マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』を読む

 論理的に話しているのだが説得力のない議論というものが存在する。私はこれを勝手に不毛な議論と呼んでいる。特に、政治家とか経済評論家といわれる人たちがやる議論にこの不毛な議論が多い。
 なぜ論理的に話していても説得力がないのか。それは、議論の前提というか土台となる哲学が曖昧だからであろう。哲学が曖昧なのだからいかに論理的であっても議論がかみ合うことはないのである。1つの例をあげてみると、市場経済に対する見方だ。
 新自由主義者といわれている人たちは規制をできるだけ撤廃し政府の関与を極力少なくして、もっと自由にビジネスのできる環境を作るべきだと主張する。これに対して、自由が増すと格差が広がり不平等な社会になるから新自由主義者の意見はおかしいという立場の人がいる。
 新自由主義者の理論は、自由になればなるほど社会が豊かになるというものだ。その代わり富める者と貧しい者との格差がはげしくなり不平等になる。豊かさをとるのか平等をとるのか?この議論は政治においては単純化されて、小さな政府をとるか大きな政府をとるかになる。A党は小さな政府をとる、B党は大きな政府をとるというのがその党の理念みたいになっているのが現在の政治の状況ではないのか。ところが、小さな政府、大きな政府というが、はたして政府というものの尺度は大きい小さいで計られるものだろうか。 この議論が不毛なのは、豊かさとは何か、平等とは何かということが本質的に議論されていないからである。GDPの数字だけでもって豊かさを判断してはいないか。もっというと、豊かさと幸せはイコールの関係にあるといえるのか。
 平等の概念にしてもそうだ。富を平等に分配することが平等なのであろうか。努力してもしなくても同じ報酬なら努力した人に対して不平等ではないのか。
 結局、議論が議論にならないのである。

 <これからの「正義」の話をしよう>(早川書房)は画期的かつ興奮させられるたいへんおもしろい本である。著者のマイケル・サンデルは長年ハーバード大学で学部生に政治哲学の講義を行ってきた人である。その講義はハーバード大学史上で一番人気があるといわれている。この講義の内容をベースにできたのが<これからも「正義」の話をしよう>である。一読してハーバードの学生に圧倒的に支持されたのがよくわかる。はっきりいってこの本を読むと間違いなく頭がよくなると確信する。
 この本がなぜおもしろいかは、議論をする上において本質的な土台となる概念に対して深く考えを及ぼしているからである。本質的な土台となる概念とは一言でいうと正義とは何かということである。著者は正義について広くそして深く考察をめぐらせている。アリストテレス・カントなどの偉大な哲学者も登場し、彼らの考えも紹介している。また、正義を考えることから、善・道徳・宗教・平等についても考察している。
 やはり正義とは何かについての徹底的な考えなくしては人間の行動に対する議論はほとんどが不毛なものになってしまうと、私はこの本を読んで認識した。人間の行動は功利主義者がいうように効用が最大化すればいいというものではないからである。
 この本はまず最初に大きなそして意義深い問題を取り上げている。それは<1人殺せば5人が助かる状況があったとするならばあなたはその1人を殺すべきか?>という問題である。たいへん難しい問題である。イエスと答えたら非難されるであろうか。しかし、よく考えてみるとこの問題をイエスと導く論理でもって戦争は正当化されるのではないのか。イラク戦争によってかなりの人間が死ぬが、それの何千倍・何万倍もの人間が助かるという論理でアメリカは戦争を決意したのではなかったのか。
 著者のマイケル・サンデルはこの問題についていろいろな角度から論じているが答はない。この問題以外にも現代社会がかかえる矛盾をテーマにした問題がたくさん提起されている。そしてその問題を考える上で道徳・宗教など多岐に渡って考察が及ぶ。
 いずれの問題に対しても答はないし、誰もが納得するような答は存在しない。要するに著者の主張は、どのような問題にも本質的なところまで掘り下げて深く・広く考えなさいということである。考えることによって次元の高い解決法に迫るというものであろう。そのためにアリストテレス・カントの哲学が参考になるのである。

 <これからの「正義」の話をしよう>を読むと、本当に哲学が大事かつ必要であることがわかる。哲学なき議論は不毛であるということである。

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(2010/05/22)
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