三好徹「叛骨の人 大江卓」を読む

神奈川県庁屋上から写した大桟橋


 近頃、やたらと人権という言葉が飛び交う。何かというと人権蹂躙だとか人権無視だと言って非難する。特に、マスコミや国会議員が政府を攻撃するときに使う。中には、日本は人権国家ではないという輩もいる。
 国会議員が人権を口にするとき、私はかならずといってよいほど、大江卓のことを思い浮かべる。大江卓は歴史上有名な人ではないが、知る人ぞ知る正義の人である。
 大江が正義の人と評判をとったのは、ある事件を人権の見地から解決したことである。 大江が神奈川県権令のとき、ペルーの船が横浜の港に停泊した。そのとき、ペルーの船から一人の中国人が抜け出し、港の役所に助けを求めた。大江が聞いてみると、その中国人は奴隷として売られてペルーに連れて行かれるという。大江は早速ペルーの船の船長を呼びつけ事情を聞いた。船長は当然、中国人の言っていることを否定した。大江は中国人を船長に返した。
 ところが、それから船の中から人が虐待されているような声が聞こえるという訴えが役所にあった。大江は船に乗り込み、詳しく調べ、船には二百人以上の中国人がおり、彼らはまさに前に大江に会った中国人同様に奴隷として売られ、ペルーに連れて行かれるところであった。
 大江はすべての事情を察し、中国人を解放しようとした。船長は猛然と拒否した。それで、大江は裁判を開いて、自らが裁判長となり、日本の法律に則って中国人を解放しようとした。
 それから、大江は獅子奮迅の活躍をして、結局、裁判に勝ち、中国人を解放した。中国人は喜び、当時の清の国は国をあげて、大江に感謝した。
 この事件をマリア・ルス号事件という。この事件を解決するにあたって、大きな障害がいくつもあった。その一つが、日本政府の反対である。ペルーとは条約を結んでいないから、日本の法律は適用できないので、かかわるなと政府は大江を脅した。しかし、大江は頑としてこれに抵抗した。
 二つ目はペルー側の弁護士が、日本にも娼婦や芸者が売り買いされ、人身売買が合法的に行われているというものである。大江がさすがに困ったが、これもうまくのりきった。 裁判で買っても大江は実利を得ることにはならないが、大江はただ正義のために戦ったのである。
 この事件にはおまけがついた。事件後、日本では娼婦や芸者の人身売買が禁じられたのである。

横浜山下公園に係留されている氷川丸

横浜山下公園に建っている『赤い靴はいてた女の子の像』


 三好徹の「叛骨の人 大江卓」は大江の伝記小説である。内容の大半は、上に述べたマリア・ルス号について割かれている。
 大江は土佐出身である。土佐藩には上士・下士という藩士があり、下士は上士よりはるかに身分が低かった。坂本龍馬は下士であった。大江の家は下士どころではなく、下士の家来である。ほとんど人間扱いされなかった。
 大江は脱藩した坂本龍馬にあこがれ、海援隊に入るべく土佐を出た。この小説は、大江が龍馬の妻のお龍と馬関(下関)で会うところから始まる。この最中に、龍馬が京都で殺される。
 その後、大江は陸援隊の一員となり、幕末を過ごし、明治になって、龍馬の弟子である陸奥宗光の助けによって、神奈川県権令になり、明治五年にマリア・ルス号事件を解決することになる。
 明治十年の西南戦争では、大江は陸奥宗光などと謀って、西郷隆盛率いる薩摩軍に呼応しようとするが、それが政府に知られて、大江は十年間獄中の人となった。
 獄から出ると、代議士などをしたり、社会運動家のようなことをした。

 大江はマリア・ルス号事件と娼婦と芸者の人身売買の廃止で有名であるが、もう一つ有名なことがある。それは、穢多・非人の呼称を廃止させたことである。穢多・非人は非人道的の最たるもので、大江はこれを見逃すことができなかったのである。
 大江の人生はまさに正義で貫かれていた。

横浜関内 吉田橋関門跡の石碑

高島嘉右衛門旧邸宅跡に建っている案内板


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 上の写真は、横浜にて写したものです。上から3枚は、県庁の屋上から写した大桟橋、横浜山下公園に係留されている氷川丸と同じ公園に建っている野口雨情作詞、本居長世作曲の『赤い靴はいてた女の子』をイメージして製作した『赤い靴はいてた女の子の像』です。
 下の2枚の写真は、JR関内駅そばに建っている吉田橋関門跡と現在のJR横浜駅を埋め立てて整備した横浜の功労者のひとりである高島嘉右衛門の旧邸宅に建っている案内板です。明治時代には、旧邸宅からは、横浜港が一望できました。

テーマ : 歴史・時代小説 - ジャンル : 本・雑誌

Tag : 三好徹 叛骨の人 大江卓

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