福地源一郎「幕末政治家」を読む

水戸藩邸があった小石川庭園
 幕末の幕臣で非常に英語ができたのが福沢諭吉と福地源一郎である。特に、福地の英語力はたいしたもので、福地は幕末の騒乱期に翻訳家・通訳として幕政を支えた。福地の英語の能力のことは司馬遼太郎も絶賛している。
 福地は幕府が崩壊して明治維新になると、新聞記者として健筆を振るった。福地は東京日々新聞の社長になった。以後、福地は劇の脚本・小説などを書いた。明治以降の歌舞伎について語るとき、福地はなくてはならない人である。
 勝てば官軍とはよくいったものである。歴史も勝ったものに都合がよいように書かれる。明治になって、幕末史の記述は薩長を善玉とし幕府を悪玉にしたものばかりで、いずれも権力を握った薩長の側から見た歴史である。
 私は幕末史を振り返るたびに、いつも長州藩の尊王攘夷とは何だったのであろうかと思う。長州藩は御所に向けて銃を撃った藩である。このような藩が尊王とは笑止千万である。薩長の動きを見るに、幕府を倒す口実として尊王攘夷を叫んだのではないかと思う。薩長は本気になって日本の国のことを考えたのであろうか。薩長はただ徳川家に代わって政権を取りたかっただけではないのか。逆に、幕府の方が本気になって日本の将来のことを考えていたのではないか。
 私は幕府が鎖国の方針を破って開国に踏み切ったのは正しい決断だと思っている。薩長は幕府が開国を決めると、鬼の首を取ったように幕府の政策を攻撃した。そのときの大義名分が尊王攘夷であり、尊王攘夷はあくまでも薩長にとって幕府を倒す手段で、それ以外の何ものでもなかった。だから、薩長は政権をとると攘夷のことは忘れて開国を推し進めた。
 井伊直弼は現在でも悪玉として歴史に登場する。しかし、井伊は日本を世界に押し出した人ではないのか。

 福地源一郎の「幕末政治家」は幕府の側から見た貴重な幕末史ともいえる。福地は幕府が崩壊していくときの渦中にいた人である。いわば現場を知っている人である。これ以上幕府の最後を語るにふさわしい人は他にいないであろう。
 福地がこの本を書いた動機は幕府の側から見た幕末の本があまりにも少ないからだという。福地は幕府には英明な人材がたくさんいたという。
 「幕末政治家」は幕末の幕府において重要な地位にあった政治家について書かれている。おもだった政治家は、阿部正弘・水戸斉昭・島津斉彬・堀田正睦(まさよし)・井伊直弼・間部詮房(あきふさ)・松平春嶽である。
 話の中心は開国についてである。幕府が開国を決断したのが苦渋の決断であったことがよくわかる。私が長年疑問に思ってきたことがある。それはなぜ開国をするのに天皇の勅許が必要だったかということである。政治は一切徳川幕府が行うことになっていたのであるから、開国の勅許を得ることが必要であったのか。それなら、鎖国をするとき、勅許を得たのであろうか。私は誰が勅許といいだしたのかと思った。この本を読んで、この疑問が解けた。
 ペリーが来航したときの幕府の筆頭老中は阿部正弘であった。阿部が勅許を求めたのである。それは阿部が自分ひとりでは開国の決断ができなかったからだ。阿部が勅許を求めたことが幕府崩壊の第一歩となった。ただ驚くのは、勅許問題を大きくしたのは何と幕府を支えるべき徳川御三家の一つ水戸家の徳川斉昭である。斉昭は尊王攘夷を唱えて幕府をかき回したのである。斉昭の行動を見ると本当にうんざりする。斉昭のために幕府は潰れたのではないかと思われた。斉昭はよほど息子の一橋慶喜を将軍にしたかったのだろう。 「幕末政治家」は幕府の内部抗争と幕府自身の苦悩を実にリアルに描いている。

 福地は幕府には優秀な人がいたという。明治になって、日本が近代国家として大成長していく上において、旧幕臣がいかに活躍したかをもう一度考えてみるべきであろう。

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 写真は、東京都文京区にある小石川庭園です。江戸時代に水戸藩邸があったところです。中央の高いビル方向に東京ドームがあります。

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