村上文昭「ヘボン物語 明治文化のヘボン像」を読む

明治学院に建っているヘボン博士像 現在、私たちが使っているローマ字はヘボン式ローマ字と呼ばれる。ヘボンとは人の名前であり、ヘボンは幕末に日本に来た。ヘボン式というぐらいだからヘボンが日本に来た当時には、いく種類かのローマ字があった。ヘボンがそれらを整理して体系化し、そして普遍化したのである。
 ヘボンは何もローマ字を体系化するために日本に来たわけではない。ヘボンは医者であったが、宣教師として日本に来たのである。
 ヘボンの名はヘボン式ローマ字で有名であるが、ヘボンは日本滞在中それこそたくさんの功績を残した。まず挙げられるのは教育である。ヘボンは病人の診察・宣教の傍ら、塾を開いて日本人に西洋の知識を教えた。その塾をヘボン塾という。英語・歴史・地理・自然科学・医学などを教えた。司馬遼太郎もヘボンのことを小説「花神」に書いているが、ヘボンは日本人の数学の力が優れていることに驚いている。
 ヘボン塾はその後、紆余曲折を経て、明治学院大学になる。ヘボンは明治学院の初代総理(学長のこと)になっている。島崎春樹こと島崎藤村は明治学院の第1回卒業生で、卒業証書をヘボンからもらっている。ヘボンは明治学院に多額の寄付をし、明治学院はその寄付でヘボン館という寄宿舎を建てた。ヘボン塾は男女共学であり、女子部が成長してフェリス女学院大学になった。
 ヘボンは外国人が日本語を理解する助けとなるように、日本初の和英辞書を作った。この和英辞書を作る過程において、ヘボン式ローマ字を生んだのである。
 ヘボンは医者としても活躍し、日本に西洋医学を普及させた。横浜にある横浜市立大学医学部ではヘボンの功績を顕彰している。
 ヘボンは明治日本の文化向上になくてはならない外国人であった。日本人にとって大恩人というべきアメリカ人であったのだ。

旧神奈川宿にある成仏寺 村上文昭の「ヘボン物語 明治文化のヘボン像」は、ヘボンの人となりと業績を詳しく書いた本である。ヘボンが日本のためにいかに尽くしたかがよくわかる。
 ヘボンが夫婦で、ニューヨークから日本に来たのは1859(安政6)年である。神奈川に上陸し、その地の成仏寺に住むことになった。当時は、攘夷運動が絶頂の頃で、翌年の1860年には井伊直弼が殺されている。
 ヘボンは身の危険を感じながらも、成仏寺で病院を開いた。この成仏寺の近くで、生麦事件が起こり、傷ついた2人の英国人が成仏寺に担がれ、ヘボンが治療にあたった。ヘボンは日本人にとっては、忌み嫌うべき西洋人であったが、すぐに回りの日本人から尊敬されるようになった。
 ヘボンは病気の日本人を無料で診察した。その治療はまさに神がかりであった。それまで治らなかった病気が治ったのである。特筆すべきは、岸田吟香とヘボンの出会いである。岸田は明治を代表する教育者・文化人・実業家であるが、元幕臣で、攘夷思想の塊の人間であった。岸田は目を患っていたが、医者に診てもらってもまったく治らなかった。あるとき、岸田は人に紹介されてヘボンの病院を訪れた。ヘボンは岸田の目を治療した。すると、数日して岸田の目は完治した。岸田は奇跡を見る思いだったに違いない。岸田はその後、西洋人に対する偏見をなくし、ヘボンの助手となり、いろいろとヘボンを助けた。 ヘボンは教育者として、数々の有為の人間を育てた。岸田だけでなく、大村益次郎・高橋是清・林董などを教育した。

 ヘボンもその妻クララもまさにキリストそしてマリア様のようだった。長年邪教としてキリスト教を否定した日本人は、ヘボン夫妻の行動を見て、キリスト教とは何かを始めて知った思いだったろう。日本にキリスト教が根付いたのは、ヘボンのような西洋人がいたことは間違いのないことだ。

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生麦事件の碑 本文中の写真上は、東京白金の明治学院大学構内に建っているヘボン博士像です。
 本文中写真下は、旧神奈川宿にある成仏寺です。成仏寺の案内版には次のように書いてあります。
< ・・・(中略)・・・安政6(1859)年の開港当初はアメリカ人宣教師の宿舎に使われ、ヘボンは本堂に、ブラウンは庫裡に住んだという。ヘボン式ローマ字で知られ、日本最初の和英辞典を完成した。また、ブラウンは聖書や賛美歌の邦訳に尽力した。> 
 写真すぐ上は、生麦事件の碑です。「名著を読む」では、これまでに生麦事件については、ハル・松方・ライシャワー 広中和歌子訳「絹と武士」大仏次郎「霧笛」十返舎一九「東海道中膝栗毛 初編」に書きましたので参考にしてください。
横浜市中区にあるヘボン博士邸宅跡 写真左は、横浜市中区に建っているヘボン博士邸跡の石碑です。案内板に次のように書いてあります。
< 開港とともに来日した宣教師の1人で神奈川成仏寺に3年仮寓、文久2(1862)年冬、横浜居留地39番に移転、幕末明治初期の日本文化の開拓に力をつくした。聖書のほんやく。和英辞典のへんさん、医術の普及などがそれである。昭和24(1949)年10月記念碑が邸跡に建てられた。> 
東京築地に建っている明治学院発祥の地碑 写真左は、東京築地に建っている明治学院発祥の地碑です。石碑には次のように彫られています。
< 明治学院は1877年(明治10年)ここ旧築地17番地に開設された東京一致神学校を基とする。これを記念しこの碑を建てる。>
 碑の近くには青山学院、立教学院、女子学院の発祥の地碑があります。時代が少し違いますが慶應義塾発祥の地碑や芥川龍之介生誕の案内板もありました。
明治学院チャペル(礼拝堂) 写真左は、明治学院チャペル(礼拝堂)です。島崎藤村の自伝小説「桜の実の熟する時」には、藤村が在学したと当時の様子が描かれています。次のような書き出しです。
< 日陰になった坂に添うて、岸本捨吉は品川の停車場手前から高輪へ通う抜け道を上って行った。客を載せた一台の俥が坂の下の方から同じように上って来るけはいがした。石ころに触れる車輪の音をさせて。思わず捨吉は振り返って見て、「お繁さんじゃないか。」と自分で自分に言った。・・・・>
 ブログ「名作を読む」には、島崎藤村作品の読書感想文を多数掲載しています。参考にしてください。

ヘボン物語―明治文化の中のヘボン像ヘボン物語―明治文化の中のヘボン像
(2003/11)
村上 文昭

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Tag : ヘボン物語

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