黒木靖夫「大事なことはすべて盛田昭夫が教えてくれた」を読む

神田明神境内に建っている銭形平次の碑 とにかく20世紀のソニーはすごかった。世界でも一流の中の一流の企業であった。ソニーは世界屈指のブランドであり、ソニー製品をもつことが1つのステータスであった。アメリカ人の中にはソニーをアメリカの会社だと思っていた人がたくさんいた。
 現在、日本経済が寂しいのは日本に全盛時代のソニーのような会社がないことだ。ソニーだけでなく、元気のよかったホンダ、松下のような会社もない。世界中がソニー・ホンダ・松下に注目したものである。
 アップル・グーグルなど世界を支配しそうな会社はすべてアメリカの会社で、日本の会社は1社もない。アップルが巨大になったのはソニーがあったからだと私は思っている。アップルだけでなく多くの会社がソニーに学び、そしてソニーを目標にしてきた。iPodもソニーのウォークマンを参考にしたものである。
 今のソニーは変わった。なぜ変わったのか。答えは簡単である。ソニーの創業者である盛田昭夫が死んだからである。
 ソニーは井深大と盛田が実質の創業者である。終戦直後、品川で産声をあげた町工場の東京通信工業がソニーの始まりである。井深と盛田は海軍の軍人で、上官と部下の関係であった。
 ソニーが世界の超一流起業になった理由はまずその企業理念にある。その企業理念とは<人まねはしない>ということである。ソニーは他社商品の後を追うようなことはしなかった。ソニーの商品はこの世で初めての商品である。トランジスタラジオ・家庭用テープレコーダー・ウォークマン・トリニトロンテレビなど誰も想像もしなかった商品を世に送り出した。
 ソニーは井深と盛田を両輪として発展したが、井深は発明家で研究ばかりしていたが、盛田は会社の運営全般を担当した。ソニーが世界のソニーになったのは、盛田の手腕によるところ大である。
 20世紀を代表する経営者20人をアメリカの経済誌が選んだが、20人の中で日本人は盛田1人だけであった。盛田は経団連の副会長であったが、会長になることが決まっていた。私は盛田が経団連の会長になれなかったのを非常に残念に思う。

 黒木靖夫著「大事なことはすべて盛田昭夫が教えてくれた」は34年間盛田の側で働いた元ソニーの社員が書いた盛田に関する回顧録である。黒木はウォークマンを世に出すにあたって盛田とともに中心的な役割をした人である。
 黒木は仕事ぶり、性格まで多方面から盛田を分析している。とても興味深い話ばかりである。盛田は陽気で、いつも回りを明るくした。また、盛田はダンディで背広がたいへんよく似合ったという。
 一番感動した話はやはりウォークマンを世に出すときの話である。ウォークマンを企画したとき、ほとんどの人が反対した。特に販売会社は強行に反対した。<録音できないテープレコーダーが売れるわけはない>というのが反対の理由であった。最後、トップの盛田が決断をして、ゴーサインを出した。ウォークマンは世界を席巻した。
 マーケティングという概念は当時なかったが、盛田はマーケティングを知り尽くしていた。盛田は若い人たちが読む雑誌も読んでいたし、新しいものにはすぐに興味を示した。盛田は感性がするどく、そして戦略を考えるのもうまかった。また、盛田は経営者として一番大事な資質である優れたリーダーシップをもっていた。
 「大事なことはすべて盛田昭夫が教えてくれた」は盛田の素顔を見ることができる貴重な本である。盛田と一緒に仕事ができた黒木を私はうらやましく思う。

 落ち込んだ日本を復活させるのは日本人自身であることはいうまでもない。日本がバイタリティのある世界から羨望のまなざしで見られる国になるためには盛田みたいな経営者が現れることが必要である。
 盛田は学歴無用論を唱えた人である。学歴を偏重するような国では、盛田みたいな人は絶対に出ないであろう。

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 写真は、東京神田明神境内に建っている銭形平次の碑です。銭形平次を創作した作家野村胡堂は株式会社ソニーとは深い関係にありました。野村胡堂は、死去する前年1963年に私財であるソニーの株1億円で野村学芸財団を設立し、学業継続が困難な人に奨学金を寄付しています。

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