エリザ・R・シドモア「シドモア 日本紀行 明治の人力車ツアー」を読む

さくら

 21世紀になって、日本の文化が急速に世界に普及した。寿司はもう日本食ではなく、世界では当たり前の食になり、納豆をおいしく食べる外国人もたくさんいる。
 1955年以降の高度経済成長のとき、日本は自動車・家電などのモノは輸出するが、文化は輸出しないと批判した評論家がいた。しかし、現在では日本のモノそのものが文化として世界を席巻している感がある。
 何も日本の文化は現代になって世界に認められたわけではない。江戸時代から続く文化・伝統が根付いた明治期にも、日本を訪れる西洋人たちは、日本の文化を称賛した。当時の日本の文化を卑下したのは、とりもなおさず、日本のリーダーであると自負している日本人であった。古き日本は悪で、新しき西洋は善であるという考えがまかり通ったのである。日本の美術品は二束三文で外国に売られた。
 新しい日本のリーダーになるべき人たちは、若い時に西洋に留学した。その中に、夏目漱石・森鴎外がいた。漱石も鴎外も西洋文明にどっぷりと漬かってきたのだが、二人とも年を経るとともに、江戸を懐かしむようになる。漱石は西洋文明を否定し、鴎外は晩年、江戸時代後期を舞台にした史伝の著作に没頭する。二人の文豪がはからずも日本に回帰したようだ。
 幕末から明治になって、大勢の西洋人が日本を訪れた。彼らのほとんどは、日本の自然・文化のすばらしさに驚いた。今でいう日本の「おもてなし」を称賛した。ところが、当の日本は、新しい国作りの美名のもと、自然・文化を破壊しつつあった。そのような光景を見て、日本は何て愚かなことをしていると嘆いたアメリカ人がいた。シドモア女史である。彼女は地理学者・ジャーナリストで世界中を回り、明治の初めに日本に来て、それから45年間日本との絆を絶つことがなかった。
 シドモア女史は、日本の自然・文化をこよなく愛し、それらが失われていくことを深く惜しんだ。彼女は日本とアメリカの友好のために、日本からアメリカに日本文化の象徴である桜の苗木を送ることを提案する。紆余曲折を経て、この提案は実現され、3000本の苗木が日本からアメリカの首都ワシントンに送られた。これらの苗木は立派に育ち、春になると美しい桜の花を咲かせて、アメリカ人をたのしませた。現在では、桜の木は8000本にもなり、「ワシントンの桜祭り」は、ワシントンの重要な年中行事になっている。

皇居前広場


 「シドモア 日本紀行 明治の人力車ツアー」はシドモア女史が日本を初めて訪問した明治17(1884)年から、明治35(1902)年までのおよそ20年間に、彼女が日本の印象を詳細に記した紀行文である。
 初めて日本を訪れる西洋人の例に洩れず、シドモア女史がまず驚いたのが、日本人の表情の豊かさそして笑顔であった。日本人は明るかったのである。彼女は、日本はそれまでに見た他のアジアの国と違うと感じた。
 シドモア女史は、横浜を皮切りに、鎌倉・江ノ島・東京・日光・富士山・箱根・三島・静岡・浜名湖・名古屋・琵琶湖・京都・宇治・奈良・大阪・神戸・有馬・宮島・長崎などを訪問した。東京では、芝の紅葉館に行ったり、鰻料理を満喫している。そして皇居も訪問して、華族たちと接している。
 この紀行文で、特に興味を引くのは、シドモア女史が実際に富士山を昇っていることである。死ぬ思いをして登頂した記述は感動的である。
 シドモア女史はいつも人力車に乗って移動した。人力車夫の強さだけでなく、彼らの礼儀正しさも称賛している。また、いろいろな工芸品・民芸品を見て、日本人の技術のすばらしさに驚嘆している。
 この紀行文から、シドモア女史が深く日本を愛していることが読み取れる。私は日本人として誇らしく思った。

 現代の世界における日本文化ブームは一朝一夕に成ったものではない。日本文化は長い時間をかけて、熟成されてきたのである。明治時代に日本に来た西洋人は、いち早く、華麗・絢爛な日本文化に魅了されたのである。

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Tag : シモドア さくら 日本紀行