近藤富枝「田端文士村」を読む

田端文士村記念館


 芥川龍之介、やはり偉大な作家である。私は好きな作家の作品は繰り返し読む。夏目漱石も森鴎外もほとんど全作品を繰り返し読んできた。
 芥川の作品もよく読み返すが、それは限定されたものである。「鼻」「芋粥」「トロッコ」「蜘蛛の糸」などの初期作品は繰り返し読み返すが、「歯車」「或る阿呆の一生」「河童」などの後期の作品は、若いときに一度読んで以来、一切読んでいない。どうしても読み返す気にならないのである。
 芥川の初期の作品を読み返すとき、私はつねに「このような作品を書き続けていれば、芥川も自殺することはなかったのに」と思う。芥川の自殺と後期の作品がどうしてもリンクしてしまうのである。
 芥川は同じ自殺をした太宰治とは全く雰囲気が違う。太宰には死ぬ寸前までユーモア精神があった。死ぬ直前まで書き続けた「グッドバイ」は最高の皮肉を込めたユーモア小説である。太宰は健康な精神のもとで自殺をしたのである。芥川の自殺には健康のかけらもなく、あるのは狂気だけだと思い込んでいた。
 坂口安吾は芥川の甥と知り合いで、芥川の死後、芥川の書斎を訪れたことがある。そのとき、安吾が驚いたのはその部屋の異常な暗さであった。安吾は何度も芥川の書斎がどうしようもなく暗かったことを口を極めていっている。この安吾の言葉は私には決定的であった。私は芥川の作品とは距離を置くようになった。
 果たして芥川は本当に暗かったのか。死後の書斎だけが暗かったのか。今回、近藤富枝の「田端文士村」を読んで、私はいささか衝撃を受けた。実際の芥川は私のイメージしていたものよりかなり違っていたようだ。

田端芥川龍之介旧居跡の案内板


 「田端文士村」は、「本郷菊富士ホテル」の続編のような作品である。二つの作品ともにある限られた空間に住んでいる文士を中心にした文化人の親交を描いている。
 芥川は田端に住んでいた。芥川が住む前から田端が文士村であったわけではない。芥川が住み始めてから、文士たちがぞくぞくと住みついたのである。
 明治の末の田端は畑と野原だけで、その中を川が流れているという田舎そのものであった。現在では、田端は東京のど真ん中にあるといってもよいが、当時は、東京の郊外であった。
 田端に初めて住みついた文化人は陶芸家の板谷波山であり、波山はここに窯を築いた。その後、多くの美術家が住みつき始め、田端はさながら美術村に成長した。そして、大正三年に、芥川龍之介一家が移り住んだ。芥川が二十二歳のときである。
 田端に住んでから二年後の大正五年に、芥川が「新思潮」に書いた「鼻」が夏目漱石から激賞され、芥川は新進作家として持て囃され、まもなく大家のごとき者になった。それにつれて、田端には文士たちが住みついた。田端村の代表的な作家、詩人をあげると、芥川龍之介を筆頭に室生犀星、萩原朔太郎、瀧井孝作、久保田万太郎、中野重治、堀辰雄、佐田稲子、押川春浪、小林秀雄、菊池寛などがおり、片山潜、平塚らいてうなども住んでいた。
 芥川の書斎は澄江堂と呼ばれ、多くの文化人たちが集まり、サロン化していた。特に、芥川は室生犀星とは親しく、頻繁に交流した。
 芥川は田端文士村の村長というよりは王様であった。芥川は江戸っ子で、人の面倒をよく見、そして茶目っ気たっぷりで、愛嬌があった。多くの人が芥川を慕った。
 芥川は常日頃、自殺をすると明言していたが、誰も信じなかった。しかし、昭和二年七月に芥川は自殺した。その後、急速に田端文士村は寂れていった。

 現在の田端は芥川の住んでいた頃とすっかり変わっているが、駅から芥川の家まで通ずる坂道は今も残っている。
 「田端文士村」を読んだ後、私は無性に芥川の全作品を読み返したくなった。

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◆ 芥川龍之介 「蜘蛛の糸」「杜子春」「トロッコ」「鼻」「芋粥(いもがゆ)」「地獄変(じごくへん)」「藪(やぶ)の中」



 

 写真上は、JR田端駅前にある田端文士村記念館の外観です。
 写真下は、芥川龍之介旧居跡の案内板です。
 
<田端文士に関わる写真>

田端文士村記念館の看板

 写真上は、田端文士村記念館の入口です。

田端 室生犀星旧居跡の案内板

 写真上は、室生犀星旧居跡地の案内板です。案内板には次のように記されています。
<室生犀星(詩人・小説家 明治二十二年~昭和三十七年)は、大正五年田端一六三(現・三ー四)番地転入をはじめとし、その後田端内を数回転居しました。なかでもここ田端五二三(現・五ー五)番地は、居住期間が最も長く、特に気に入っていた場所のひとつです。
 犀星の文学への開眼は俳句にあります。魚眠洞という俳号を持ち、生涯において四冊の句集を含む約一七五〇の句作を行いました。田端時代は作家・芥川龍之介等と句作に打ち込むと同時に、詩人として、また小説家として出発した時期でもでもありました。

ぎぼし 田端草庵
ぎぼし咲くや石ふみ外す葉のしげり
龍之介忌
すヽけむる田端にひらぶ蛍かな
ある扇に書きて
魚眠洞枯蘆たばね焚きにけり>

上の坂の案内板


 写真上は、上の坂の案内板です。案内板には次のように記されています。
< 坂名の由来は不詳です。この坂上の西側に、芥川龍之介邸がありました。芥川龍之介は大正3年からこの地に住み、数々の作品を残しましたまた、この坂の近くに、鋳金家の香取秀真、漆芸家の堆朱楊成、画家の岩田専太郎などが住んでいました・
 芥川龍之介はその住居を和歌に詠んでいます。
 わが庭は 枯山吹きの 青枝の むら立つなべに 時雨ふるなり>

与楽寺の案内板


 写真上は、与楽寺の案内板です。案内板には次のように記されています。
< 坂の名は、坂下にある与楽寺に由来しています。「東京府村誌」に「与楽寺の北西にあり、南に下る、長さ二十五間広さ一間尺」と記されています。この坂の近くに、画家の岩田専太郎、漆芸家の堆朱楊成、鋳金家の香取秀真、文学者の芥川龍之介などが住んでいました。
 芥川龍之介は、書簡のなかに「田端はどこへ行っても黄白い木の葉ばかりだ。夜とほると秋の匂がする」と書いています。>

田端から見た上越新幹線

西日暮里 道灌山坂


 写真上は、田端駅から隣の西日暮里駅まで歩いたときに、眼下に走る新幹線を撮影したものです。このあたりは道灌山と呼ばれ、Wikipediaによると、<道灌山(どうかんやま)は、東京都荒川区西日暮里四丁目にある高台である。上野、鶯谷、田端、王子へ連なる台地の一際狭く少し高い場所にある。名称の由来は江戸城を築いた室町時代後期の武将・太田道灌の出城址という説、鎌倉時代の豪族・関道閑(せきどうかん)の屋敷址という説がある。古くは西は富士山、東は筑波山が見える景勝地であった。江戸時代には、薬草の採集地として、また、虫の音の名所としても知られていた。
 明治時代には、この台地を訪れた正岡子規が「山も無き 武蔵野の原を ながめけり 車立てたる 道灌山の上」と、ここからの眺望を短歌に残している。 また、余命が短いことを悟った子規が高浜虚子を誘い出し議論をした挙句、決裂したのはこの高台にある茶店でのことであった。>と書いています。
 写真下は、開成中学校・高等学校の前に建っている道灌山坂の看板です。

<大龍寺 正岡子規墓所>

田端 大龍寺

田端 大龍寺案内板

田端 大龍寺 正岡子規墓所


 写真上は、北区田端にある大瀧寺です。JR田端駅から少し歩きます。写真中は、大瀧寺の案内板です。写真下は、大龍寺にある俳人正岡子規の墓所です。
 子規の辞世の句は「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」「をとゝひのへちまの水も取らざりき」です。子規の忌日9月19日を「糸瓜忌」といい、雅号の一つから「獺祭(だっさい)忌」ともいいます。
 墓碑銘は次のように刻まれています。

 正岡常規又ノ名ハ処之助又ノ名は升
 又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺齋書屋主人
 又ノ名ハ竹の里人伊予松山ニ生レ東
 京根岸ニ住ス父隼太松山藩御
 馬廻り加番タリ卒ス母大原氏ニ養
 ハル日本新聞社員タリ明治三十□年
 □月□日没ス享年三十□月給四十円

 なお、正岡子規「病牀六尺」の読書感想文は、数学道場・作文道場に掲載していますのでクリックしてください。

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 「名作を読む」は今回が第一弾ですが、これからも継続していきます。

テーマ : 読書感想文 - ジャンル : 小説・文学

Tag : 近藤富枝 田端文士村 芥川龍之介 室生犀星 大龍寺

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