吉川利一「津田梅子」を読む

津田塾大学 近代になって、日本の女子高等教育に多大なる貢献をした代表的な人物は、日本女子大学を創立した成瀬仁蔵、東京女子医大を創立した吉岡弥生、そして津田塾大学を創立した津田梅子といわれている。
 津田梅子は異色の経歴をもつ人物である。1871(明治4)年、わずか7歳のときに開拓使留学生としてアメリカに留学した。津田梅子の他に、吉益亮子、上田貞子、山川捨松、永井繁子らの少女たちも留学した。
 幕末、日本は西洋の国々と条約を結んだ。その条約は日本にとって不利な不平等条約であった。明治になるとそろそろ条約の期限も切れる時期になるので、明治政府は、条約を結んだ諸外国と予備交渉をする必要に迫られた。と同時に、先進国である西洋の文明を調査したいという希望もあり、明治政府は岩倉具視を全権大使として、総勢100人を超す使節団を欧米に派遣した。
 ただ、使節団を送るだけでなく、日本の少女にアメリカの教育を受けさせようという黒田清隆の発案を受けて、アメリカ留学の少女を募集したのである。士族の津田仙の娘梅子がその留学生の1人に選ばれた。
 岩倉使節団は約2年間で、アメリカ、ヨーロッパの国々を回って日本に帰ってくるのだが、津田梅子はアメリカに留まり、10年間その地で過ごし、日本に帰国した。帰国したときには18歳になっていた。少女時代を丸々アメリカで教育を受けたので、梅子はアメリカ人そのもので、日本語もほとんど話せなかった。
 その梅子が、女子に高等教育を授ける英語塾を創立したのである。その英語塾が津田塾大学の始まりである。
 津田塾大学は創立100年を超え、日本の女子高等教育に大きな足跡を残した。現在も名門女子大学として教育界で重きをなしている。

 吉川利一著「津田梅子」はタイトルが示すように、津田梅子の評伝である。著者の吉川は女子英学塾の幹事をやり、長年、梅子の傍らで塾運営に参画してきた人である。
 津田梅子は1864(元治元)年、江戸牛込南町で生まれた。父は元幕臣の津田仙である。津田仙も教育者で、農業関係の学校を創立した。
 梅子はアメリカのワシントンで10年間生活した。ランメン夫妻の家に住みアメリカ人が通う学校に通った。梅子は聡明な子供ですぐに英語を覚え、英語で文章が書けるようになった。「津田梅子」には梅子が書いたたくさんの英文が掲載されている。英文だけでなく英詩も書いている。
 ランメン夫妻には子供がなく、夫妻は梅子のことを実の娘のように可愛がった。夫妻は梅子にキリスト教に入信するようすすめたことはなかったが、梅子は自らの意志でキリスト教に入信した。
 梅子は18歳のときに日本に帰国した。ところが梅子には仕事がなかった。それをききつけた参議伊藤博文が伊藤家の家庭教師にした。梅子は伊藤家から大事にされた。生涯に渡って、梅子は伊藤のことを尊敬した。
 伊藤家の家庭教師をやめると、梅子は華族女学校の教授となり英語を教えた。そして、再び、アメリカに留学し、大学で生物学を専攻した。大学を卒業すると日本に帰り、華族女学校の教授を続けたが梅子は悩んだ。
 このまま英語を教えるだけでいいのかと悩み、そして、本来の自分の果たす役割があることに気付き、華族女学校の教授の職を放棄して、女子の高等教育のための塾を麹町一番町に設立した。名前を女子英学塾をいった。塾といっても建物は普通の民家で、生徒の数は10名であった。
 女子英学塾は英語の教師になるための学校であった。梅子自身が教えた。梅子の授業は1人ひとりの個性を尊重するものであったが、たいへん厳しかった。退学するものもかなりいた。
 塾の評判がよくなり、生徒は急速に増えていった。生徒は増えていったが、塾運営はたいへんであった。梅子は長らく無報酬であった。他の先生も無報酬同然であった。塾の経営を支えたのはアメリカにいるアメリカ人が中心になっての寄付であった。
梅子はアメリカの教育界から高い評価をされており、梅子を助けようとするアメリカ人がたくさんいたのである。生徒が大幅に増え、どこか広い場所に移転する必要を感じ、大正11(1922)年に小平村に25000坪の土地を買った。この資金も寄付金であった。
 梅子は昭和4(1929)年に亡くなった。女子英学塾講堂において校葬を行った。

 津田梅子はキリスト教信者であると同時に武士道を重んじた人である。彼女の教育理念は、立派な日本人として独立心ある女性を育成することであった。
 津田梅子の生き方をみると、キリスト教と武士道とは相いれないものどころか、本質的に同じものに思えてくる。

↓更新の励みになりますので、記事に共感する部分がありましたら応援クリックをよろしくお願いします。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ


津田梅子 (中公文庫)津田梅子 (中公文庫)
(1990/08)
吉川 利一

商品詳細を見る
名作を読む一 日本を語れる日本人になる名作を読む一 日本を語れる日本人になる
(2013/03/12)
数学道場・作文道場

商品詳細を見る

 

<ゆかりの地を訪ねて>

津田塾大学本館 写真最上は、津田塾大学本館です。住所は小平市津田町2-1-1です。住所の中に創立者の津田梅子の名字である津田をとって町名になっていることは何て誇らしいのでしょうか。津田塾関係者はもとよりここに住んでいるみなさんも誇りに思っていることだと思います。本館の案内板には以下のように説明されています。

< 津田塾大学は、明治33(1900)年、津田梅子によりわが国初の女子高等教育機関の一つ「女子英学塾」として創立された。
 本館(ハーツホン・ホール)は、昭和6(1931)年、東京麹町から小平にキャンパスが移転した時に建てられ、大学のシンボルとなっている。建築様式は、明治政府に招かれたイギリス人の建築家ジョサイア・コンドルが19世紀末ヨーロッパからもたらした中世様式の復興を目指すロマン主義に、佐藤功一が日本的解釈を加えたものと思われる。>
 写真上は、本館を正面から後ろに回り、そこから写したものです。ちなみに佐藤功一は早稲田大学の大隈講堂の設計者でもあります。どことなく雰囲気が似ているような気がします。

久右衛門橋 写真左は、津田塾大学すぐそばを流れている玉川上水に架かっている久右衛門橋です。江戸時代の小平は文字通り起伏のない土地で、享保年間に、徳川八代将軍吉宗により新田開発が奨励され、新田開発が盛んになりました。この開発に伴って久右衛門橋が架けられました。写真の橋は平成3年に整備工事で架けた橋です。
 明治時代の廃藩置県では、当初小平は神奈川県に組み込まれましたが、明治26年に東京府に移管され東京府北多摩郡小平村になりました。
 津田塾大学の移転の時の小平村には、関東大震災で被害にあった東京商科大学(現一橋大学)予科のキャンパスが近所にありました。移転のときの最初の工事は防砂林の植樹でした。
 津田塾大学の校内や玉川上水の川岸には大く育った樹木が多数植わっていました。風による被害を防ぐものとして植えたものが今では自然豊かなキャンパスに生まれ変わっています。写真を見ると樹木の豊かさが一目でわかります。
 
津田梅子墓所 写真左は、校内に静かに永眠する津田梅子の墓所です。津田梅子は生前に死んだら校内に埋めてほしいと近しい人に話していたそうです。墓所をつくるにあたって、村に申請して認可されました。墓所の隣には運動場があり、将来を嘱望されている女子学生が青春を謳歌していました。草葉の陰から梅子がいつも見守っております。この風景は梅子がもっとも夢見たことだったのではないかと思います。女子大学のためか校内は整然としており、緑の樹木と茶色の校舎が素晴らしく調和しており、気品があり落ち着いたキャンパスになっています。


寄宿舎 写真左は、津田塾大学構内にある外人講師のための寄宿舎です。ここに寝泊まりして学生に授業を行っていました。保存状態が良好で、管理が行き届いていることがわかります。

 ブログ「名著を読む」には、明治45年女子英学塾を卒業した山川均の妻で評論家で婦人問題研究家でもある山川菊枝の「武家の女性」の感想文を掲載しています。山川菊枝も津田梅子の授業を受講した一人です。


<数学道場・作文道場からのお知らせ>

作文添削指導 4回10,500円 送料無料

 社会で成功する法則はありませんが、失敗する法則はあります。人と上手に交わることこそチャンスに巡り会うことが出来ます。成功の鍵はコミュニケーション力であり、伝える言葉であり、相手の意見に耳を傾けることです。コミュニケーションとは要領よく立ち居振る舞いすることとは全く違います。話す言葉で相手はあなたの力量をはかり判断します。
 資格試験を修得すればそれだけで事が進むということはありません。資格試験を賢く用いるためにはソフトスキルが必要です。ソフトスキルとは、コミュニケーション力、語学力などを指します。
 ソフトスキルを鍛えるためには、文章を書くことが必要です。文章が書けない人が人前で論理的に話すことはできません。文章を書く上での正しい形を覚えるにはやはりいい文章を読んでみることです。いい文章をたくさん読むと自然にいい文章の形が頭に残ります。
 古典といわれる「名作」ほど私たちにいい文章を提供してくれるものはありません。「名作」をじっくりと読み、そしてそれの読後感を書くことで、読解力、表現力、思考力が身に付いてきます。書くことにより、話すことばが洗練され大きく変化していることに実感することになります。


名作を読むiOSアプリ名作を読むiOSアプリ
 日本文学・世界文学の中からたいへん有名な名作の感想文を載せました。まず、感想文を読んでから、名作そのものを読むことをおすすめします。名作というのは長きに渡って読む継がれたもので、人類の財産といってもよいものです。名作を読むと教養が身に付くだけでなく、心を豊かにしてくれます。名作は未来永劫光り輝き続けます。この世に生をうけて、名作を読まないのは寂しいことです。
 「名作を読む」は今回が第一弾ですが、これからも継続していきます。


テーマ : 読書感想文 - ジャンル : 小説・文学

Tag : 津田梅子

COMMENTS

COMMENT FORM

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)