清水幾太郎「日本よ 国家たれ 核の選択」を読む

 1990年のバブル崩壊以後日本の国力は落ち続けている。21世紀になっても止まることなく落ち続け、2011年を迎えていよいよ日本も滅びるのではないかという声さえ聞こえはじめた。
 バブル後の日本の国力低下を称して江藤淳は第2の敗戦と言った。さしずめリーマンショック後の日本は第3の敗戦かもしれない。
 日本の国力がなぜ落ちたのか。理由はいろいろあるけれど、その1つは本当に大事なこと、本当に重要なことを議論しないで隠し続けたからではないのか。その大事なことというのは国家とは何かということである。国家について考えることは長い間タブーであった。戦後一貫して平和であり、国家としての体面をまがりなりにも維持してきたのはアメリカの軍事力と天皇制があったからである。
 特にアメリカの軍事力の存在は大きく、日米同盟があればこそ、諸外国も日本に手をだすようなことはなかった。日米同盟は日本を表向きには守ってくれるが、その反面、日本はアメリカの意のままにならなければならない。今のままでは日本は永遠にアメリカに対し、平和を保証してくれる代わりに基地を提供し続けなくてはならないのである。日本は安全保障に関して自分の行く道を自分で決定できないのである。
 戦後65年たっても日本はあの太平洋戦争の傷跡を癒してはいない。沖縄には米軍が居座ったままである。日本はアメリカの属国といってもよい。国家の核心になることはアメリカに決定された。天皇制が存続したのも日本人の力でなく、アメリカの力によってなされた。
 終戦直後、日本を占領したアメリカ軍はテロの恐怖に襲われた。戦争継続を叫ぶ多くの日本兵がテロを起こすのではないかと思ったのだ。だが、テロは1度たりとも起こらなかった。日本人はアメリカ軍にたいして従順であった。天皇が日本国民に武装解除を命じたからである。アメリカは天皇の偉大さを知り、天皇制廃止の方針を撤回した。
 日本国憲法はアメリカから強制的に与えられたものである。アメリカはこの憲法によって、日本が2度と軍事力をもつことを禁じた。アメリカは日本から国家の体を取り上げたのである。日本は去勢されたといってもよい。憲法を押し付けられた国がはたして独立国家といえるのであろうか。それでも戦後の経済的繁栄が国家の体をなしていない日本の問題を覆い隠した。
 21世紀、日本はグローバル化した世界の中で戦わなければならない。経済・外交も戦いである。日本はその戦いの中で負けがこんでいる。国家の体をなしていない日本がその弱さを露呈しているのである。
 
 清水幾太郎著「日本よ国家たれ 核の選択」は衝撃的な本である。1980年に書かれたものであるが、1980年当時よりも現在の方がよりこの本は切実な問題を提起しているのではないだろうか。
 清水は戦後60年安保までは平和運動に身を捧げてきたのであるが、60年過ぎから日本の軍備について過激なことを言うようになった。清水は変節したと論壇から非難された。清水の主張は1点に尽きる。国家は軍事力の裏づけがあって初めて国家たりえるということである。
 清水は1980年当時の日本の軍事力の貧弱さを嘆き、清水流の防衛力向上の指針を示した。おそらく平和ボケした口だけの平和論者には読むに耐えない本であろう。清水は当然のことながら核武装も提案している。最低でも軍事費をGDPの3パーセントに引き上げろとも主張する。清水は本当の平和そして豊かさを得るには軍事力を増強させることであると力説する。そして日本国憲法の改正を提案する。その論理には説得力がある。
 清水は果敢にタブーに挑戦しているのである。

 平和を築くためには武器を捨てればよいのであろうか。話し合いで世界と仲良くやっていけるのであろうか。昨今の日本を取り巻く東アジアの情勢を見ると、これらの議論に意味があるとは思われない。日本以外の国が軍事力イコール国力とみなしているのである。 自分の国は自分の国の軍隊で守らなければならない。この単純明快な真理は長い間議論されないままであった。清水は日本が国家として何をなすべきかを主張している。国家の体をなしていない国にもはや成長は訪れないのは確かであろう。

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日本よ国家たれ―核の選択 (1980年)

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Tag : 日本よ 国家たれ 核の選択

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