上念司「経済で読み解く明治維新」を読む

旧江戸城天守閣跡


 明治維新とは何だったのか。明治維新についての真面目な議論の一つに、明治維新はブルジョア革命なのか、プロレタリア革命かというものがある。この議論はピンとこないが、真面目だというのは、少なくとも経済というものを考えているからだ。
 明治維新というとすぐに、尊王攘夷・薩長同盟・新撰組や下級武士たちの活躍が出てくるが、明治維新がなぜ起こったかという本質めいた話はなかなかでてこない。西郷隆盛も勝海舟も大久保利通も環境が整ったから活躍できたのであり、元禄時代に生まれても活躍できなかったのは当然である。
 明治維新は起こるべくして起こったのであり、薩長の志士たちはそれを先導しただけである。江戸幕府は潰れるべくして潰れたのである。本当の維新史とはなぜ江戸幕府が潰れたのかを解明しなければならない。
 学校で習う歴史教科書にはなぜ江戸幕府が潰れたかという正確な記述はない。江戸時代は武士が百姓(農民を含めた武士以外の人たち)から搾取したとか、武士階級が贅沢三昧に暮らしていたとかの推測で、江戸幕府の崩壊を語っている。米騒動・百姓一揆は日常茶飯事で、江戸時代は暗黒な世界であったらしい。しかし、暗黒の江戸時代がなぜ二百六十年も続いたかということは一切語られていない。本当に暗黒な時代であったら長く続くわけはないのである。
 歴史を動かすのは一体何であるのか。やはり、司馬遼太郎がいっているように、「歴史を動かすのは利害である」というのが大正解であろう。徳川幕府の存続が大多数の人の得になるのなら、徳川幕府は生き延びたはずである。
 利害をトータルに集めたものが経済である。結局、歴史の本質とは経済の動きそのものである。数々の維新史を読んでいて、腑に落ちないのは経済学的な視点が欠けているからだ。なぜか日本の歴史は政治を中心に語られる。おそらく、大多数の歴史家といわれている人たちが大学の文学部で歴史を学んだことと関係しているのかもしれない。経済学的な視点のない歴史などはっきりいって、私は邪道だと思う。

上野 西郷隆盛像


 上念司の「経済で読み解く明治維新」は目から鱗の歴史書である。明治維新とは銘打っているけれども、内容は江戸時代の統治システムの解明とそのシステムがなぜ崩壊していったのかの分析についてである。薩長の志士たちの話はほとんど出てこない。やはり、江戸時代の本質を書くことが、本来の維新史を書くことなのであろう。幕末の動乱が本当に始まるのはペリー艦隊が来日してからのことであるが、維新の本質を述べるのに、ペリー艦隊から書き起こすのはやはりほとんど意味がないであろう。江戸時代二百六十年の蓄積が明治維新を起こしたと見るべきである。
 上念は江戸時代の統治システムをマクロ経済学的な視点で見ている。非常に説得力があり、思わずなるほどと頷いてしまう。教科書では絶対に見られない合理的な歴史解釈である。
 上念にいわせると、江戸幕府の統治システムの大きな欠陥の一つは、全国の藩に徴税権を与えたことである。この視点は教科書ではないがしろにされるが、非常に重要なことである。
 幕府は自らの領地(天領)からしか年貢は取れないのである。全国で約二千五百万石あるのに、天領は約四百万石である。藩の財政は各藩でみるにしても、四百万石で二千五百万石の土地の面倒をみなければならない。幕府が財政的に破綻するのは必然だったのである。
 この本には、その他にあっと思わせる視点が次々と出てくる。結局、明治維新は起こるべくして起こったと納得するのである。

 上念は、江戸幕府の悪い点だけをあげているわけではない。優れた点もたくさんあげている。上念は、明治になって日本が急速に発展するのは、江戸時代の資産があったと力説している。これもなるほどと納得してしまう。



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 写真上は、旧江戸城天守閣跡の石垣です。振袖火事で天守閣が焼失して以来、再建されることはありませんでした。下の写真は、上野公園に建っている明治維新の功労者である西郷隆盛の像です。YouTubeの映像は、先日の6月25日に横浜スタジアムにて、横浜ベイスターズ対巨人を観戦した時のものです。横浜スタジアムは、関内にあります。日米修好通商条約(安政の五カ国条約)によって1859(安政6)年に横浜に設置された開港場の区域を「関内」と呼んだことに由来します。横浜スタジアムより大桟橋に向かっていくと、日本銀行横浜支店、神奈川県庁などがあります。

<旧江戸城>

江戸城内 大手門高麗門

 写真上は、旧江戸城大手門に建っている高麗門です。

江戸城内 百人番所

 写真上は、江戸城内にある百人番所跡の建物です。

江戸城内 松の大廊下跡

 写真上は、忠臣蔵でお馴染みの松の大廊下跡です。
 
江戸城内 汐見坂の石垣

 写真上は、江戸城内の汐見坂です。当時は汐見坂から江戸湾が一望できました。汐見坂は平川門から大奥に通じる道にあり、大奥で働く女性はこの坂を上ったり下りたりしたのではないかと思います。

<横浜開港場>

横浜 日米和親条約調印の石碑

 写真上は、横浜スタジアムから大桟橋に行く途中にある日米和親条約調印の石碑です。黒船のペリーはこの地に上陸しました。調印後、老中阿部正弘の下で、約10万両の費用をかけて横浜の街づくりをしました。

横浜本覚寺 アメリカ公使館跡

 写真上は、横浜駅より数分の所にある本覚寺です。本覚寺は日米修好通商条約後にアメリカ領事館になりました。生麦事件では、薩摩藩の武士から切りつけられたイギリス人が血まみれで逃げ込んで、ヘボン博士が治療しました。本覚寺の下には東海道(国道一号線)が通っています。また、その眼下には葛飾北斎で有名な神奈川沖がありました。

横浜本覚寺 岩瀬忠震の石碑

 写真上は、本覚寺にある初代アメリカ領事ハリスと交渉した岩瀬忠震の石碑です。岩瀬忠震は島崎藤村の「夜明け前」にも登場し、水野忠徳、小栗忠順と共に「幕末三俊」と称されています。しかし、忠震は将軍の後継問題で、井伊大老の逆鱗に触れ、お役御免をいいわたされました。現在に例えると、忠震は優秀な官僚で、井伊大老は策なし政治家という感じです。
 横浜の大恩人は、井伊大老ではなく、岩瀬忠震が相応しいかもしれません。でも、ハリスが主張した神奈川開港だったら、横浜の地図は、今とは全然違うものになっていました。

<アメリカ領事館・公使館の変遷>

東京麻布 善福寺 アメリカ領事館跡の石碑

  写真上は、東京麻布の善福寺にあるアメリカ領事館跡の石碑です。この時期は、幕末から明治維新を迎えときで、尊王攘夷を掲げ、外国の領事館がある地域や芝・三田近辺では、乱暴狼藉を働くものが大勢出没しました。その糸を陰で操っていたのは薩摩藩ともいわれています。
 善福寺には、慶応義塾を創設した福沢諭吉の墓があります。

東京築地 アメリカ公使館跡の案内板

 写真上は、東京築地にあるアメリカ公使館跡の案内板です。明治維新後に築地に移ってきました。アメリカ公使館跡の周りには、立教大学、青山学院、明治学院、女子学院、工学院らの学校の前身がありました。

<西郷隆盛>

東京三田 西郷隆盛・勝海舟会見の場所の石碑

 写真上は、東京三田にある西郷隆盛と勝海舟の会見場所の石碑です。この場所は、薩摩藩の船着き場の屋敷でした。この場所で、江戸城無血開城が決定されました。

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Tag : 上念司 経済で読み解く明治維新

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