三宅勇三「噫 偉なる哉 磯野長蔵翁」を読む

一橋大学 時計台


 明治時代の大学卒といえばすごかった。今では、大学を卒業した学士様はごちゃまんといるが、明治時代の学士様といえば、まさに神様に等しいものであった。なにしろ、大学といえば、東京帝国大学・京都帝国大学など、数えるほどしかなかった。
 明治いや戦前の大学卒は初任給からして、他とは違っている。当然、東京帝国大学卒の初任給は高額であった。しかし、これと同じ初任給をもらえる学校があった。それは、東京高等商業学校である。東京高等商業学校は大学ではなく、専門学校である。この学校が後に、東京商科大学を経て、戦後、一橋大学となる。
 一橋大学は、現在でもいわずと知れた名門大学である。この学校は創立したときから超名門である。
 東京高等商業学校の始まりは、初代文部大臣森有礼が開設した私塾商法講習所である。この商法講習所は財界の大立者渋沢栄一などのバックアップにより、東京商業学校へと成長するのである。
 明治新政府は国を豊かにするために、国を欧米並みに近代化することを決めた。その中心になるのが、産業の育成である。旧態依然とした農業を改革し、新たな産業を興さなければならない。そのためには、広く商業・経済の理論を学ぶ必要がある。商法講習所はその要請に応えたのである。
 商法講習所が成長した東京高等商業学校は各産業界に有能な人材を送り込んだ。彼らのほとんどは、経営者となり、会社を拡大していった。一橋大学の歴史を無視して、日本の産業史を語ることはできない。

キリンビール横浜工場

 「ああ 偉なる哉 磯野長蔵翁」は、キリンビールの元常務三宅勇三が、長らく仕えたキリンビールの経営者磯野長蔵についての思い出をまとめたものである。タイトルからして、単なるたのしい思いでを語ったものではないことがわかる。実際、読んでみると、かなり辛辣な内容である。磯野は東京高等商業学校、三宅は東京商科大学の出身である。先輩後輩の関係である。
 キリンビールは現在では、ビール業界の最大手であるが、戦前は中堅という立場であった。戦後、急拡大して現在にいたった。
 磯野は半世紀以上もキリンビールに携わり、つねにキリンビールの経営者として君臨してきた。まさに君臨しているといっていい。磯野は筆頭株主であった。磯野はキリンビールの土台を築き、戦後、会社を成長軌道に乗せた。磯野はキリンビールの大功労者である。磯野の銅像が、横浜工場に建てられている。
 三宅は学生時代、優秀であった。卒業後、大学の先生になろうかと迷ったが、キリンビールに入社した。
 三宅は入社早々から、磯野に目をかけられ、磯野の直近の部下として動いた。三宅は会計学の専門家である。その会計学を応用し、経理畑を歩き、経理担当常務になった。この本は、三宅が経理担当常務であったときの話がほとんどである。
 三宅が過去を懐かしんでいるという雰囲気はない。会社内の軋轢・対立などを中心に書かれている。所詮、組織内の上層部の話になるのだから、甘い話などはない。
 三宅は磯野とたびたび意見が違った。その一つが増資に関してのものである。三宅は銀行の信頼を得るために増資に賛成であったが、磯野は断固として反対した。磯野は増資をすれば、自分の持ち株比率が下がることを懸念したのである。三宅は会社の財務を安定にするためにはどうしても増資が必要であることを、会計学も交えて論駁する。さながら、会計学の講義を受けているようである。
 この本は、会計学を熟知しているものの立場から、経営者磯野を論評したもので、経営者にはすこぶるためになると思う。

 磯野はキリンビールの株を売って、一橋大学に莫大な寄付をした。大学はそれで研究棟等などの研究設備を整えた。現在の学生もそれらの設備を使っている。

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 写真上は、東京都国立市にある一橋大学の時計台です。一橋大学の校内地図を見ると、磯野長蔵が寄付した研究棟は時計台のとなりにあります。一橋大学の校内には大学の発展に尽力した人物の銅像やレリーフがたくさんありました。伝統がある学校だと感じました。
 写真下は、キリンビール横浜工場です。関東大震災後に、横浜山手工場から移転してきました。工場見学と試飲ができます。敷地内には、できたてのビールが飲めるレストランがあります。ちなみに工場近くには、幕末におきた生麦事件の石碑があります。ここも歴史を感じる土地です。

<一橋大学を見学して>

一橋大学 校章

 写真上は、一橋大学の校章です。

一橋大学 矢野二郎像

 写真上は、一橋大学の創立者のひとりである矢野二郎の像です。矢野二郎については、白崎秀雄「鈍翁・益田孝」の中にもよく出てきました。三井物産創業者益田孝とは昵懇の仲でした。

銀座 商法講習所跡の石碑

 写真上は、松屋銀座の前に建っている一橋大学の前身である商法講習所跡の石碑。

千代田区 如水会館
如水会館 渋沢栄一像

 写真上は、千代田区一ツ橋にある如水会館です。如水会館一階には創立者の一人である渋沢栄一像(写真下)があります。夏には、屋上にビアガーデンが営業します。ビールの銘柄は調べていません。
 川向うには、徳川御三卿の一つである一橋家がありました。徳川幕府最後の将軍になった徳川慶喜は一橋家出身です。ここでビールを飲むとお殿様になった気分になるかもしれません。ちなみに、東京外国語大学はここが発祥地で、同志社大学創立者の新島襄は、向かいの東京大学発祥地が生誕地です。

<キリンビール>

明治17年ジャパンブルワリー横浜山手工場
明治40年麒麟麦酒設立当時の横浜山手工場

 写真は、キリンビール横浜工場で写したものです。横浜居留地にいた外国人を相手にビール工場ができました。横浜近辺には外国人相手にビール以外にもハム、ソーセージ、アイスクリームなどの工場ができました。

キリン生ビール
横浜スタジアム キリンガール

 ビアガーデンと横浜スタジアムでキリン生ビールを飲んだ写真です。

<その他>

昭和初期の京橋片倉ビル及び第一相互館付近

 写真上は、昭和初期の京橋付近の写真です。京橋近辺を歩いていた時に写しました。磯野長蔵は京橋に本社がある明治屋の三代目社長でもありました。麒麟麦酒株式会社は、明治屋二代目社長の米井源治郎、磯野長藏 他8名が発起人となり設立されました。写真の中には、当時、明治屋ビルと並び京橋の名建築と謳われた京橋片倉ビルが写っています。片倉ビルの先に明治屋ビルがありました。

併せて読むと、日本の近代産業の成り立ちがよくわかります。
林洋海「<三越>をつくったサムライ 日比翁助」を読む
白崎秀雄「鈍翁・益田孝」を読む
出町譲「九転十起 事業の鬼・浅野総一郎」を読む
渡辺房男「儲けすぎた男 小説安田善次郎」を読む
渋沢栄一「現代語訳 論語と算盤(そろばん)」を読む
小林一三「私の行き方」を読む
宮田親平「『科学者の楽園』をつくった男」を読む
山嶋哲盛「日本科学の先駆者高峰譲吉」を読む
中村建治「メトロ誕生」を読む
中村建治「山手線誕生」を読む
青山淳平「明治の空 至誠の人 新田長次郎」を読む
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山田義雄「花は一色にあらず」を読む
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 「名作を読む」は今回が第一弾ですが、これからも継続していきます。

テーマ : 読書感想文 - ジャンル : 小説・文学

Tag : 磯野長蔵 一橋大学 麒麟麦酒 明治屋

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