井上ひさし「日本語教室」を読む

 井上ひさしの創作のモットーは<難しいことをわかりやすく、わかりやすいことを深く、深いことをおもしろく>である。井上は深刻なこともわかりやすくそしておもしろく書いてくれる。
 日本語に関しての本はたくさん出ているが、概しておもしろくない。まして日本語の文法に関してのものは全くといってよいほどつまらない。日本語という深い歴史を持った言語を解説するとなると、どうしても難しくなってしまうのかもしれない。
 ところが、井上の日本語に関する本はとてもわかりやすくおもしろい。私は井上の本を読んで何度、目から鱗が落ちたことやら。
 何故、井上の書いた日本語についての本がわかりやすいのかと考えたことがある。それは井上のモットーだといえばそうなのだが、それ以上に井上が日本語を直接の道具として仕事をしているからであると思う。
 日本語の研究者にとって、日本語は研究の対象ではあっても、自分を表現する道具だという認識は薄い。このような文章・言葉では読者はよくわからないのではという意識がどうもないように思える。しかし、井上にとって日本語は唯一にして最強の道具である。その道具のことを徹底的に知らないと、納得のいく仕事ができないのである。
 井上は芝居のセリフを考えるとき、日本語の属性をよく吟味する。たとえば次のようにである。

<私は芝居を書いていますが、なるべく「い」の音を生かすように気をつけています。たとえば銀行を使うのなら、もう三菱に決まりです。銀行の内容とか、そういうことではありません。音だけの問題です。「みつびし」だと、四つの母音のうち三つが「い」の音ですからね。ところが上に東京がついてしまったので、ちょっとやりにくくなりました。(笑)。住友は、俳優さんがどんなにしっかり発音しても、最初の「す」という音が消えるのです。だから、客席の後ろのほうの人には「みとも銀行」というふうに聞こえてしまいます。これは、どんな名優でも、杉村春子さんでもそうです。つまり、「う」という母音は、口のなかを通るときに半分ぐらい力を落とされて外へ出るので、途中で消えてしまうわけです。ですから、私の芝居では銀行はすべて三菱になっています。それは、「みつびし」と言うと、僕らの声でも遠くまで届くから、という理由によるものです。>

 これは「日本語教室」という講演の中で井上が述べたものである。実作者にしか言えない内容である。
 井上は芝居だけでなく、小説もたくさん書いている。心に響くのはどのような言葉なのかと井上は必死に考えたに違いない。行き着いたところが、日本語には和語と漢語があるということである。日本語学者に言わせると、和語は訓読み、漢語は音読みという陳腐な解釈になる。井上は和語と漢語について持論を展開する。この持論がずば抜けているのである。私は井上の和語と漢語についての意見を読んだとき、井上を神のごとく崇め奉ったものである。
 
 「日本語教室」(新潮新書)は井上が母校上智大学で4日間行った日本語に関しての講演である。井上のすさまじいばかりの日本語に対する愛着が読み取れる。その内容は次の通りである。

第一講 日本語はいまどうなっているのか
第二講 日本語はどうつくられたのか
第三講 日本語はどのように話されるのか
第四講 日本語はどのように表現されるのか

 どの講義も深い内容であるが、やさしくかつおもしろく語ってくれている。当然、和語と漢語のことが出てくるが、現代においての外来語すなわちカタカナ語についてかなり言及している。
 特に、私が感銘したのは母語についてである。井上は、いくら外国語を勉強しても母語以上には上達しないと言っている。日本語も満足にできないものが、日本語を勉強せずに英語を勉強するのはおかしいと言っているのだ。

 井上は日本語の現状について非常に強い危機意識を持っていた。日本人を日本人たらしめるのは日本語であることを井上は力説したかったに違いない。

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