石平「なぜ中韓はいつまでも日本のようになれないのか」を読む

聖徳太子生誕地 奈良県明日香橘寺太子堂


 「教育勅語」がマスコミ界を賑わしている。ある大手新聞の記者が文部科学大臣に対し、「教育勅語を教えるということは、戦前に戻るのですか?」と質問をした。何かあるといわれるフレーズにあきれながらも、やはり怒りを禁じ得ない。この日本の良心を代表していると自認している新聞社の記者ははなから「戦前の日本は悪」と決めつけているのだ。
 自らの国の歴史を否定する国に未来はあるのかというのはよくいわれるが、正直、この新聞社の記者のような人間が言論の最前線にいる国の未来ははたしてだいじょうぶかと不安になる。
 歴史論争といえば日本と中国・韓国との間の問題のようにとられがちだが、歴史問題の根本的な問題はすべて日本人自身にあるといわざるを得ない。
 日本の戦前を否定する人たちの決定的な間違いは、歴史と真剣に向き合わないことである。あたかも「戦前の日本は悪」が否定できない公理として、歴史を見ることである。この先入観のもとでは、歴史をどんなに学んでも無意味である。
 「戦前の日本は悪」という公理に都合のよい事実だけをあげつらって、自説が正しいことを主張するだけである。このような論法では、歴史の真実が見えてくるはずがない。
 日本が満州を侵略していたというが、そのときの満州そして中国がどのような状況にあったかを本当に調べたのか?日韓併合は悪だというが、大半の朝鮮人が望み、西洋諸国が認めたことを知っているのか?
 歴史に真剣に向き合うというのは、先入観なしに、その時代を時間的にも地理的にも相対化して見るということだ。いい換えると、現代の見方で、日本の事情だけでその時代を見てはいけないということだ。
 教育勅語が悪いという人間たちは、教育勅語がどのような過程でできたかを知っているのか、それ以上に教育勅語を本当に読みこなしたのか。少なくとも十回読んでみれば、この勅語が日本を戦争に導いたなどといえるはずがない。要は、日本人がお互いに尊重しあって日本のために協力しようということで、当たり前のことをいっているにすぎない。また、勅語は法律でないことも肝に銘じておくべきだ。
 戦前、世界で最も尊敬された日本人の一人にリベラリストの新渡戸稲造がいる。新渡戸はヨーロッパに滞在しているとき、「日本にはキリスト教のような宗教はないが、倫理・道徳教育はどうしているのか?」という質問を受けた。この西洋人は無宗教の日本人がなぜ道徳心に満ち溢れた人間かと驚嘆しているのである。新渡戸はすかさず、「日本人は武士道を学びます」と答えた。新渡戸は欧米人に武士道を理解してもらうために英語で「武士道について」という本を書いている。
 教育勅語を悪という人間は、武士道も悪というであろう。ところが、武士道は倫理・道徳のような行動規範であって、日本人に根強く植え付けられたものである。現在、日本人の道徳観念は高いと世界中から称賛されるが、実は、これも武士道のおかげなのである。武士道と戦争とはまったく関係がない。教育勅語と武士道はかなり似通っている。
 歴史を学ぶというのはたいへんな精神的な苦痛を伴うものである。とにかく、主観を排して、客観的に見なければならない。いい事も悪い事も事実として受け止め、論理的にその裏側にある真実に迫らなければならない。そのため、日本に住んだことのある外国人の方が、日本並びに日本の歴史をより客観的に記述してくれる。
 幕末から明治にかけてたくさんの西洋人が日本を訪れ、日本のことについて本を書いている。その本を読んでみると、びっくりするぐらい日本のことを称賛している(もちろん日本のことを貶していることもあるが)。それらの本を読み尽くせば、江戸時代に対する見方が劇的に変わるであろう。

多磨霊園 武士道著作者新渡戸稲造像

独協学園創立者西周像


 石平氏の「なぜ中韓はいつまでも日本のようになれないのか」はすばらしい本である。中国人から日本人になった石平氏は、日本の歴史を相対化できる人である。
 タイトルから、この本はいかにも中国・韓国を貶す本だと思われがちだが、実際に読んでみると、この本は日本人の歴史の見方に警鐘を鳴らしたものであることがわかる。石平氏は中国人・韓国人に怒っているのではなく、日本人に対して怒っているのである。日本人よ、歴史を正しく学べといっているようだ。
 日本がなぜ、世界に冠たる自由市場経済国になったかは、江戸時代という西洋型の封建時代があったからだといっている。江戸時代は暗黒時代ではないと力説しているのである。その論理的な記述には説得力がある。私はただただ頷くだけである。

 日本の歴史を知りたい人にはかならず読んでほしい。

世田谷松陰神社 吉田松陰像

浅草 吾妻橋に建っている勝海舟像

金沢八景 憲法草創ノ碑


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 写真上から、聖徳太子生誕の地である奈良県明日香橘寺の太子堂です。聖徳太子は、十七条の憲法を制定しました。十七条の憲法は「和を以て貴しと為し、」から始まります。日本人の心の中には「和を以て貴しと為し、」が刻み込まれています。
 文中の写真上は、武士道の著作者であり、国際連盟事務局長、旧制第一高等学校長など要職を歴任した新渡戸稲造の像です。
 写真下は、啓蒙家、教育者で独協学園創立者の一人で初代校長を務めた西周です。開校式の演説において「そもそも、学をなす道はまず志を立つるにあり」「志を立てて学問に従事すれば、これに次ぐものは勉強にあり」と述べています。
 1948年(昭和23年)6月19日、教育勅語などと共に失効したものに軍人勅語があります。軍人勅語は西周が起草し、教育勅語を起草した井上毅が加筆しました。
 西周は、福沢諭吉と共に多くの西洋の言葉を訳語にしています。「芸術」「理性」「科学」「技術」「心理学」「意識」「知識」「概念」「帰納」「演繹」「定義」「命題」「分解」など現在でも重用されています。
 写真下は、世田谷の松陰神社に座っている思想家吉田松陰像です。下は、幕末に西洋列強国からどのように日本を守ることを第一に考えて行動した浅草吾妻橋に建っている勝海舟像です。
 最後の写真は、金沢八景に建っている憲法草創の碑です。この地で井上毅、金子堅太郎、伊藤巳代治らによって明治憲法が草創されました。

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Tag : 石平 なぜ中韓はいつまでも日本のようになれないのか 武士道