澤地久枝「火はわが胸中にあり 忘れられた近衛兵士の叛乱 竹橋事件」を読む

旧大日本帝国陸軍近衛師団司令部庁舎 大日本帝国陸軍史上最悪の兵士の反乱は2・26事件だと思っていたが、刑死者がそれを上回る反乱があった。竹橋事件である。
 高等学校で学習する日本史の教科書では、竹橋事件の扱いは小さい。事件そのものの言及というより、その事件の結果、軍人勅諭そして教育勅語ができたという関連性の中で記述されている。
 竹橋事件というのは明治11(1878)年に起こった近衛兵の反乱である。その1年前には西南戦争が起きている。西南戦争は日本史上最大の内戦であった。近代的な組織になった官軍は西郷隆盛率いる薩摩軍を制圧した。この戦争によって、明治の社会は完全に封建的武士社会から脱皮したともいわれる。
 竹橋事件は西南戦争の余韻が残っている最中の出来事であった。それも近衛兵という天皇を守るべき兵の反乱であった。明治政府の驚きはいかばかりであったろうか。時の陸軍卿の山県有朋は蒼ざめたに違いない。
 考えてみれば竹橋事件というのは日本史においてとてつもなく重要な事件であるのに、この事件の詳細を書いた本は意外と少ない。近代史の本には記述があるが、高校の教科書のように、軍人勅諭・教育勅語との関連で述べられることがほとんどである。

 澤地久枝著「火はわが胸中にあり 忘れられた近衛兵士の叛乱竹橋事件」は竹橋事件を克明に追った本である。私はいろいろな意味でこの本に感動した。まず、著者の澤地の竹橋事件に対する執念には畏れいった。歴史の闇に光を当てようとした真摯な姿が窺われる。公的な資料はわずかである。そのわずかばかりの資料を徹底的に分析し、処刑された兵士たちの親戚縁者を訪ねまわり、事件当時の新聞を渉猟し、事件について言及した政治家・言論人の日記・手紙などにあたっている。
 公的な資料は少ない上に、事件の性質上、改竄されていないとはいえない。また、事件の核心になるものは隠されているに違いない。そのような状況の中で澤地は真実を解明しようとした。
 竹橋事件は時の政府にとっては大打撃であった。ある意味、革命であったのかもしれないのである。竹橋事件とは近衛兵たちの反乱である。彼らは兵士であるけれども職業軍人ではない。徴兵された兵士である。別の言い方をすれば強制的に兵士として国に召し上げられた人たちなのである。当然のように、戦争になると彼らは最前線に送られる。1年前の西南戦争では、彼らは体を張り、命を賭けて戦ったのである。彼らは真っ先に報いられるべきであった。
 ところが、報いられたのは軍の上層のものたちで、懲兵された兵士たちには何の恩典もなかった。賞与がないばかりか、給与までも下げられた。ただでさえ低い給与がさらに下げられたのである。兵士たちは不満だらけであった。この不満がマグマとなって噴き出したのである。
 澤地は、待遇に対する不満が反乱の大きな原因であるとしているが、国そのものを変えてやろうといういわゆる革命的な思想もあった可能性は排除していない。それが自由民権運動に繋がる要素もあったわけである。
 兵士の反乱がなぜ失敗したのか。これは、リーダーが不在であったからである。もし、優れたリーダーがいれば歴史は変わっていたかもしれない。

 竹橋事件は政府を動揺させたが、したたかな政府はこの事件を奇貨として、軍人の規律を強化した。軍人勅諭が出されたのである。軍人勅諭によって軍隊は天皇直属であることが徹底され、天皇はより強固に神格化された。天皇の軍隊の誕生といってもよい。この軍隊が無謀な戦争を起こし、国を亡ぼしたことは歴史の証明することである。
 竹橋事件は日本の歴史においてたいへん大きな事件であった。

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 写真は、東京都千代田区北の丸に明治43(1910)年に建てられた旧大日本帝国陸軍近衛師団司令部庁舎です。現在は東京国立近代美術館工芸館になっています。

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(2008/09/17)
澤地 久枝

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