シーボルト「江戸参府紀行」を読む

築地 あかつき公園 シーボルト像


 シーボルトといえばシーボルト事件である。だが、シーボルトを、国外に持ち出し厳禁の日本地図をオランダに持ち帰ろうとした事件の犯人だ、とだけ認識していたら大きな過ちである。シーボルトはとてつもなく貴重なものを日本に残してくれた。それを知ることによって、私たちは江戸時代の真の姿を垣間見ることができるのである。
 シーボルトはオランダ人ではなく、実はドイツ人である。オランダ人になりすまし、そして医者として文政六年に日本に来た。シーボルトは単なる医者ではなく、生物学・地理学・地質学・鉱物学・化学など広い分野の学問に造詣が深かった。いわゆる、学問の化け物のような人であったのだ。早くから日本に興味を持ち、日本のことを研究したいと思って日本にやって来たのである。
 シーボルトは教えることにも熱心で、多くの日本人に医学などを教える傍ら、逆に日本人の教え子から日本のことを教わったりした。
 シーボルトは日本で研究したことをヨーロッパに持ち帰り、本を著した。その本がヨーロッパ中に日本を知らしめたのである。江戸時代の生の日本を知る上で、シーボルトがたいへん重要な人物なのは、彼が、将軍家に謁見するため長崎と江戸を往復する際、日記を書いていたことである。シーボルトは道中の間、見たことそして調べたことを日記に克明に書いている。
 この日記が「江戸参府紀行」である。

日本橋 長崎屋案内板

あじさい


 少しでも江戸に興味のある人なら「江戸参府紀行」がたいへんすばらしい歴史資料であることがわかるであろう。何しろ、見たまま調べたままを書いているのだから、色のついたフィルターを通して論じた歴史書より、はるかに信憑性がある。私は「江戸参府紀行」の中に本当の江戸時代の日本の姿を見る思いがした。
 まず、この日記を読んで、たくさんの植物の名前に驚かされる。よくもまあ、こんなにたくさんの植物の名前を知っているものと感心してしまう。また、行く先々で、その土地の緯度と経度を計器を用いて計っているのには正直びっくりした。さすがに科学者である。それを日本の地図と見較べているが、日本の地図はほぼ正確であった。
 印象深かったのは、シーボルトにとって日本がたいへん美しい国に見えたことである。美しい海・美しい川・美しい山・美しい田んぼ・美しい畑など、シーボルトにとって、日本はヨーロッパより、はるかに美しい国であった。特に、田んぼの美しさには感心し、田んぼを支える感慨設備がよくできていると驚いている。
 日本の工芸品にも目を瞠っている。紙の作り方、塩の作り方など、ヨーロッパよりはるかにすぐれていることを見抜き、日本人が文章をよく書く理由を理解した。
 ただ、褒めているばかりではない。いわゆる当時の暗い部分も見ている。それは、日本人の穢多・非人に対する蔑視である。これは、シーボルトには理解できなかった。
 シーボルトにとって日本がすばらしかったのは、自然の美しさや工芸品の美しさだけでなく、やはり、日本人の性質そのものがシーボルトを感動させたのである。親切でやさしく、礼儀正しく、そして何より日本人は嘘をつかない人種として、シーボルトは理解した。日本人はヨーロッパ人よりはるかに優れた人種だとシーボルトは見てとったのである。 長い行程を経て、やっと江戸に着き、将軍家に謁見した。そのときの描写は格別で、江戸城の中がどうなっているのかなどがよくわかっておもしろい。また、江戸でのオランダ人使節の定宿である長崎屋のことも興味深く書いてある。
 とにかく、歴史好きにはたまらない日記である。

 シーボルトは日本を永久追放になったのだが、日本とオランダが通商条約を結んでまもなく、約三十年ぶりに日本に再び来た。日本とオランダをつなげる大使になりたかったようである。このことを以ってしても、シーボルトの日本に対する思いを知ることができよう。

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 写真上から、築地の公園に建っているシーボルト像、日本橋に建っている長崎屋跡の案内板、シーボルトが日本から持ち帰って、西洋に広めたアジサイの花です。

 築地の公園のシーボルト像には、次のように記されています。
< フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、オランダの商館医員として文政六年(1823)七月、長崎に到着し、診療の傍ら長崎の鳴滝に塾を開くなどして活躍した。
 同九年正月、商館長と共に江戸へ向かい、三月四日、日本橋の長崎屋に止宿し、四月十二日出発するまでの間、江戸の蘭学者に面接指導し大きな影響を与えた。しかし、同十一年シーボルト事件が発生し、十二月に日本から追放された。後に安政六年(1859)幕府顧問として再来日したが、まもなく帰国しミュンヘンで没した。
 彼の江戸における指導は、江戸蘭学発展のために貢献するところが大きかった。この地が江戸蘭学発祥のの地であり、且つ彼が長崎でもうけた娘いねが築地に産院を開業したこともあり、また明治初期から中期にかけてこの一帯に外国人居留地が設けられていたことから、ここに彼の胸像を建て、日本への理解と日蘭の橋渡し役としての功績に報いるものである。>

 長崎屋跡の案内板には、次のように記されています。
< 江戸時代、ここには長崎屋という薬種屋があり、長崎に駐在したオランダ商館長の江戸参府時における定宿でした。諸外国のうち、鎖国政策のため外国貿易を独占していたオランダは、幕府に謝意を表するために江戸へ参府し、将軍に謁見して献上品を贈りました。
 江戸参府は江戸前期から毎年行われており、商館長の他、通訳、医師などが長崎からにぎやかに行列して江戸に来ました。しかし、経費の問題もあり、江戸中期からは四年に一回となっています。
 随行したオランダ人の中には、ケンペルやツンベルク、シーボルトなどの医師がいたため、蘭学に興味を持つ青木昆陽・杉田玄白・中川淳庵・桂川甫周・平賀源内をはじめとした日本人の蘭学者、医師などが訪問し、江戸における外国文化の交流の場として、あるいは、先進的な外国の知識を吸収する場として有名になりました。
 この地は、鎖国下の日本における数少ない西洋文明との交流の場として貴重であり、区民史跡に登録されています。>

 併せて読むと、江戸時代、特に幕末がよく理解できます。江戸時代の文化文明の進歩の度合いが、その後の日本と朝鮮の差として現れます。
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