江藤淳「閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」を読む

連合国総司令部が置かれた旧第一生命館
 日本のテレビ・新聞などを中心としたマスコミ報道にはいつも違和感を覚えるし、ときには腹立たしさを感じる。はっきりとした理念も主張もなくやたらに政府非難を繰り返すだけで、とても真のジャーナリズムとは言い難い。極め付きは太平洋戦争に対する見方である。ほとんどのマスコミが判で押したように太平洋戦争を否定している。否定するのは構わない。問題はその否定の仕方である。彼らは客観的な事実を踏まえて自ら判断しているのであろうか。
 少なくともマスコミは正しい情報を偏らずに伝えるのが使命であるはずなのに、この使命を果たしていないように私は思えてならない。一方的に太平洋戦争は日本が100%悪いようにいう。はたして一方が100%悪い戦争などというものが存在するのであろうか。アメリカは100%正しかったのか。日本の戦争は侵略戦争だと極東裁判で断罪されたが、アメリカを含めた西洋諸国が19世紀以降アジアにおいて行ってきたことは侵略ではなかったのか。アメリカが日本を嫌ったのは自分が満州の利権をとりたかったからではないのか。 太平洋戦争という名前からしておかしい。太平戦争とは戦後アメリカが勝手に命名したものである。日本では大東亜戦争といった。大東亜が太平洋になると戦争の意味も大きく変わってくる。
 また、極東裁判は裁判として成立するのであろうか。この裁判は勝った国が負けた国を裁くというもので当事者が裁判を行っている。本来なら戦争とは関係ない第3者機関が行うべきものではないのか。戦犯は人道に対する罪で裁かれた。人道に対する罪はニュルンベルグ裁判で突然登場してきたものであきらかに事後法である。日本はあくまでもポツダム宣言に則って降伏したのであって、ポツダム宣言には人道に対する罪で戦争責任者を裁くとは明記されていない。
 以上のことを私はマスコミ報道できいたことがない。

 江藤淳の「閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」を読んだとき大きな衝撃を受けた。と同時に江藤の勇気に感動した。本当にここまで真実を暴露してもよいのかと思った。本来なら真実を伝えるマスコミがキャンペーンを張ってでも報道すべきことである。江藤はよほど日本に対する危機意識があったに違いない。私は江藤のような文化人をもったことを誇りに思う。
 「閉された言語空間」は戦後GHQが行った検閲についての赤裸々な記録である。検閲はGHQの判断で行われたのではない。当然、アメリカ本国の意向によってである。日本に言論の自由、出版の自由を与えたと自我礼賛していた当のアメリカが徹底した言論封殺をしていたのである。その実態は恐ろしく非人道的であった。
 この記録を読むと怒りに体が震えてくる。戦争に負けるとは何とも悲惨なものである。アメリカの行動原理は国益を一番に考えるということである。アメリカの日本の占領政策もアメリカの国益のために行われた。アメリカの国益とは日本が2度とアメリカに歯向かわないようにすることであり、アメリカの対日戦争を正義の戦いだったと日本人に洗脳することであった。そして、広島・長崎の原爆も日本が悪いことをした当然の報いであるという論理を日本人に浸透させようとした。それは日本人に自らの頭で考えさせることを停止させることであり、日本の国の消滅を意味していた。
 占領軍の検閲は徹底的に行われた。新聞・雑誌・書籍は事前検閲であった。ゲラを検閲局に持参して検閲してもらうのである。適切でない内容は削除を命じられた。一般人の郵便までも検閲された。アメリカおよびアメリカ軍に対する非難、日本軍の行動を肯定することなどは一切公にされなかった。広島・長崎の原爆のことも非難できなかった。
 「閉された言語空間」は恐ろしい本である。しかし、私たち日本人はもう一度真剣に占領期間中にアメリカが日本に行ったことに目を向けなければならないのではなかろうか。占領政策は現在でも影を落としている。

 <真の自由主義者とは今こそ天皇陛下万歳といえる人だ>と喝破したのは太宰治である。終戦直後、天皇万歳と言える人はいなかったのである。いや言えなかったのかもしれない。太宰は戦争が終わったあとの世の中の窮屈さを肌で感じていたのかも知れない。

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 写真は、皇居の前に建っている連合国総司令部(GHQ)が置かれた旧第一生命館です。旧第一生命館でマッカーサー総司令官は執務を行っていました。

閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)
(1994/01/10)
江藤 淳

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 閉された言語空間

COMMENTS

ネット世代の覚醒

確かに・・・・「本来なら真実を伝えるマスコミがキャンペーンを張ってでも報道すべきことである」・・・・と思います。

嘗てそれが出来なかったのは、彼らに、共犯者として甘い汁を吸った後ろめたい過去を清算する勇気と良心が残っていなかったからでしょう。今後も既得権に胡坐をかき続けている彼らに自浄能力を期待することは出来ません。

インターネット選挙の解禁を機にネット世論とマスメディア世論の総力戦が始まっていると認識しています。

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