福沢諭吉「文明論之概略」を読む

慶応義塾大学に建っている福沢諭吉像 文芸評論家の江藤淳は福沢諭吉をたいへん高く評価していた。江藤はいたるところで、福沢について論じている。
 私が福沢の著作を読むようになったのは、江藤がたびたび福沢について言及するからだ。初めは、福沢が江藤の母校の慶応大学の創立者だから、江藤は福沢のことを持ち上げるのだと愚かにも私は感じたのだが、福沢の著作を読み進むうちに、福沢諭吉がとてつもない巨人に見えてきた。慶応大学とは関係なく、江藤ほどの評論家なら福沢を高く評価するのももっともだと思った。
 <一身にして二生を経るが如>と、福沢が自ら述べているように、福沢は波乱万丈な人生を歩んだ。もちろんそれは、福沢が意図したというよりも、時代が福沢に要求したのであろう。幕末から明治を通して、日本は福沢のような大知識人を必要としたからである。幕末から明治において日本の社会は劇的に変化している。そのような時代こそ日本の現状分析ができ、日本の歩む道をわかりやすく提示できる神様みたいな人が必要だったのである。
 福沢は数回の西洋への旅行を経験しており、日本がいかに西洋に遅れているかを痛感していた。遅れるだけならまだいいが、福沢は日本が清やインドみたいに西洋に植民地化されるのを極度に恐れた。福沢はとにかく、西洋と付き合いながら、日本の独立を守ることを真剣に考えたのである。そのため、たくさんの啓蒙書を書いた。その1つが「文明論之概略」である。

演説館 「文明論之概略」は明治7年頃に書かれた、タイトルが示すように、文明について書かれたものである。6巻で全9章から成っている。
 結論からいうと、福沢にいわせると、文明とは独立のことである。独立するためには文明が必要だということである。この本は日本の独立を守るために書かれたのである。
 「文明論之概略」は文明についていろいろな角度から言及している。西洋・中国・日本の歴史からキリスト教・儒教・仏教の宗教について考察し、そして、政治・経済・科学まで論を進めている。一読して、私は福沢というのは途方もない勉強家であると驚愕した。福沢ほど多面的に日本を考察した知識人は、近代以降の日本にはいなかったのではなかろうか。ただただ、私は畏れるばかりであった。
 福沢は英語で書かれた原書を参考文献として書き進めている。ギゾーの「ヨーロッパ文明史」、バックルの「英国文明史」、ミルの「経済学原理」、「自由論」、「代議政治論」などである。英語の原書の他に、「論語」、「孟子」はいうにおよばず「老子」、「史記」さらに「読史余論」、「日本外史」なども引用している。おそらく読めるだけの文献を読んで、文明についての考察を行っていたのであろう。
 福沢は西洋人が絶対的に優秀だといっているわけではない。日本にも西洋人より優秀な人はたくさんいるといっている。しかし、国としての文明の度合いははるかに日本は西洋に劣っていると断じている。
 日本が西洋に較べて文明の度合いが劣っている理由を福沢は追及していくのであるが、その1つが、日本は徳を重んじ過ぎるということである。元来日本人は智徳を尊重してきたが、福沢は徳ばかりを偏重して智を重んじていないと喝破するのである。
 別に福沢は徳を否定しているわけではない。徳も大事だが、それ以上に智が大事だといっているのである。智というのは知識と知恵を合わせもったものである。
 結局、西洋人は日本人より智において優れており、それが文明の差になっているという。西洋は独立国家として国力を増すために知識と知恵を総動員して国を揚げて努力しているのである。その結果が自由・平等であり、その上での市場経済の発展である。お金が動いているだけでは経済は発展するものでないと福沢は見抜いていたのである。
 福沢は何としても日本の文明を西洋のレベルまで高めたいと思った。そのために、日本人は知識や知恵を身に付けなければならないといい、それを邪魔する儒教的な教えを攻撃するのである。
 「文明論之概略」のいわんとしていることは、日本が独立国家として西洋と伍していくためには、日本人が勉強して知識と知恵を身に付けなければならないということである。国民の民度が上がらなければ文明国家にはならないのである。

 福沢は若い頃、アメリカとヨーロッパを旅したとき、それらの国々を豊かにしているシステムは何かを考え、そしてそのシステムを可能にする西洋人の思想・理念に行き当たったのである。
 「文明論之概略」は西洋人のものの考え方を追求した結果できあがった福沢の文明論であるように私には思われた。

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<ゆかりの地を訪ねて>

 写真上は、慶應義塾大学三田キャンパスに建立されている福沢諭吉像と同じ校内にある三田演説館です。演説館の由来については次のように案内されています。

福沢諭吉終焉地の石碑< 慶應義塾の三田演説館は、福澤諭吉先生によって建設されたわが国最初の演説会堂である。開館は明治八年(1875)五月一日、はじめはいまの塾監局の北端のあたりにあったが、大正十三年(1924)に現在のところに移築された。
 構えは木造かわらぶき、なまこ壁で、日本独特の手法が用いられいるけれども、本来アメリカから取り寄せた諸種の図面をもとにして造られたものであって、明治初期の洋風建築のきわめて珍らしい遺構とされている。規模は床面積191平方メートル余、一部が二階造りになっていて、延面積は280平方メートル余りになる。
 福澤先生は晩年、この演説館について、「其規模こそ小なれ、日本開園以来最第一着の建築、国民の記憶に存すべきものにして、幸に無事に保存するをば、後五百年、一種の古跡として見物する人もある可し」としるしておられる。まさに、三田演説館はわが国文化史上の貴重な記念物というべきであろう。>
 写真は、校内に建っている福澤諭吉終焉の地の石碑です。福沢諭吉の墓所は三田キャンパスより徒歩10分程度にある麻布善福寺にあります。

慶応義塾大学医学部付属病院 写真は、信濃町にある慶應義塾大学医学部付属病院です。福沢は適塾で緒方洪庵に師事したためか、医学についても造詣が深く、そのため慶応義塾には明治時代に入ると、その後東京慈恵会医科大学を創立した松山棟庵を所長にむかえて慶應義塾医学所を開設しました。
 大正6年に医学科予科を開設し北里柴三郎が学部長に就任し、その後信濃町に移築され、大正8年に医学部が創設され慶應義塾大学病院となりました。信濃キャンパスには北里柴三郎の医学部創設の功績を顕彰し建築された北里記念医学図書館が威風堂々と建っています。
 当時ドイツ留学から帰国した内務省の官僚だった北里柴三郎の伝染病研究所設立に政府が難色を示していたために、福沢が援助しました。北里は福沢による長年の多大なる恩義に報いるために慶応義塾大学医学部創設を行い、初代医学部長、付属病院長を歴任しました。私立伝染病研究所はその後、政府に寄贈され現在は東大医科学研究所です。
 余談ですが、伝染病研究所には千円札の野口英世も勤務していました。野口はこの伝染病研究所をステップにアメリカに留学しました。

藤原銀次郎像 写真は、慶應義塾大学工学部に建立されている藤原銀次郎像です。慶應義塾大学工学部の前身は、昭和13年(1938)年、私財800万円を投じて、人材育成を目指して設立した藤原工業大学です。翌年の藤原の70歳の誕生日に開校されました。藤原は17歳で慶應義塾に学び、三井銀行の入行します。その後、富岡製糸場支配人、三井物産上海支店長、王子製紙専務、社長を歴任しました。藤原が王子製紙に就任した時には赤字続きの会社でありましたが、社員教育や合併を行い社長時代には、日本国内の占有率が80%を超える巨大製紙会社をつくりあげました。そして「製紙王」の異名を取るようになりました。また、米内内閣では商工大臣、東条内閣では国務大臣、小磯内閣では軍需大臣と政府の要職に携わりました。
 昭和19年(1944)に藤原工業大学は慶応義塾大学に寄贈し、慶應義塾大学工学部になりました。
 ちなみに、慶應義塾大学付属志木高等学校は電力王の異名をとった松永安左エ門の寄贈によるものです。

 福沢諭吉の残した財産はまさに人材でした。内務大臣を務めた後藤新平のことばに「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ」があります。現代の名ばかりの先生に聞かせたいものです。
 慶應義塾大学の各キャンパスを歩くと、福沢諭吉が育てた人材の足跡がたくさんあります。いや、キャンパスだけでなく、日本経済を見るといたるところに、福沢諭吉が育てた人材の足跡を見ることができます。


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 資格試験を修得すればそれだけで事が進むということはありません。資格試験を賢く用いるためにはソフトスキルが必要です。ソフトスキルとは、コミュニケーション力、語学力などを指します。
 ソフトスキルを鍛えるためには、文章を書くことが必要です。文章が書けない人が人前で論理的に話すことはできません。文章を書く上での正しい形を覚えるにはやはりいい文章を読んでみることです。いい文章をたくさん読むと自然にいい文章の形が頭に残ります。
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 「名作を読む」は今回が第一弾ですが、これからも継続していきます。


テーマ : 読書感想文 - ジャンル : 小説・文学

Tag : 文明論之概略

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