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百田尚樹「戦争と平和」を読む

靖国神社 遊就館 戦闘機


 経営戦略にランチェスター戦略というものがある。経営者なら一度は耳にする有名な経営戦略で、実際、多くの経営者がこの戦略を学び、経営に活かしている。
 私もこのランチェスター戦略なるものを真剣に学んだことがある。ランチェスター戦略はもともとは経営戦略ではなく、戦争に勝つための戦略であった。
 私は、ランチェスター戦略を学んでいるうちに、太平洋戦争で日本がなぜ負けたかを理解し、そしてとても悲しくなった。日本が負けたから悲しくなったのではない。日本のために戦った兵士たちのことを思って悲しくなったのである。
 ランチェスター戦略の目標は、ただ勝つことではなく、損害量を最小限におさえて勝つことである。勝っても損害量が大きくてはダメなのである。ランチェスター戦略が最終的に目指すところは、兵士を一人も失わずに勝つことであった。日本はといえば、兵士の命のことなど考えずに、ただ相手を負かすことだけを考えた。アメリカの兵士の命の重さと日本の兵士の命の重さは月とスッポンほどに違ったのである。日本がアメリカに負けるのは当然であった。
 日露戦争において、約五万人の命を失って勝った二百三高地の戦いもランチェスター戦略においては最も悪い勝ち方であった。
 ランチェスター戦略には大きく二つの戦い方がある。確率戦と一騎打ちの戦いである。確率戦とは戦争における空中戦のように、高度な武器を使って敵と遠く離れて戦う戦い方で、一騎打ちの戦いとは戦争における地上戦のように敵と直接戦う戦い方である。確率戦においては、戦力比が兵力比の二乗になり、勝った時の損害量が少ない。一騎打ちの戦いにおいては兵力比がそのまま戦力比になる。たとえば、兵力比が2:1の場合、確率戦、一騎打ちの戦いの戦力比はそれぞれ4:1、2:1になり、勝ったときの損害量は確率戦で兵力の4分の1、一騎打ちのときの損害量は2分の1になる。そのため、なるべく確率戦にもっていこうとする。現在のアメリカ軍が地上戦を嫌うのはこのためである。
 確率戦の最たるものは飛行機を使った戦いであり、太平洋戦争でアメリカ軍が大量の爆撃機を使って日本中を空襲したのはさも当然のことである。湾岸戦争ではアメリカはまさにランチェスター戦略に則って行った。
 アメリカが日本より優れていたのは兵器だけでなく、兵士の命を日本よりもはるかに尊重していた。

東京九段 靖国神社

靖国神社 大村益次郎の像


 百田尚樹の「戦争と平和」は、日本が戦争をしないでいかに平和でいられるかを論じた名著である。巷間いわれているような戦争を美化する本ではまったくない。
 この本を読んで、私はすぐにランチェスター戦略のことを思い出した。いかに時の日本の戦争指導者が兵士の命を軽く扱っていたことか。
 百田は徹底的に日本のゼロ戦とアメリカのグラマンを比較する。なるほど、ゼロ戦はアメリカも驚くほどのすばらしい機能があって攻撃力は抜群であったが、いかんせん、防御力がおそまつであった。対するグラマンは攻撃力はゼロ戦よりはるかに劣るが、防御力が抜群であった。ゼロ戦は一旦劣勢になるとあとは戦闘員は死ぬだけであった。グラマンは傷ついても戦闘員がなるべく助かるように設計されていた。この違いは何からくるのか、それは、兵士の命を大事に思うかどうかである。
 百田はゼロ戦だけでなく、日本の軍隊そのものが、効率性・合理性をことごとく欠いており、最終的に兵士自身の精神的・肉体的な力に頼っていると指摘する。百田は、日本の軍隊には戦略というものがなく、やみくもに命を的に一騎打ちをしかけていると主張しているようだ。
 百田は、日本の軍隊とアメリカの軍隊の兵士の扱いが根本的に違うことを論理だって分析している。いろいろな本で日本の軍隊が兵士の命をないがしろにしているとは書かれているが、この本のようにアメリカと日本との兵器・戦略の面での比較で書かれているのはめずらしい。この一事をもってしても百田が一流の分析力をもっている作家だということがわかる。
 この本は大きく、ゼロ戦とグラマン、自著「永遠の0」、現在の護憲派について書かれているのだが、護憲派についての記述を読むと、今更ながら護憲派という人間の本性には呆れる。いかに明解な論理で説得しても、護憲派の考えを変えることは、がちがちのイスラム原理主義者をキリスト教に帰依させることよりも難しいと感じる。
 護憲派の世界では、論理が論理でなくなる。今の日本の一番の問題はこのことであろう。なにしろ戦争を否定し、日本の国を守ろうとしている平和主義者の百田のことを戦争賛美者の右翼というのだから。

 百田尚樹とはどのような人かを知りたいなら、先入観なしで、この「戦争と平和」のゼロ戦とグラマンの記述だけでも読んでほしい。

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 上の写真は靖国神社参拝時に撮影したものです。上から遊就館に展示している戦闘機、靖国神社の鳥居、大村益次郎の像です。

Yasukunijinjya_syaden.jpg

 写真上は、靖国神社の社殿です。

靖国神社 遊就館

靖国神社 遊就館 機関砲

靖国神社 遊就館 機関車

 写真は靖国神社遊就館の展示物を撮影したものです。上から、遊就館の建物、機関砲、機関車です。

靖国神社 パール博士顕彰碑

靖国神社 特攻隊士を讃える像

靖国神社 護国海防艦の石碑

 写真上は、靖国神社境内に建立されている石碑を撮影しました。上から、パール博士顕彰碑、特攻隊士を讃える像、護国海防艦の石碑です。

靖国神社 参道

靖国神社 神道無念流練兵館跡の石碑

>靖国神社 境内にある「空の新兵」の歌詞板

 写真上から、靖国神社の参道。神道無念流練兵館跡の石碑・案内板、「空の新兵」の歌詞板です。



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Tag : 百田尚樹 戦争と平和

石平 「なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか」を読む

奈良 飛鳥寺 飛鳥大仏


 日本は中国から強い影響を受け、様々な制度・文化を取り入れたのは厳然とした事実である。律令制も漢字も中国から伝わった。特に、漢字は日本の文化の土台を成すもので、漢字がなかったら日本の文化は語れない。韓国も同様に中国から強い影響を受けている。日本・中国・韓国は同じ中国文化圏のもとで歴史を歩んできたことになる。

 個人的なことを申せば、私は大学で中国の歴史を学んで以来、長い間、中国の古典に親しんできた。「論語」「唐詩選」は愛読書であり、「水滸伝」「金瓶梅」も何度か読んだ。私は正直いって、中国の古典に畏敬の念をもっている。

 「論語」というと、堅苦しい道徳の書で人の心を縛るものだと敬遠されがちだが、何度も読むと味わいが出てきて、何とも人間愛に満ちた書物であることがわかる。「論語」を儒教に被せて軍国主義と結びつける輩がいるがまったくの的はずれである。
 「論語」が現代日本人の行動原理の一部を成していることは否定できない。だからこそ、日本人の行動が世界から賞賛されるのである。日本人の行動原理の核を成すものは武士道であり、武士道を形成する大きな要素が「論語」であることを日本人自身が肝に銘じなければならない。

 競技において勝者は敗者をいたわれ。意外かもしれないがこれは「論語」の教えるところで、孔子はスポーツマンシップも説いているのである。下の者が上の者に対する礼儀があると同時に、上の者が下の者に対する礼儀もある。これも「論語」で繰り返し教えるところである。日本人の客が店の者に礼を尽くすのは、この教えが生きているのかもしれない。日本人の美徳のルーツを辿ると「論語」に行き着くことが多くある。

 「論語」から影響を受けた日本人の行動が世界から賞賛されるのなら、「論語」の本場の中国人や「論語」に日本より強く影響を受けた韓国人の行動は日本人よりはるかに賞賛されるはずだが、彼らの行動は非難されることはあっても、褒められるということはない。中国と韓国が高度経済成長を果たしたここ三十年ばかりの中国と韓国の行動を見ていると私は同じ「論語」を学んだ国なのかと唖然としている。中国も韓国も国を挙げて平然と約束を破り、平気で嘘をいう。中国人も韓国人も日本人とまったく異質だといわざるを得ない。日本・中国・韓国が心から仲良くする時代は永遠に来ないと確信する。

湯島聖堂 孔子像

湯島聖堂 大成殿


 なぜ、同じ「論語」を学びながら、日本と中国・韓国はこうも違うのであろうかと疑問に思っていたが、その疑問を解消してくれる本に出合った。それが石平氏の「なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか」である。

 この本を一読してまず思ったことは、石平氏が中国から帰化した日本人だからこそ、中国と日本を相対化して見れるのだということである。石平氏は、日本が中国から多大な影響を受けながら、中国文化の核ともいえる中華思想に毒されなかったことに驚いたのであろう。

 石平氏は、日本に儒教が仏教より早く伝わってきたのに、儒教を軽んじて仏教を熱心に取り入れたのは、中華思想を否定したからだという。時の日本のリーダーは儒教を本格的に取り入れると、必然的に中華思想の影響を受け、結果的に日本が中国の属国になると気が付いていた。中華思想とは、中国が世界の中心で、中国の回りの国々は文明の劣った野蛮な国だというものである。中華思想を受け入れるとは、中国の柵封体制に組み入れられるということである。

 日本ははなから中国の属国になることを否定し、インドで発生した仏教を重んじたのである。日本は中国と対等に付き合おうとした。日本は独立国家であると中国に主張をした日本のリーダーが聖徳太子である。

 江戸時代になるまで、日本では儒教は無視されたが、江戸時代になると幕府は儒教を重んじ、寛政になると朱子学を官学にした。儒教は武士の必修であったのである。ところが、日本人の儒者の中には、荻生徂徠のような朱子学を否定するものが現れ、日本独自の儒教を構築していった。いわゆる古学派といわれる人たちである。古学派は直接「論語」を研究した。古学派の成立によって中国の儒教と日本の儒教は本質的に違うものになった。 古学派の流れは国学を生む。国学は中国そのものを否定するものである。国学は日本の古典を研究することによって、日本人本来の感性を突き止めた。「ものの哀れ」を感じることが日本独自の感性だというのである。

 江戸時代の後期は儒教と国学が並立しいるが、儒教が衰えることはなかった。それよりも、明治になると、儒教は国民全体に浸透してくる。教育勅語は儒教がベースになっている。
 石平氏は、なぜ明治になって儒教が日本に江戸時代以上に浸透したかについて、またその影響が現代にどう及ぼしているかは、今後の研究課題だとしている。

 この本を読むと、江戸時代までの日本は儒教にしろ仏教にしろ盲目的に受け入れるのではなく、受けいれても日本の風土にあったように作り変える知恵があったことがよくわかる。それだけ、日本人は独立自尊の気概をもっていたのであろう。

 これからますます国際化に進む現代の日本は、果たして、先人たちのように独立自尊の気概をもつことができるのであろうか。この本はある意味、盲目的に外国の文化を取り入れる現代日本人たちへの警告の書かもしれない。

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 写真上から、奈良飛鳥寺にある飛鳥大仏、湯島聖堂に建立されている孔子像、大成殿です。

奈良 飛鳥寺

奈良 飛鳥寺 652年壬申の乱の石碑

奈良 飛鳥寺 

 写真上から、奈良飛鳥寺の山門、飛鳥寺に建っている672年壬申の乱の石碑、飛鳥寺西門跡の案内板です。

奈良 談山神社

奈良 談山神社鳥居

 写真上から、奈良県桜井市にある藤原鎌足が祭神の談山神社の石碑と鳥居です。

湯島聖堂 昌平黌跡

港区 荻生徂徠墓所

港区 荻生徂徠墓所の案内板

 写真上から、千代田区湯島聖堂、港区にある荻生徂徠の墓所と案内板です。


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Tag : 石平 なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか