猪瀬直樹 磯田道史「明治維新で変わらなかった日本の核心」を読む

伊勢神宮 鳥居 宇治橋


 気のせいか、近頃出版される一般向けの歴史の本が質的に変わってきたように思う。興味本位ではなく、切実に日本の国の成り立ちを解明しようとする姿勢が垣間見えるからである。
 現在、日本という国が本質的に変わろうとしている。その顕著な例が憲法改正である。正直なところ、私は長い間、憲法とは変えられないものだと思っていたし、事実、五十年近く、安倍総理大臣以前の総理大臣が憲法改正を国会で口にするなどありえないことであった。口に出した瞬間、内閣は潰れたであろう。日本人にとって、憲法は決して変えることのできない不磨の大典の趣きがあり、憲法は戦後の日本の国の形を縛ってきた。
 国が劇的に変わろうとするとき、国民は、国の本来の姿を知りたく、作り物でない本当の歴史を求めるのであろうか。本当の歴史こそが未来への指針となるからである。
 考えてみれば、私たちはいかに作られた歴史に惑わされてきたことか。はたして江戸時代は武士を頂点とする身分社会で、農民は自由がなく年貢を絞りとられていたのか。はたして日本の資本主義は明治になって突然発展したのか。はたして、天皇は権力者として君臨したのか。
 太平洋戦争において、私は痛烈に疑問に思ったことがある。太平洋戦争といえば、日本の軍国主義ばかりが強調されるが、なぜ、日本は世界の最強大国であるアメリカと戦争をし、約四年に渡って戦いをすすめることができたのか。日本の国力はそれほどすごかったのか。また、アメリカの占領後、なぜ、GHQのマッカーサーは廃止すると計画していた天皇制を維持したのであろうか。
 おそらく、教科書のような作られた歴史では、この二つの疑問に解答を与えることは難しいだろう。解答を得るには、江戸時代の真実の歴史、歴史上天皇の本当の役割を知る必要がある。

伊勢神宮 社殿

伊勢神宮 旧社殿


 評論家猪瀬直樹と歴史学者磯田道史の対談本「明治維新で変わらなかった日本の核心」は、目からウロコのまさに歴史の啓蒙書である。古代から明治までの日本の歴史について、作られた歴史をまったく無視して、忌憚なく論じている。その主張には説得力がある。それにしても、専門家とはいえ、磯田の広く深い歴史研究には畏れ入る。
 冒頭、「赤穂事件」を扱っている。猪瀬は、吉良上野介が赤穂浪士の討ち入りで殺されたのは、徳川家の陰謀ではないかという仮説を紹介している。理由は、徳川家が高家である吉良家の禄四千石を惜しんだからである。吉良が本所に屋敷を与えられたのは左遷ともいっている。それから、天皇の権威についての討論が始まるのである。
 この徳川家の陰謀説を私は初めて知り、驚いた。この本全体を通して、私は驚きの連続であった。その中で、特に驚いた内容は次の二点である。

(1)天皇は権力をもたず、権威をもっていた。
(2)江戸時代、日本は近代的資本主義のシステムをすでにもっていた。

(1)に関していえば、日本人は権力と権威を使い分けていたというのである。江戸時代、徳川家が権力をもつが、天皇は権威をもっていた。武士が最高の名誉とされる官位は徳川家を通して天皇家から与えられるのである。その見返りに天皇家は禄を与えられていた。徳川家は天皇の権威を否定することなく、その権威を最大限利用した。天皇が権威をもつことは、ほとんどの日本の歴史を通じてあてはまるという。

(2)に関しては、この本の主要テーマであるため、かなり詳しく論じられている。目からウロコの内容は、江戸時代、農民は土地の所有権をもち、それを担保に借金ができたこと、かなりの農民が商工業を兼業していたこと、金融制度がしっかりしていたこと、農民は自由に移動でき流通が整っていたこと、信用社会であったことなどなど。極め付きは、少年二宮金次郎が背負っていた薪は、付加価値の高い燃料で、それを売っていたことである。二宮少年はいかに大量の薪を手に入れ、それをいかに効率よく売ることを情報を広く集めて常に考えていたのである。二宮金次郎とは近代的経済人であった。

 二人の主張を読んでいると、江戸時代はもはや封建時代とはいえない。

 明治になって、江戸時代のシステムを残しながら西洋のシステムを導入して、日本は資本主義を発展させ、昭和になってアメリカと戦争ができるくらいの経済大国になっていたのである。
 また、マッカーサーは天皇が日本人の侵すことのできない最高の権威であることを知ったからこそ、天皇制を残したのである。

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 写真は、上から伊勢神宮の鳥居が建立されている宇治橋、伊勢神宮の社殿、旧社殿です。

出雲大社 鳥居

出雲大社 社殿

 写真上から、出雲大社の鳥居、社殿です。

明治神宮 鳥居

明治神宮 明治天皇御製

明治神宮 社殿

 写真上から、明治神宮の鳥居、明治天皇御製・昭憲皇太后御歌、社殿です。

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Tag : 猪瀬直樹 磯田道史 明治維新で変わらなかった日本の核心

田中秀雄「朝鮮で聖者と呼ばれた日本人 重松髜修(まさなお)物語」を読む

拓殖大学


 日本と韓国はどうなっていくのか。2017年の年の瀬も押し迫って、韓国政府は2015年12月の従軍慰安婦問題に関する日韓合意が妥当であったかどうかの検証結果を発表した。
 その内容は予想された通り、合意そのものを否定するものであった。政府と政府が合意されたものがいとも簡単に覆されたのである。
 ただ、今回の一連の韓国の日本に対する非難において喜ばしいことが起きている。それは、韓国の主張に対して同調する日本人の勢力が弱くなったということである。テレビに至っては韓国を擁護する意見は皆無であった。
 私は日韓問題は本質的には日本の国内問題であると思っている。戦前の日本イコール悪という公式が成り立つ内は、日韓の歴史問題はなくならない。
 本当に戦前の日本は悪だったのか。本当に日本は韓国を併合したとき、朝鮮民族に空前絶後の悲惨な目に合わせたのか。それに解答を与えるのは日本人自身である。
 私たちができることは勇気をもって正々堂々と真実を伝えていくしかないのである。

拓殖大学 創立者 初代総長桂太郎像

多磨霊園 拓殖大学第二代総長新渡戸稲造


 私が読んだ日韓併合時代のことを書いた本の中で最も感動した本の一つが田中秀雄の「朝鮮で聖者と呼ばれた日本人 重松髜修(まさなお)物語」である。
 この本を読んだとき、本のタイトルにある通り、まさに重松は聖者だと思った。正直、日本人いや人間を超えた存在だと思った。同時に、私は重松を聖書に出てくるモーゼと重ね合わせた。エジプトの奴隷となっていたユダヤ人をエジプトからユダヤ人の故郷であるイスラエルの地に想像を絶する苦難を乗り越えて連れ帰ったのがモーゼである。無知蒙昧なユダヤ人たちは奴隷でいることを望み、モーゼに反抗した。
 重松は朝鮮の八田與一とよばれているようだが、根っからの技術者の八田と重松は違うような気がする。重松は、技術者をも超えた神がかり的な人であったと言うべきか。
 それでは一体重松は具体的に韓国で何をしたのであろうか。
 重松は明治24年に松山市で生まれ、東洋協会専門学校(現拓殖大学)を卒業し、大正4(1915)年に韓国に移住し、終戦までの約30年間の大半の時間を金融組合の理事の仕事に費やした。
 金融組合とは農民相手の銀行みたいなもので、目賀田種太郎が朝鮮半島全土に展開し、旧態依然の紊乱した朝鮮の財政状況を劇的に改善するために設立した。
 当時の朝鮮は日本では中世といってよいほどの未開の地で、国の体を成しておらず、金融制度もなかった。あるのは高利貸しだけであり、農村は全く疲弊していた。
 重松は大正6(1917)年に陽徳という地の金融組合の理事になった。ここで、人生最悪の惨事に出合う。三一独立運動に遭遇し、暴徒に右太ももを拳銃で撃たれ、生死をさまよう。幸運にも一命はとりとめたが、右足は生涯不自由となった。しかしこのことにもめげず、重松は金融組合の理事に執着し、数年後、江東という地の金融組合の理事に就任した。 重松の歴史に残る業績はこの江東の地で行われた。貧しい生活を強いられ、預金ができなく、将来の見えない農民たちに、卵を売るという副業を教えたのである。
 鶏を飼育し、卵を生ませ、それを売った代金を預金することを説いた。預金は将来ある程度溜まったら、生活向上のために投資をさせる。その具体的な目標として、30円溜まったら牛を買うことにした。牛は耕作をするうえで大変重宝なもので、生産性がすこぶる高まる。ただ、多くの農民にとっては垂涎の的であり、まして、卵を売って牛を買うことなど、誰も信じなかったし、不可能なことだと思った。
 重松は不可能を可能にしようとした。こう決断したとき、重松は金融の人間の枠を大きくはみだし、養鶏事業の専門家へと突き進んだ。私財を投げうって、日本から良質の鶏を仕入れ、養鶏舎を作り、飼育に精を出した。無論、金融組合の仕事をしながらである。夫婦ともに睡眠時間をぎりぎりまで削って頑張った。鶏が有精卵を生むと、それを無償で江東の農民たちに配った。農民たちは乗り気ではなかったが、重松の熱心な説得に徐々に理解を示し、一人二人と卵を売ることを始めた。次第に卵を売る農民たちが増え、それとともに、農民たちは勤勉・努力・節約という生きていく上での貴重な資質を身に着けていくのである。重松は卵の生産の指導だけでなく、販売・マーケティングなどすべてを受け持った。まさに八面六臂の活躍である。
 養鶏事業を始めて5年もたつと、いよいよお金が溜まり、現実に牛を買う農民が現れた。夢が現実化したのである。その後、続々と牛を買う農民が増え、牛だけでなく土地を買って農地を拡大させた人が多く現われた。江東の農民たちは自立し、生活を見事に安定させた。卵を売ることによって小学校さらに上級の学校に行けるようになり、医者になるものまで出た。重松は卵によって、江東をまったくそれまで考えられなかった豊かな別天地に変えたのである。
 この本の圧巻は何といっても、終戦直後、朝鮮人が日本人に憎悪の目を向け、重松が官公吏だったという理由で警察に逮捕されたときのことである。おそらく重松は死ないし一生日本に帰れないことを予期したはずである。
 ところが重松は命からがら日本に帰国することができた。重松を取り調べた検事は金東順という人で江東の貧しい農家の出身であるが、卵の貯金で上級の学校に行き、検事になった。金は重松と二人きりになると、重松のことを「重松先生」と呼び、無事日本に帰国させることを約束した。実際金は用意周到に準備をし、見事に重松を日本に帰国させることに成功したのである。まさに、金は徳をもって重松の恩に報いたのである。この一事だけでも重松が何をしてきたかがわかるであろう。

 私は重松のような日本人がいたことを心底誇りに思う。日韓併合時代、日本が韓国に何をしたかを知りたい人にはぜひとも読んでほしい本である。

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 写真は、上から重松髜修の出身校である東洋協会専門学校(現拓殖大学)です。写真中は、拓殖大学創立者で初代総長の桂太郎像です。桂太郎は日露戦争時の内閣総理大臣でした。写真下は、多磨霊園で写した拓殖大学第二代総長の新渡戸稲造像です。ちなみに第三代総長は、内務大臣、関東大震災時の東京市長だった後藤新平です。拓殖大学は内務省管轄の学校でした。戦前の朝鮮や台湾で活躍した人に拓殖大学出身者が多くいます。

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