まれた。

東京駅 浜口雄幸の「随感録」は、昭和4年の秋以来、浜口が週末に休養のため赴いた鎌倉の別荘で、感興のおもむくままに書き留めた随筆である。浜口は随筆とはいわずに、随感といっているが。
 浜口は、帝国大学法科を首席で卒業した秀才で大学を卒業と同時に大蔵省に入省した。大蔵省で次官まで勤めたあと衆議院議員になり、民政党の党首として第27代内閣総理大臣になった。
 「随感録」は内閣総理大臣になってから書かれたものである。
 浜口は筆不精で、ふだんあまり本を読まないと謙遜しているが、どうしてどうして文章は重厚で味わい深く、浜口がすぐれた教養人であることが伺われる。
 とにかく私が「随感録」の中で一番興味深く読んだのは凶弾に倒れてからのことである。凶弾に倒れたときのことを次のように生々しく書いている。

<列車の側に居た一団の群集中の一人の袖(そで)の下から異様のものが動いて「ピシン」と云う音がしたと思うた一刹那(せつな)、余の下腹部に異常の激動を感じた。其の激動は普通の疼痛(とうつう)と云うべきものではなく、恰(あたか)も「ステッキ」位(くらい)の物体を大きな力で下腹部に押込まれた様な感じがした。それと同時に「うむ、殺(や)ったナ」と云う頭の閃(ひらめ)きと「殺(や)られるには少し早いナ」と云うことが忽焉(こつえん)として頭に浮かんだ。以上の色々の感じは殆(ほとん)ど同時に起こったので、時間的の遅速(ちそく)は判(わか)らない位であった。>

 浜口は凶弾に倒れてから駅長室に運び込まれ、さらに、東京帝国大学医学部病院に送られ、大手術を受けた。手術は成功し、3月には国会に出席した。
 浜口は凶弾に倒れてからのことを冷静に振り返り、そして、自分の政治家としての思いを綴っている。浜口は決して暗殺を恐れてはおらず、政治家として国を正しき方向へと導き、日本を豊かな平和な国にしようという抱負も述べている。
 この浜口の文章に接して私は、政治家としての偉大さと同時に明治に生まれた男のすごさを感じた。どんなことがあっても、自らの命を顧みずに国のために奉じるというまさに武士道精神を私は垣間見た気がした。

 「随感録」を読んで、私は、昭和の初期の時代にすばらしい政治家がいたことを思い、今の政治家にも浜口の気概をもってもらいたいと思った。城山三郎が浜口を主人公にした小説を書いた理由がわかるような気がした。

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